22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

カテゴリ: 英雄児育成の盛池塾

3年ほど前、小学4年の少年が不審死した。警察は自殺としたが、あまりにも不可解な死に、私はたいへんな衝撃を受けた。
その後、この小学生はシュタイナー学校(藤野ではない)の生徒だったと判明した。
ネット上には、シュタイナー教育との関係を取り沙汰する書き込みがあふれたのは言うまでもない。
ことの真相は私にはわからない。ただ親御さんや学校の責任を問うのは、あまりにも酷だと思う。したがって、ここでは「自殺」とシュタイナー教育の因果関係を述べるつもりはない。
私がこの件を引いたのは、以下の報道記事を紹介するためである。
〈同校近くの住民からは「あそこの学校は親同士の仲はいいけど、生徒同士が笑顔で話しているところはあまり見ないんですよね」という奇妙な声も聞かれる。〉(東スポ ウェブ版からの抜粋)
東スポにしては、じつに歯切れの悪い文章であるが、云わんとするところは汲みとれる。
思うところはあるが、この件については、やはりやめておく。
あらためて、亡くなった少年を悼み、遺族、関係者にお悔やみを申し上げる。

「急に集中力がついてきて、子どもが片っ端から本を読み始めました」――こんなシュタイナー学校の体験談を最近読んだ。
だがこれは本当に「教育効果」なのだろうか。
子供をシュタイナー学校に入れる親はいずれも高学歴だ。彼らの小学生時代も「急に集中力がついて、片っ端から本を読み始め」たのではないかな。要は「遺伝のたまもの」であると言いたいのだ。
知能や性格、そして身体能力はほぼ遺伝で決まる。差別につながるので、大声では言えない御時世だが、もはや真理といってもよいだろう。
ひるがえれば、後天的な教育などというものは、たいして意味がないということになる(ただし、習得しようという意欲があれば話は別だ。ただし、そう思えること自体が遺伝的資質ともいえる)。
親の夢を託し、エゴを満たすために施された「教育」など、数年を経ずしてメッキが剥がれてしまうのだ。気づけば、親と同じような人生を歩んでいる。これが厳しい現実だ。
遺伝と教育については、以前、以下のようなエントリーを書いた。ご参考に。
**
『日本人の9割が知らない残酷な真実』(橘玲)はタイトル通り残酷な本だ。
子供の未来を「学校」に託そうとする親たちに、冷や水をかけることになるからだ。
音楽、執筆、数学、スポーツといった分野において、遺伝の影響度合いは80〜90パーセントになるという。
同様に、知能も性格も遺伝であるというから、教育は意味ないのではないかと絶望する親も少なくないだろう。
このスクールで勉強すれば、食いっぱぐれない資格が取得できますよ。この学校で教育を受ければ、芸術性が育まれますよ。
おのれが成しえなかった「理想」への変身を願う親にとって、こうした囁きかけは魅力的に映る。
だがそれは、しょせん開運ペンダントやパワースポットめぐりのようなもので、お望みの結果につながらないのが現実らしい。
自分には才能がないにも関わらず、子供に医者やらアスリートやら芸術家になってもらいたいなどと期待するのは「頑張って血液型を変えろ」というようなものだ。
そんな無茶振りをされた身にもなってみるがいい。それは教育ではなく虐待だ。
だが、悲観的になる必要はない。忌まわしき遺伝的制約を「持ち前」と言い換えてみてはどうだろうか。
遺伝を積極的に受け入れ、それを社会に適合させてゆく力。これこそ教育の本質に他ならない。
先祖代々、営々と受け継がれた所与の持ち前をいかにして生かすかが、当代たる我々に問われているのだ。
遺伝を通じて子供と共有した「持ち前」。これに磨きをかけてゆくという夫婦親子の共同事業。これが親が成しえる最高の取り組みなのではないか。
こんな崇高ないとなみを、学校にアウトソースするのはもったいなさすぎる。

「僕たち、ゲームとかスマホとかやらないけど、不幸じゃありません」
シュタイナー学校(藤野ではない)の説明会で登壇した在校生の弁だ。
申し訳ないが、額面通り受け取れなかった。本心とはほど遠い、強弁に聞こえてしまったのだ。
若い頃の強がりは大事だ。意地を張ることは、血気のあかしだ。強がって強くなる。そんなこともままある。
だがそれも度を過ぎると、憐れみを惹起してしまうから怖い。
女性諸氏にはわかりにくいであろうが、男にとって最もつらいのは同情されることだ。
「本当は羨ましいのでしょうね。かわいそうだから、優しくしてあげましょうね」こういう眼差しが、いちばんこたえる。
「おれ、めちゃくちゃゲームとかやりたいんですけど、うちの学校はだめなんですよね。卒業したら、ソッコーでスマホとか買います」くらい吹っ切れていればいうことはない。
だが、シュタイナー少年たちは賢いので周囲を慮る。冒頭の弁には、その忸怩たる思いがにじみ出ていた。
ゲームに通じて友情を育み、好きな女の子とLINEして心ときめく年頃だ。ふつうに青春を謳歌させてあげたいと思うのは、私だけではあるまい。
また不足体験は、いずれ過剰なかたちで帳尻を合わせられることになる。
「欲しがりません勝つまでは」と我慢を強いられた日本国民は敗戦後、物欲にまみれた。
幼少期に不足を感じたものを生涯追い求めるのが人間のさがであるともいう。
そのあたり、シュタイナー翁はどのように考えていたのだろうか。もう一度学び直す必要がありそうだ。

「今『ドラえもん』という言葉が聞こえてきましたが?(まさか、ドラえもんを読んでいるのじゃないでしょうね)」と先生。
漏れ伝え聞いた、シュタイナー学校でのひとコマである。
「ドラえもん」はシュタイナー教育では御法度だ。キャラクターものは衣類を含め、接することは禁じられている。
一方、うちの坊やはいま「ドラえもん」にのめり込んでいる。
「書籍代は青天井」という父以来の方針にのっとり、毎日のようにドラえもんを買い与えているので、全45巻のコンプリートも目前だ。
ドラえもんは私も読破した。少年に行動を促し意欲を高めてくれる最高のマンガといえる。坊やが「日記を書きたい」などと言い出したのもドラえもん効果だ。
マンガを否定するのは簡単だ。「絵でイメージが固定されやすい」とかなんとか御託を並べればよい。だが、教育というものはそういうものではあるまい。
エデュケーションはラテン語の「educatus(引き出す)」を語源とする。意欲や行動の起点を引き出し、育むことが教育の本質なのだ。
その点、意欲や行動の芽を摘んでしまうシュタイナー教育には首をかしげざるを得ない。
やりたいことはことごとく弾圧され「心身によいこと」ばかり強要される。これはもはやパワハラだ。
パワハラにさらされた子供は、パワハラを平気でやる人間になりやすい。なぜなら、それは彼にとって「普通のこと」だからだ。
「ブラック」の連鎖がいま藤野で始まろうとしている。これを地元民として傍観することはできない。

「ずいぶん待たされたって怒ってたよ」と藤野婦人。知り合いの藤野民が、妹のいとなむ歯科医院で待たされたことに憤っているというのだ。
それは申し訳ない。「ごめんごめん。伝えておくよ」と私はお詫びしておいた。
ところが実情はまったく違っていた。当該の藤野民が大遅刻してきたので、ほかの患者さんを先に通したのだった。
この一件は、いかにも藤野的だ。自分のことは棚に上げて平気で怒る。さらには、当事者でもない者が、同じく当事者でもない私に因縁をつけているあたりがだ。
ほとんどの藤野民は穏健な常識人であるが、類は友を呼ぶ。藤野には、面倒くさい人の比率はかなり高い。
たとえばPTAでご一緒する高尾婦人には、この手の人がまったくいないから、じつに対象的だ。
今後、個人向け「信用格付け」が進展するなか、一人ひとりの品性が問われるようになる。クレーマーや面倒くさい人は、どんどん忌避され排除される世の中になるのだ。
「藤野」の民度がこのままであれば、早晩「申し訳ありません。藤野の方は特別料金になります」ということになりかねない。
藤野在住というだけでレーティングを下げられ、買い物も割増価格、サービスを受けるにも保証人が必要という事態になるかもしれないのだ(すでにヤクザはクルマも買えなくなった)。
パーマカルチャーをうたうのであれば、藤野を品位あるものにしてゆくことだ。藤野婦人よ、まずはお行儀をよくすることから始めよう。

「藤野論」を始めて1ヶ月、藤野におけるフェイスブック友達とはすっかり没交渉となった。盛池育英会のFBページはもちろん、私個人のタイムラインにおいても完全に交流が途絶えたのである(脱藤野者は除く)。
こうなることは予想できた。藤野はムラ社会だ。ムラへの批判は許されない。私の言動をして「反藤野分子」と目されたのであろう。
困ったことに、批判者のみならず、同調者にまで風当たりが強くなることも想定された。これには頭を悩ませた。そこで私は助走期間を設けることにした。昨秋から、藤野のFB友の記事に「いいね」しないことにしたのだ。
私から「いいね」してしまうと、律儀な藤野紳士淑女が「義理いいね」せざるを得なくなる。そんなことで苦境に追い込むわけにはいかない。
こうして身辺を整えてから、藤野論をスタートさせた。
当初、ごく少数の藤野民が「いいね」してくれたが、まもなく止んだ。周囲からの圧力があったのだろう。
こうしてSNS村八分になったのであるが、私はべつにかまわない(多少忸怩たる思いはあるが)。
だがこれが、もし藤野少年だったらどうだろうか。「藤野」に対する疑念は表に出せまい。出したら即、社会的死が待っている。
親きょうだい、学校の友達、近所の人。リアルでもバーチャルでも、やけに繋がっているのが「藤野しがらみ」。
年端もゆかぬ若者にとって、それは「人生」であり「世界」そのものだ。それに立ち向かうのは容易なことではない。
私が憂えるのはまさにここだ。藤野は類まれな「ムラ社会(「村社会」とは異なる)」だ。ここまでの閉鎖性は、こんにち地方の村落に行ってもなかなかお目にかかれないだろう。
これが藤野版「郷に入れば郷に従え」なのか。「藤野」に疑問を持ったら隠忍するか脱出するしか選択肢はない。
だがその時、脱出するだけの元気を保持できているかどうかは微妙だ。ムラ社会は知らず知らずのうちうちに活力を奪うからである。

園長「みなさん、ぜひ、ご意見ご要望などお聞かせください」「……」
園長「さあ、ご遠慮なく。皆さんのご意見が園をつくるのです。さあ」
「では」と私はおもむろに切り出した。園長の呼びかけに応えるべく、ひと肌脱いだのである。
だが、意に反する意見だったのだろう、園長は目をそらし眉間に皺を寄せた。みんな息を凝らしている。
幼稚な私は、すかさず反撃した。「なんでも言えというから言ったのに、その態度はなんですか」
園長はさらに眉間の皺を深め、顔ををくしゃくしゃにしてうつむいた。
先輩父母によれば、園長(シュタイナー教育を施す幼稚園の園長。すでに退任)のダブルバインドは毎度のこと。だから、園長の意に沿うように立ち振る舞うのが賢明ですよ、とのことだ。
よくも悪くも、男というものは真に受ける。女はその点、言葉の綾を汲み取ることに長けている。
母親たちは、園長の独裁体質と綺麗事癖をひと目で見抜き、それに即したそつない対応ができるのだが、私のような阿呆はダブルバインド・トラップにみごとにひっかかってしまう。
私は歯向かうからまだいいが、同じような目に遭い、膝を屈してしまった藤野紳士もいた。それが原因とは思えないが、彼の一家は、まもなく藤野を去っていった。
冒頭の光景こそ「藤野」の縮図だ。「自由」を標榜しながら、じっさいは凄まじい「空気読め」圧力が横溢するのが藤野なのだ。
メンタルを病む一大要因はダブルバインドであるといわれる。大人の言行不一致が少年の心を蝕む最たるものだ。
相手の言葉を真に受けることができる、そんな素直な少年であればあるほど罠に落ちる。それが繰り返されるうちに、やがて少年の目は輝きを失ってゆく(あるいは詐欺師的にギラついてゆく)。
いずれにしても「藤野」に夢を託した親の理想とするところではあるまい。
社会的座標軸の確立と偏在する不可解磁場の解消。この2点が藤野少年の魂を救済することになるのだが、むろん容易なことではない。

伯父の葬儀できょうだいが集まった。とくに長妹一家とはご無沙汰していたので、子供たちの成長ぶりには驚いた。
娘は中1。九段の白百合学園に通っている。物腰のたしかさと清楚さには目をみはった(白百合の制服も最高!)。
弟はやんちゃな小5。勉強嫌いのゲーム好きだが、毎日を楽しんでいるようで何よりだ。
「皇室みたいだね。秋篠宮様の子供のようだ」と言うと義弟は「いやいや」と謙遜してみせた。
だがその後、娘のお受験にあたり、夫婦で皇室モデルを取り入れたのだと、家内を介して知った。最高w
私には妹が3人いる。しかも私を含めて全員に男児がいる。
私は藤野系母の圧政下で辛酸を舐めたものだから、当初、妹たちの育児は気がかりでならなかった。
変な信念にはまり、視野狭窄に陥り、息子の人生を蹂躙するのではないかと危惧したのである。
だが、いまこうして見渡してみれば、それは杞憂だったようである。少年たちの目は輝き、無駄なストレスにさらされている様子はないからだ。
そういえば、以前末妹が言っていた。「お兄ちゃんが親と対決してくれたおかげで、私たちは助かった」と。
母親というものは、愛するがあまり盲目になり、その結果、子供と社会的心中してしまうのは、なにも今に始まったことではない。
妹たちは母親の姿を見て、反面教師にしたのかもしれない。ちなみに、義弟たちも、妹たちの尻に敷かれることなく父権を保っている。
死した伯父も彼の地から、我が社稷の男児たちを見守り続けてくれることであろう。合掌

「でも結果的に、自由と創造性を掴むのかもしれませんよ」と藤野紳士。藤野論を踏まえての弁だ。
少年にとっての「藤野」は、息の詰まる、騒々しい、恥ずかしい、気苦労の多い、消耗著しい、なにかと面倒くさく、面白みのないコミュニティである。
だが、それがために、藤野を脱出したいという意欲が高まり、結果的に「自由」と「本物」を獲得するのではないか。彼はこう言うのである。
藤野的「アート」や藤野的言行不一致を反面教師にして、本物の創造や自分らしい生き方を発見する。
これはあり得る。なぜなら、私自身が歩んだ道のりでもあるからだ。
私は「藤野家庭」に育った。母親が全権を握り、父親はファッションで芸術を愛でるアーターであった。
私の半生は、両親の軛から逃れ、呪縛を解き、除染し、みずから座標軸を一から構築することに費やされた(まだ道半ばであるが)。
その点、先の藤野紳士の言うように、私は「藤野的環境」を逆手にとって、人生を切り開いてきたといえなくもない。
だが、万人が私のような元気者ではない。むしろ例外的存在といっていいだろう。
私は批判を浴びれば浴びるほど、孤立すればするほど、エネルギーがみなぎってくる変態だ。
いまの藤野に、そんな絶倫少年がどれだけいるだろうか。ほとんどいないのではないか。
座標軸がねじれ、磁場が入り乱れるコミュニティ。逃げ場のない、一様性価値観の支配する核家族。
母親の趣味と気分に振り回され、立ち向かおうものなら即座にねじ伏せられ、敗北感とおのれの無力さを痛感させられる日々(父親は不在か無力だ)。
いつしか目はうつろになり、力のない笑みを浮かべることで、その日その日をやり過ごす。こんな閉鎖環境に身を置いていれば無理もない。
「藤野」は女権社会の象徴ともいえる。こんにち、もはや社会的弱者は男だ。
男の解放なくしては、少子社会に歯止めをかけることはできないし、経済発展もなし得ない。世界平和も社会の成熟も、ひとえに「藤野少年」の肩にかかっている。
「藤野」に警鐘を鳴らすことは、22世紀に向けて果たすべき、当事者としての責務なのである。

家内と娘は広島の実家に帰省。息子は妹家族や祖父母と旅行。私はひとりお留守番。男に不可欠な「孤独」を満喫している。
こんな時も、ほぼ全ての藤野家庭は一人欠けることなく、家族で行動していることだろう。
帰省したり旅行したり様々だろうが、男にとって、常に誰かといることは苦痛でしかない。「孤独」は男にとって、かけがいのないものなのである。
尾籠な話になるが、男は「溜まる」生き物である。五十近くになっても、まだまだ溜まる(私の祖父など、七十になってから二人の子をなしたw)。
ひとたび溜まったら、自分でいじるか嫁を御すくらいしか発散の方法はない。
むろん手近なのは「ひとり遊び」であるのだが、それには個室が必要だ。
昨今の個室否定ムードが蔓延しているせいか、藤野家屋を見ると「みんなのスペース」ばかりが重視され、個室は少ない。これには、男として胸が痛む。
中学生にもなれば、男は大いにさかんになるものだ。健康で野生的であればあるほど溜まる。しかし、出さなければ次第に溜まらなくなる。そんな話を以前、太平洋戦争から帰還した古老から聞いた。
つまり、発散しにくい環境に身を置いていると、胤が減ってくるのである。ここにも、藤野のサステナビリティの危機が見て取れる。
その点、私はまだいい。いよいよ妻と没交渉となれば、浮気するとか風俗に行くという手もあるからだ(もっとも、そんな甲斐性も衝動もなくなってしまったのだがww)。だが謹厳なる藤野紳士に、そんなオプションはない。
となると残るは、嫁との交渉ということになるのだが、司馬遼太郎が言うように「男の性衝動は、数千年来、弱き者に対してのみ能力を発揮する。強きをくじくようにはできていない」。
これまで述べてきたように、藤野婦人は最強だ。「強き」を前にして「能力を発揮」できるか、藤野紳士の真価が問われることになる。
ついでながら藤野婦人は白髪を放置し、ざっくりとした自然素材に覆われているせいか、体の線には無頓着のようでもある。これはあるいは、夫を欲情させないための「武装」なのかもしれない。
子をなすという使命をまっとうした男たちは用済みなのか。藤野紳士の目がうつろになるのも無理もない。

「なにこれ?(こんなもんが、なんであるの?)」と藤野婦人が冷たい視線を向けた先にあったのは日の丸だ。
我が家の応接室には日章旗がある。大統領執務室みたいな感じで、ソファの横に屹立している。
ずいぶん前、その方面の方からもらった。気に入っていて、忘れなければ、旗日には玄関先に掲げている。
だからといって、もちろん私は右翼ではない。右っぽいところもあれば、左っぽいところもある。選挙では、頼まれた人に投票してしまう意識低い系だ。
右だろうと左だろうと、私のような「観客」がヤジったところで世の中は変わることはない。歴史とはそういうものだ。
それに、この時代に、右やら左やら陣営を分けて考えるのもしっくりこない。
変わりゆく時勢を見据えながら、心静かに自分の打つべき手を考えることが、生活者としての爽やかな物腰なのではないかな。
冒頭の藤野婦人に見られるように、藤野では「反原発」「アベ政治を許さない」的なサヨク論調が支配的だ。
その点、私は「原発はイヤ」だが、「株上がったし、有効求人倍率もいいし、アベ政治なかなかいいじゃん」というノンポリだ(今後、変わるかもしれないけど)。
「一貫性がない」と、物分かりの悪い人から難詰されそうだが、そんなことはない。
むしろ「一貫性のある、それもお仕着せのイデオロギー」に縛られているほうが面倒くさい存在になっているんじゃないのかな。
イデオロギーに盲従していては「自由」は謳歌できない。仲間内で酔っ払って楽しいかもしれないが、そのぶん、言動に制約がかかるからだ。
成熟した紳士が政治と宗教を語らないのは、そんなタコツボに入りたくないからであろう。
語ったとたん、わらわらと面倒くさい「仲間」ができて、しがらみは増える一方。それに、一度関わると、足抜けは容易なことでない。
こんなこと、自由と多様性を標榜する藤野人なら先刻承知かと思いきや、意外とそうでもないようだ。あるいは、その「タコツボ」こそが藤野の実態なのかもしれないが。

「(あんたのところとは違って、藤野婦人は)みんなダンナラブだから云々」と面罵されたことがある。どんな文脈だったか忘れたが、こんなひとコマも藤野ならではといえよう。
たしかに藤野婦人は、総じて「ダンナラブ」だ。だが、実態を知る者からすれば、やりたい放題に文句ひとつ言わないダンナに、ラブという名の免罪符を一つ二つ発行しているだけとも思える。
うちは、私がやりたい放題なので、しばしば家内の反乱を招く。その点、藤野的ラブには欠けるが、オス・メス的お盛ん度は藤野夫婦の追随を許さないだろうw
尻に敷かれてもスマーイル、振り回されてもスマーイル。そんなナイスパパぶりは、とうてい私にはできぬ芸当だ。だが、藤野紳士はそれができる。彼らは「大人」なのだ。
諦めるべきは諦め、果たすべき役割は果たす。「藤野」にエリートサラリーマンが多いのもうなずける。
会社で耐えがたきを耐え、家庭で忍びがたきを忍ぶ。藤野紳士たちの滅私奉公ぶりには心底頭が下がる。
さて、かの暴言婦人の夫君。ダンナラブとは名の元に、じっさいにはかなり虐げられていることを私は知っている。
気の毒極まりない身の上なのだが、彼はたとえ血が逆流しようとも耐え忍ぶだろうな(あるいは失踪?)。
ひょっとしたら、父の哀れな姿を見た孝行息子あたりから反乱の火の手があがるのかもしれない。
ともかく、妻のいう「ラブラブ」なんぞ、夫の臥薪嘗胆の上に成り立っている「幻」でしかない。
夫婦の真実は「ダンナの野性」を見れば一目瞭然だ。夫婦の実相はラブラブではなくビンビンに表れるのである。

家内がさんざん延滞した本を、藤野図書館に返却しに行った。そこには懐かしい顔。幼稚園のパパ友A氏だ。
A氏は私と年齢的には変わらない。だが、見た目は若づくりの私よりずいぶん上に見える。この日もお疲れのご様子。
A氏の顔を見て、以下のエントリーを思い出した。これも藤野の一相貌だ。
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ある親が、子供にお金を「見せない」よう四苦八苦しているという話を聞いた。信奉するシュタイナー教育に則った取り組みだということだ。
大学時代、シュタイナー教育をかじったわたしには、その解釈は飛躍が過ぎるように思える。シュタイナー教育というより、主導する母親独自の考え方なのだろう。
それはともかく、その子供は小学校高学年になるが、いまだに「お金」を手にするどころか、見たこともないという。ここに至る当事者たちの苦労は想像するにあまりある。
母親はもちろん、父親や縁類、そして周囲の人たちもお金を見せないように神経をとがらせ、テレビはもちろん見せない。買い物もひっそりと。そんなストレスフルな暮らしが目に浮かぶ。
しかし誰よりもストレスをためているのは子供当人だろう。
さすがにその時期まで、お金を見たことがないとは思えない。親の気持ちを汲んで、見ていないことにしてあげていたのではないか。
子供は親思いだ。親を喜ばせよう、親を悲しませまいと、そんな演技もいとわない。
だが、そんな気遣いを子供にさせるのはいかがなものか。「のびのび」というのは、こんな忖度をさせない気楽さのことではないか。
相手の意を汲むという技法は、社会に出れば、いやでも学ばざるを得ない。必要な時期に体得すべきだ。
私見ではあるが、幼少期から忖度を強いられている子女は一見成熟して見えるが、内実は疲弊していて元気を感じない。一様に目が虚ろなのである。
だが、最後にその「虚構」にもがき苦しむのは親自身なのかもしれない。みずからしつらえた蟻地獄に落ちて這い上がれなくなるのだ。やがて家全体が疲弊し、活力が失われてゆく。
過激なことはしないほうがいい。自戒したい。

「農業体験」は今や聖域だ。その教育的効果に疑義を挟もうものなら、一斉にバッシングされる。
藤野において、それは顕著であり、子供たちはニコニコと農作業に勤しむことが求められている。
子供にとっての農作業及び体験学習を考える上で、以下のエントリーは参考になるかもしれない。
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無着成恭の『やまびこ学校』は胸を打つ。学校に行きたい、存分に勉強したい、父ちゃん母ちゃんに楽をさせたい。そんな子供の赤心が胸にしみる。
あの時代、農村の小学生の日常は勉学ではなく、労働が主体であった。
農作業や家事、そして子守に明け暮れる。学校はそんな日常から離脱できる、つかの間のパラダイスだったのである。
私の恩師は鳥取県の片田舎出身だ。彼は親から「東大に行くのなら、進学させてやる」と言われて無我夢中で勉強した。そしてみごと鳥取市の名門校に進学、その後、東大に合格した。
ちなみに恩師は長男で「家」を離脱したことに今でも背徳感に苛まれているという。
だが、野良仕事に生涯を捧げることにくらべれば、それくらいの苦しみは甘受しなければならないのかもしれない。
かように、子供にとって(恒常的な)農作業というものは苦痛でしかなく、勉強こそが悦楽だったのである。
昨今、農作業が子供の教育上よいとされ、多くの学校では農業体験をカリキュラムに組み込んでいる。だが、その学習効果とは、いかほどのものなのだろうか。
以前、私の経営する会社で、インターンシップを受け入れていたことがある。
我々は「お客様」。インターンシップ生を飽きさせないために、微に入り細に入り精魂を傾けた。
その甲斐あって、我が社のインターンシップは好評で、翌年以降、高倍率企業の一つとなった(だが、インターンシップ疲れが激しく、3年で打ち切った)。
だが、あれが本来の「職業体験」かといえば疑問だ。実態は、学生版キッザニアではなかったか。そんな虚構は教育の名のもとにごまんとある。
価格交渉から妥結にいたる。それから請求書を起こし、入金が行われたかを確認する。仕事の本質とは、この一連の過程に他ならない。
だが、これは子を産むという神聖な営みが、煎じ詰めればセックスであることと同様に、あまりにも生々しい。だから、あまり表立って語られることはない。
学生たちは、会社に入れば、パワポ資料をプロジェクターに映し出しながらプレゼンするものだと思っているが、そんな機会はまずない。
仕事の大半は書類作りとお金のやりとりなのだが、職業体験ものは、いずれも映像映えする部分だけ切り出す(法廷での弁護士と検事の丁々発止などはその典型例だ)。これでは「体験」とは名ばかりで、実態は「ごっこ」であると言わざるをえない。
そんな「体験」をたよりに仕事を選べば失望が待っている。新社会人のくじけやすさは、学校時代の陳腐な「体験(その時期に視聴したテレビ番組なども含め)」に起因するのではないか。
学校がやるべきことは、むしろ、こうしたギャップを埋めることにあるのだろうが、それができる教師がどれだけいるだろうか。
もっとも、そこまで教師に求めるのも酷だ。本来は、家庭教育でカバーすべき領域だろう。
だが、家庭で社会を体験するほうがよりハードルは高い。家庭はもはや社会から切り離された存在だからだ。
だがそれは近年の傾向だ。往時はちがった。
私淑する大先輩は、小学生時代、しばしば学校を休んでは、父親の行商に同行して手伝っていたという。こんな営みこそ「職業体験」ではないか。
その方は仕事を手伝いながら、高校卒業後、一流大学に入学され、家業を継いで精を出し、市長も歴任された。
「仕事をしていると勉強したくなるんだよ。それに勉強も身につく」この言葉は多くの示唆に富んでいる。子供が勉強するようになるためには、遠回りかもしれないが、仕事をさせるのがよいのである。
私自身実感する。あんなにデタラメだった学生時代とうってかわって、仕事を始めてからの勉強は真剣そのものだ。
学校の空転は、子供を「労働」から切り離したところ誘因であるように思えてならない。
職業体験などでお茶を濁さず、「リアル労働(当然、カネのやり取りも含め)」に従事させる。これが、子供・学校・家庭のよき関係を復活させるのではなかろうか。

我が母は「藤野婦人」であった。意識が高く、40年も前、世に先駆けて自然食の店をやっていた。おまけに当時としては高学歴、早稲田大学文学部卒だ。さらには、藤野(津久井郡澤井村)の出自でもある。
教育熱心で、この界隈にしては、かなり早く私立中学受験を企図し、私を小5から毎日都内の進学塾に通わせた。
ランチジャーという、ドカタおじさん常用のデカい保温弁当箱には、健康食が詰め込まれていた。めちゃくちゃ重いし、他の子がハンバーガーやら駅そばを食っているのが羨ましかったが、当時の私は親の想いを忖度して何も言わなかった。
小6に上がるころ、私の通う豊田教室の合格実績が芳しくないと知ると、ほかの母親たちと語らって、八王子教室に転校することになった。
豊田教室は楽しかったので、母親がギャンギャンと騒いだ挙句、勝手に決めて嫌だったが、おとなしくそれに従った。
かくのごとく当時の私は、今では信じられないくらい従順だったのである。
それから数年を経ずして、こんにちに至る決裂を迎えるとは皮肉なものだ。無理な圧力は、どこかで帳尻合わせを強いられるのだ。
こんにちの藤野婦人も、ひと世代前なら先駆的「お受験婦人」だったことだろう。「東大に入れば一生安泰よ」のフレーズが「ロハス東大に入れば一生安泰よ」になっただけで、その実体は今も昔も変わらない。
いまこうして「藤野婦人」に疑義を呈しているのは、過激な母へのアレルギー反応なのかもしれない。
熱狂的、操作的、独善的。過激教育婦人は、あたかも調教師(兼馬主)のごとく、我が競走馬の訓育にあたる。
自分がその時点で到達した価値観を最上のものとして、我が子に授けることに何のためらいもない。
発達段階無視で、育ち盛りの時期に「精進料理」を食わせ、マンガやゲームなど、少年らしい欲求を弾圧する。目的に向かって、ひたすら驀進させることが子供の幸せになると信じて疑わない。
ここで父親が「おいおい、ちょっとやりすぎではないかな」と水を差してくれればよいのだが、沸騰する藤野婦人を前にして、藤野紳士にそれができるかな。
それどころか、藤野夫婦のほとんどは一枚岩に見える。価値観を一様にしているからこそ、移住までできるのであろう。
そんな藤野夫婦が息子の「反乱」に遭遇した時どうするのか? 
その時、ともに鎮圧しようものなら、我が家の悲劇を再現することになる。さらなる反乱か逃亡か、あるいは無力感に打ちひしがれるか。
元気者の私はさんざん抵抗した。出口が見えないとわかると逃亡した。
幸いにして、私には祖母という逃げ場があった。近所に住む祖母の家で5年余り親と距離を置いた。
こういう時の多様性だ。「一様性のまち藤野」に必要なのは、我が祖母のような異なる価値観の持ち主の存在だ。
私のようなおやじがすぐ近くにいる。これが、藤野少年の心の支えになれば幸いである。

学生時代の彼女の父親は、事実上の組長だった。「総会長」と呼ばれていたその方から、わたしはこんな教えを受けた。
「いいか覚えておけ。ヤクザなんかでたらめだぞ。約束は守らないし裏切るし、とんでもないやつらだ」
高倉健の任侠映画を好んで観ていたわたしは、ヤクザこそ男の中の男。義理人情に殉じる漢の鑑だと思い込んでいた。
未来の婿になるかもしれない男に、変な道に進んでもらいたくない。今にして思えば、じつに親心あふれる言葉だったのだ。
あれから長い歳月を経て、今のわたしなら、青年にこう言うだろう。
「いいか覚えておけ。芸術家なんかでたらめだぞ。身勝手だし、だらしないし、とんでもないやつらだ」
わたしは芸術家と縁が深い。小説家をはじめとした作家とは、何度となく仕事をしてきた。訳あって、香港の現代アートの会社を保有することにもなった(まったく興味はないがw)
わたしがじかに接した芸術家たちは、一見まともだが、精神の奥底のところに狂乱を宿している。嵐山光三郎の『ざぶん』を読んでみるといい。文士の実像なんて、あんなものだ。
わたしの両親は文学青年と文学少女だった。世界文学全集を書棚に並べ、文人墨客の足跡をたどっては、その心情に思いを寄せてうっとりする。
芸術家とは崇高なる精神の持ち主で、身を清め作品に打ち込む聖者。こう両親は誤解していた。
その誤解でバチがあたったのか。あろうことか、芸術家に恋い焦がれた両親は、ついに「芸術家」を召喚してしまった。
結婚3回、落選2回、被告2回、事業失敗7、8回。日がな一日ぶらぶらし、好きなことにだけ熱狂する。家督を強奪して威張りくさっている。そんな化け物(親父の弁)が、無邪気に芸術に憧れるラブラブ夫婦の前に出現してしまったのだ。
両親にとって、もちろん、わたしは「聖なる芸術家」ではない。それどころか、つねに親の顔に泥を塗り続ける親不孝な道楽者。あるいは、粗暴でわけのわからぬマジキチ極道者でしかない。
おいおい語ることになるが、我が両親は典型的な「藤野夫婦」だ。だから、藤野夫婦をみていると、こんなことを言いたくなる。
無邪気に「芸術」に憧れることは、無邪気に任侠に憧れるくらい危険なことなのだよ。やばいものを召喚してしまうよ。

「藤野」を論じる上で、わたしほどの適任者はいないだろう。
まず第一に、当事者であることだ。母方の実家は藤野だ。親戚も多いし、隣町ゆえ少年時代からの友垣も多い。藤野は我がふるさとなのだ。
第二は縁だ。坊やの幼稚園(うち以外、全員移住組だ)時代に、藤野にかなり深く関係した。
ヒマで詮索好きなので、どんどん踏み込んでいくから、ディープ藤野を目にしてしまう。そこで目撃した「少年受難」を、わたしは教育者として看過できない。
第三は、弁が立つことだ。男は総じて口下手だし、考えをしゃあしゃあと述べないものだ。ましてや田舎の人はなおさらだ。
その点、恥知らずのわたしはラジオで自論を語り、講義で学生諸君を煽ってきた。それなりに筆も立つ。
ロジカルでクリティカルな豪傑・藤野婦人とタイマンを張れるのは、わたしくらいだろう。
妹のいとなむ歯科医院も大繁盛で、客足を気づかう必要もなければ、家内も藤野系ではない。その上、わたしの言論活動に超絶無関心だ(わたしの本の前書きすら読んでいないww)。
こんな条件が重なって、日夜「藤野」を論じられる環境が成立した。
書き始めてから10日あまり、寝ても覚めても、このテーマが頭から離れない。切り口が見つかると、夜中でも飛び起きてスマホで綴り始める。
何がここまでわたしを駆り立てるのだろうか。ひょっとしたら、これが噂の「自動書記」というやつなのかもしれない。父祖の魂魄がわたしをして語らしめているのか。
西部邁は「死者の民主主義」を唱えた。いま、生きている人だけで「多数決」するのではなく、かつてそこに生きた人たちの「死者の声」もカウントせよというのである。
わたしも是非とも、この地に生きて死んでいった膨大な数の「死者」の想いを受け止めたい。しかし残念ながら、今のところ、死者の声をキャッチできているという実感はない。
だが、いま藤野に生きる男たちの「声なき声」は汲み取れているのではないかと自負している。
過激な藤野婦人に振りまわされて、日々消耗する藤野紳士、そして藤野少年たちの想いだ。
渦中にいるため、我が身の置かれている状況も五里霧中。声をあげようにも、うまく言葉が出てこないもどかしさ。そして充満する同調圧力。わたしの記事に「いいね」しようものなら即座に孤立することは必至だ。
郷土そして同朋を守るため、今ここに宣言する。わたし自身を公器となし、彼らの「声なき声」をこれからも代弁してゆく。論戦上等、どこからでもかかってこい👺

坊やがインフルエンザにかかった。わたしに似て注射大恐怖者なので、今年から予防接種はしないことにしたせいかもね。しばらくはマンガでも読みながら、ゆっくりしていよう。
藤野民といえば「反ワクチン」。子供に麻疹や日本脳炎などの予防接種を受けさせる親はほとんどいない。
以前、坊やがおたふく風邪にかかったとき、それを聞きつけた藤野婦人が中学生くらいの息子を連れてきた。おたふく風邪をうつして欲しいというのである。
坊やが使ったスプーンをしゃぶらせたり抱きつかせたりして、ムンプスウィルスを取り込もうと必死だった。
残念ながら、感染はなしえなかったらしい。長じてからのおたふく風邪は重篤化する。悪あがきしないで、そろそろワクチンを打ったほうがいいのではないかな。
予防接種で心配なのは副反応だ。腫れや痛みといった軽度なものから、急性脳症や肝機能障害といった重度なものまであるという。
麻疹の予防接種が自閉症の原因であるという説もあるし、インフルエンザワクチン接種後の死亡者も年に数例あることを思えば、神経質になるのも無理もない。
予防接種をめぐっては、ワクチン推進派と反ワクチン派それぞれが論陣を張っている。わたしには判断がつかないので、原則、厚生行政の推奨にしたがっている。
反ワクチン主義者は、往々にして免疫主義だ。「免疫力は自前で獲得せよ」というメッセージはロハス系を魅了する。
「ワクチン接種なんてもってのほか。麻疹パーティーやっちゃおう!」
と子供たちを集め、はしかをうつしあう。藤野では未確認だが、こんな「麻疹パーティー」を開催する過激人もいるという(その設定の不自然さのほうが、子供の免疫力を下げるような気がするのだが…)。
イタリアでは今夏、反ワクチンを訴える政党が勝利して、ワクチン接種義務が撤廃された。そのためヨーロッパでは現在、はしかが大流行。過去10年で最悪の事態を迎えているという。
「はしかの大流行が、藤野から起こるかもね」昨日、地元の旧友とこんな話になった。
藤野発のパンデミックは、さすがに大袈裟だとは思うが、すぐそこにある反ワクチン集団の存在は、子供を持つ地域住民としては神経質にならざるを得ない。
個人の主義主張は尊ばれるべきであるが、それが公共の福祉を脅かしてまで優先されるものではない。
わたしはなにも「予防接種を受けろ」と言っているのではない。わたし自身、子供に受けさせていない予防接種もあるし、何よりも、わたし自身が逃げおおせた「必須接種」もじつはある。今回のイタリアの接種義務撤廃は、わたしが子供だったらガッツポーズだったはずだ。
だが、ひとたび親ともなると慎重にならざるを得ない。衝動とイデオロギーで子育てはできないからだ。

「藤野婦人」と十把一絡げにしているが、むろん例外は少なくない。むしろ、ほとんどの藤野移住女性は、きわめてまともな社会人である(心底敬服する女史もいる)。わたしがあげつらっているのは、一部の過激婦人である。
だが過激人の存在率において、やはり藤野は突出していて、その跳梁が藤野のみならず、近隣のネイティブ生活者に悪しき影響を与えている。
そんな事例をいくつか見聞し体験したことが、この「藤野論」執筆の動機となった。
もっとも胸糞悪い話を聞いたのは、もう一年以上前になる。ここでは明かせないが、藤野名物「排除スクラム」が発動したのである。
当事者は例に漏れず、超高学歴婦人であり、ロジカルでクリティカル(これは褒め言葉ではないw)な方である。
さらに、そのおぞましきロジックのやいばが、郷土にて堅実な生活をいとなむ善男善女者に対してまで向けられたことを知るにおよび、さすがのわたしも「ダメだこりゃ」と吐き捨てざるを得なかった(この件も明かせないが)。
それまでは過激系藤野婦人をコミカルなものとしてとらえていたが、「これは、我がふるさとの危機である」との義憤に駆られたのは、この時である。
とはいえ、長らく逡巡していたのは、わたし自身もロジカルでクリティカルな阿呆者なので、かの藤野婦人同様、無辜の民に災いをなすのではないかと懸念がぬぐいきれなかったからである。
こんなとき、わたしの話に真摯に耳を傾けて、冷静に生活を整え直した藤野移住希望者が現れた。
その方から「事前に知ることができて本当によかった」とのお言葉をいただいたのである。このひと言に励まされ、わたしの知る藤野、わたしの見る藤野を白日のもとに晒そうと腹を括った。
わたしの論旨の軸足は、あくまでも「藤野は大人のパラダイス。されど、その言行不一致空間は、少年が過ごす場所としてはいかがなものか」にある。
だが、あわせて、藤野生活者あるいは移住を検討している人への情報提供という役割も果たせたら最高だ。
藤野礼賛ムード花ざかりのいま、本稿は藤野との向き合い方を冷静で洗練されたものにするものと確信している。

桐朋女子に通知表がないと初めて知った。わたしは男子校の出身であるが、こちらには、ふつうに通知表はあった。桐朋学園は男女で別の対応をしていたのだ。
90年代に大躍進を遂げた脳研究の成果を踏まえて、アメリカでは2000年代から男女別学に回帰している。
ほかの国々もこれに追随する動きを見せているなか、日本だけが男女共学路線を推し進めているのはじつに奇異だ。
これは学校経営という側面が大きな理由のようであるから、日本社会が前進すれば、しだいに解消されるのであろう。
さて先ごろ、シュタイナー学園には通知表がないというエントリーを書いた。(→藤野論7)
「競争」があることで少年の心は躍動し、目は輝く。競争なき境遇に身を置く少年は無気力になり、目は虚ろになる。
少年にとって、競争は成長段階における「必要悪」であり、成熟するにしたがって超越できれば最高(ただし、少女はそのかぎりではない)。こんな論旨だ。
これは、まさに母校の教育施策と合致していたのである。嬉しいかぎりだ。
ここで思い起こされるのは、とある藤野婦人だ。彼女は我が国指折りの最高学府卒業者だ。
婦人曰く「数値を追い求める受験勉強でだいじなものを見失った。いまそれを取り戻そうとしている」
わかる気がする。だが、それは大人の、それも女性の感慨ではないかな。
その対偶たる「少年」に、彼女の人生での悔悟と決意は当てはまらない。
幸いにして、彼女には娘しかいない。競争は心身を疲弊させるので回避すべしという価値観は、少年に適用されることはなかった。
見渡せば、藤野婦人はみな高学歴だ。藤野婦人の偏差値は70くらいあるんじゃないのか。
彼女たちは、いわゆる「受験戦争世代」だ。幼少期から競争のるつぼに放り込まれ、数字を追い求めさせられた。
先の婦人の言うとおり、その過程で、心身の消耗を実感したのだろう。「競争」というものは、女性の心身にこたえるものだと、わたしも思う。
いま藤野で、競争を「ダメ、絶対」としているのも、藤野の主役たる受験婦人たちのルサンチマンなのかもしれない。
だが、そのドグマを女ではなく男、それも大人でなく子供、つまり少年に押しつけるのはやめよう。そこを次なる「戦場」にしてはならない。
自分の人生かけての学びが、最悪なかたちで生かされることになるからだ。
少年にとって競争はエンターテインメント。競争を通じて彼の人生は躍動する。
いずれ「競争」を超越するときも来るだろう。そのためには、一度「競争」を体験させてあげてほしいものだ。

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