22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

カテゴリ:荒行人生 > 【達成】断酒100日

予想外であった。
フェイスブックページ「耳学問の雄峰塾」に日記を移行させたとたん「いいね」が激減した。
正午時点で3分の1程度であるが、最終的には5分の1程度になるのではないか。
だからといって、
「みなさーん、いいねしてくださいね〜 (^_^)☆」
というつもりはない。
このままでいい。状況の変化にあわせて改善できるというのも楽しいものだ。
断酒日記を綴る上で、いいねは励みになった。衆人環視がなければ、断行できたかどうか。100日目を迎えられたのもみなさまのおかげである。
さて、数が減ったとはいえ、今回はみずから登録してくれた読者だ。私の文章がなにがしか琴線に響いた人たちなのである。
となれば、多少意欲的な取り組みをしてみたい。
こういうとき、最初に「パンパカパーン」とやってしまってはだめだ。それが制約になり、継続と飛躍の妨げになる。
すこしずつ試行錯誤しながら、落ちつきどころを探るとしよう。
まず手始めとして、日日のタイトルと写真をやめることにした。

村上春樹は1日10枚の原稿を書く。書けないと思っても10枚なんとか書く。たとえ筆が進んでも10枚で打ち切る。
ーーこの方法を知ったとき、「書けるときに、どんどん書いたらいいじゃん」と思った。飛ばせるときに飛ばしておけば「貯金」ができる。それがゆとりになるだろうと。
だが、私の認識は浅はかであった。
先日来、2時起きに取り組んでいるので7時ころには寝床に就く。そのため、昼過ぎあたりには「着陸態勢」に入らねばならない。そこで午後1時を終業時間にした。
だが、最近のってきたので、そのまま仕事を続けたくなることが増えてきた。
そんなとき、前出の言葉を思い出した。物は試し。区切りは悪かったが、午後1時きっかりにエイっと仕事を打ち切ってみた。
すると、翌朝2時にパチっと目覚め、猛然と再開できたのである。
昨日の「熱」がそのまま持ち越されたのだ。これには驚いた。
思えば、やれるときに存分にやろうというのはケチな考え方だ。ガッついて食えるだけ食おうとする浅ましさに近い。
そのとき欲張りすぎるから、その場かぎりのがんばりで終わってしまう。欲張らずにセーブしておけば、もっと大きな果実が得られたのである。
そういう意味で、「キリのいいところまでやろう」という考え方は精神的惰弱の表れであるといえる。
なぜなら、キリの悪いところで中断するのはじつに気持ち悪く、よほどの精神力がなければなし得ないからだ。
ひと段落なんて言わずに、無慈悲に時間で区切る。これによって、そのときの勢いを明日につなげることができるし、精神力までもが養われるのである。
そう考えると、終電は早くしたほうがいい。締め切り効果とお預け効果が相乗効果を発揮するはずだ。
景気対策の一つとして、終電を遅くしようなんて案がよく出るが、これは逆効果だ。
終電は22時ーーこれが国民経済躍動の切り札であろう(飲み屋は困るだろうなあ)。
写真:和菓子屋に寄ってから、浅川に散歩に出てみた。半年前は、ここに腰掛けてカップ酒を飲んでたなあ。

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断酒100日ーー以前の私なら迷わず祝杯をあげていただろう。いや、みずから祝宴を催していたはずだ。
むろん、いまやそれは禁じ手だ。というか、もはやどうでもいい。だから、ふだん通りやり過ごすことにする。
酒を飲まないと、このように一日一日を淡々と送れるようになる。
飲んでいたころは、飲むための理由を血まなこになって探していた。
雨が降った。スタッフが悩んでいる。今日は小寒。かまぼこをもらった。思い出の本を読み返した。有名人が死んだ。ちょっと熱っぽい…
飲むための理由なんてなんでもいい。酒飲みはどうでもいいことで、いちいちしみじみするからいけない。
司馬遼太郎先生は「無用な感慨を持たぬよう自戒している」といっていた。
酒を飲むための理由づけなど、まさに無用な感慨の極みである。いちいち立ち止まり、杯を傾けていたらちっとも先に進めない。
100日目という区切りの日だからこそ、なおさら淡々と過ごしてやる。毎日を記念日にしていては、人生が台無しになる。
今日を「記念日撲滅宣言の日」にしよう。
写真:司馬先生が愛した草花。うちの庭にも植えるかな。
◼︎男酒日記、明日からは、以下のフェイスブックページで綴ってゆきます。「耳学問の雄峰塾」にいいねすれば配信されますヨ (^_^)☆
https://www.facebook.com/seikejuku/

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敬愛する作家が「何事も100日やると質的に変化する」といっていた。この言葉の意味をいま実感している。
断酒100日ーーこの間得たことは、酒癖の克服どころではない。
仕事の仕方、家庭の営み方、今後の生き方から自己の確立まで、この100日は私にとってまさに革命であった。取り組んで本当によかったと思う。
古来、執着を断つことは修行の王道である。僧侶は女色、酒や肉食などを遠ざけ、挙げ句、五穀を絶って生きながら仏と化そうという豪傑まで現れた。
彼らの足元にも及びもしないが、その精神のかけらには接触できたような気がしている。
荒行というものは、周囲の者からすれば痛々しくもあり、ときにはバカバカしく見えるものである。
だが、当人にしてみれば、これほどエキサイティングな体験はなかなかない。私もかつて経験したことのない快感と満足感を得た。
だが、その感じ方に性差があるらしいことがわかってきた。
男女の超えがたさというものは、まさに「行」というものに対するスタンスの違いに凝縮されるのではないか。
自分を痛めつけてニンマリする。そんな男はたくさん知っているが、そんな女はいるだろうか。私の知るかぎり思いあたらない。
むろん例外もあろうが、この傾向が厳然と存在することを私は確信した。
習い事と修行。一見似た両者であるが、希求するものはどうやら根本的に異なるようである。

写真:こんな本が書棚にあった。おもしろかったが、なんか違うなあという違和感があった。その理由がようやくわかった。

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渡部昇一先生、ホリエモン、小柴教授、神田昌典さん、佐藤優さん、加藤鷹さんーー15年で約500人の方にインタビューしてきた。彼らとの「格闘」は人生の宝だ。
収録が終えたら、観覧者も交えてスタジオの近くでパーティ。それが終えると、今度は渋谷から神楽坂に移っての二次会、三次会、四次回。我が世の春とは、あのことをいうのだろう。
ところが、リーマンショックで一変。予算が削られてからは、リクルート浪人を動員しての布陣に切り替えた。私もインタビュアーからパーソナリティに転向した。
浪人たちも持ち味を発揮し、結果的に「聴きたかった番組」を完成させることができた。
収録後は、隣のコンビニでビールを買い公園で飲んだ。みんな明日をも知れぬ浪々の身の上であったが楽しかった。
バーテンダー、ボディビルダー、フーテン、そして断酒家。
番組が終了して、再びそれぞれの道を歩み始めた。いつになるかわからないが、おたがいの道を登り、頂点をきわめよう。そして、そこで再結成しよう。

写真:キムトモ、谷口山泊、木下裕司ーーUSENビジステ・パーソナリティの面々。「探偵! ナイトスクープ」ばりの自己啓発番組をつくりたかった。それをなし得たのは彼らのおかげ。ありがとう。

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遊び人がモテると勘違いして、無理して遊んでいた。高校時代のことだ。
バブルという時代背景もある。汗水たらして努力するより、要領よくやるのがかっこいいというトンマな価値観が時代を支配していた。世にチャラ男自慢がはびこってきたのは、この時期からであろう。
あれから30年――
飲んだ食った、遊んだ集まった。フェイスブックを見れば、「チャラ男文化」がすみずみまで行き渡ったことがよくわかる。
私も長らく踊らされてきた一人であるが、気づけば50歳も目前だ。
同じ歳頃、信長は安土城を築き、天下統一間近であった。孫正義は福岡ソフトバンクホークスを設立し、さらなる事業展開に意欲を見せていた。
しかるに、こんなじじいがチャラチャラしているのはどう考えてもおかしい。フェイスブック君が4年前の記事をほじくり返してきて、私を赤面させるたびにそう思う。
もはや浮かれている場合ではない。人生の大事に向けて死にものぐるいの努力を重ねているべき時期であろう。
躍動的に活動できるのは、せいぜい今後25年だ。
司馬遼太郎先生は72歳で亡くなった。26年後、私はその歳を迎える。
楽して楽しんで72歳を迎えたところで、なんの人生であろうか。にわかにそんな焦燥感に駆られてきた。
モテたくて必死だった20代、金持ちになりたくてがむしゃらだった30代。
何にせよ、人間何かを追い求めているうちが花だ。
戦後、貧困で苦しんだ世代はカネや家に執着した。
彼らの時代の犯罪は、かっぱらいに始まり保険金殺人に行きついた。犯罪は世相を反映する。
こんにち、その対象は「愛情」に移った。愛情や賞賛を求めて、人びとはさまよう。ストーカーやリベンジポルノなどはその仇花である。
では、20年後どうなるのか。犯罪は「完全燃焼」希求型になるだろう。
志がない。燃えられる対象がない。そんな不完全燃焼感を苦にして自殺したり、やけっぱち犯罪に走ったりする者が出てくるに相違ない。
世俗的な欲望はおおかた満足している私がいま飢えているのが、まさにこの完全燃焼感だ。
こんな生煮えのままでは死ねぬ。そんな思いを年々強くする。これは歳のせいだけではない。成熟社会に生きる上での宿命なのである。
もういいオヤジだ。チャラチャラしている場合じゃない。もうチャラ男といわせない。
写真:司馬遼太郎先生のお墓は清水寺の隣の大谷本廟にあります。過日の京都行きの際は、お墓参りの後、先生が少年期過ごした竹内集落、司馬遼太郎記念館を訪問。司馬遼太郎を堪能した1日でした。

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坊やが通う幼稚園はすごい。何がすごいかといえば、我が家以外いずれも移住組なのである。
札幌、川崎、大阪、渋谷、岡山など、子供の教育のために越してきた。まさに現代の「孟母三遷」である。
一昨日、パパ友による忘年会が開かれた。こんなに楽しい宴はなかなかない。すっかりはしゃいでしまった。
その夜、余韻にひたりながら、私の「ふるさと」はここなのだと確信した。
パパ友たちは年齢、価値観、ライフスタイル、学歴、仕事、感性など何かと近いものがある。
それに居住地の近さが加わった。これぞ成熟日本の「新しい村」である。
司馬遼太郎は「故郷にくるまれて生きることが幸せである」といった。
だが、故郷を持つ現代人はどれだけいるだろうか。地域社会は崩壊し、ひとたび都市に出れば、根無し草人生への片道切符。
帰郷することも、新たな「ふるさと」を発見することもできぬまま、東京砂漠で行倒れとなりかねない。
一方、我が義弟は地元生え抜きで、これまで「村」を出たことがない。まさに帰郷にくるまれて生きている。そんな彼の活動の拠点は消防団である。
防犯や祭礼を中心とした地域活動に精を出し、集っては酒を飲み、家族ぐるみで旅行をする。
消防団は現代の若衆組なのだろうか。男たちは消防団を通じて地域の「オトナ」になっていく。
その点、都市生活には、こうした成熟化機能が欠落している。出会いはあっても、「村」を構成するに至ることはきわめて少ないだろう。
だが歳をとると、誰しも「村」を恋うようになる。そのとき、残されているのは飲み屋くらいかもしれない。
飲み屋とは、都市生活者のかりそめの故郷なのだろう。だが、そこに成熟機能は期待できない。
お客同士が地域の問題を解決するーーいま求められているのは、そんな消防団機能を持った飲み屋なのかもしれない。
写真:京都八瀬。ここに永住しようと考えたが、草花を植え替えるようにはいかなかった。ふるさとを発見するのもなかなかたいへんだ。

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はやしださんとは、とある番組の懇親会で知りあった。2年ほど前のことだ。
ひと回り上の酉年、誕生日も同じ10月2日。心理学を専攻し、叙情の指向性もよく似ている。今夏、はやしださんは孫娘を、私は娘を授かった。
さらにはやしださんは、私が保有する京都のマンションの初代副理事長で、あろうことか部屋は私の真上であった。
数奇な縁の極めつけは同じ時期に断酒日記をつけ始めたことだ。いや、彼のが1週間ほど早い。私はそれに触発されたのだから。
そのはやしださんと京都で面会した。
これまでシラフで、はやしださんと会ったことがない。対面するときは、おたがいすでに出来あがっていた。
酔っ払い同士がシラフで対面すると、妙な気恥ずかしさを覚えるものだ。
それはさておき、彼との対話で得た着想がある。
それは、酒飲みはたとえアルコールを摂取してなくても、「酒気帯び」になるという論点である。
思いあたることがある。8月に書き上げた原稿がある。これを断酒後読み返してみたら、酒の臭いがプンプンしていて読めたものではなかった。まさに酒気帯び原稿なのである。
文章全般に酔いがみられ、ところによっては酩酊している。
これでは人様にお見せすることはできない。私は原稿を全面的に書き直すことにした。
繰り返し手を入れるうちにしだいに酒気が抜けてきて「シラフ原稿」に仕上がった。
これは原稿にかぎった話ではない。たとえば人相。
酔っ払っているときのご機嫌顔がふだんの表情に貼りつくのだろうか。酒飲みには、よくいえば恵比寿顔ともいうべき、ニンマリした笑みをたたえている人が多い。親父の兄弟などまさにそんな顔ばかりだ。
顔立ち同様、心も穏やかならば恵比寿さまとして愛されるのであろうが、そうではない。いきなり荒恵比寿に化けるのだから困ったものである。
このあたりの感情起伏の激しさも酔っ払い特有のもの。飲酒時の感情のありようが常態化してしまったのであろう。
こんな話を小一時間。はやしださんとの語らいは共鳴の連続だった。同病相憐れむ。イタイところに手がとどく。
せっかくこんな「病」を授かったのだから、元を取らねば損ーーこんな結論で、酔っ払い同士のシラフ対談はお開きとなった。
写真:お土産でいただいた三宅八幡の「はと餅」。子供の健康な成長を祈って、きょう家族でいただきました。

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断酒してから初めてのひとり旅。いくつか用事を済ませたら、午後2時に大阪鶴橋にいた。
以前なら、それから新世界あたりで飲んで、定宿のサウナに泊まって、翌朝、青春18きっぷで関西本線から中央西線を乗り継いで東進したことだろう。
当然朝から車中で飲む。それどころか、途中上諏訪か甲府あたりで降りて、行きつけの飲み屋に行っていたはずだ。
ところがその4時間後、夕刻6時には仕事場に帰着していた。
東海道新幹線なんてめったに乗らない。乗るとしても、あえて「こだま」を選んできたが、来あわせた博多発「のぞみ」に乗車。
高尾には新横浜駅から横浜線が早いのだが、私はたいてい東京駅まで行って中央ライナーに乗っていた。すべては飲むためにである。
だが今回は、横浜線利用。つり革につかまりながら本を読んでいた。
こんなビジネスマンの出張のような旅は過去に記憶にない。
飲まないというだけで、これだけ行動がシンプルになるのか。これには自分でも驚いた。
写真:當麻寺名物の「中将餅」。目の前でさっさとこしらえてくれたよもぎ餅。日もちしないので自分用。車中で茶を飲みながら7個すべていただきました。

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朝日新聞「天声人語」には予告なく掲載される。もう10年も前になるが、私の発言が紹介された。
そこからたいへんなことになった。マスコミの取材やら講演やらで引っ張りだこ。
NHK「おはよう日本」で特集が組まれ、その煽りを受けて、翌年「第17回社会起業家賞」を受賞した。
大新聞にはひと通り載り、いろんな大学や団体から出講依頼が相次いだ。
元来サービス精神が旺盛なので、こころよく応対していたが、ストレスにも感じていたのだろう、酒量が増えた。
NPOを主催し、お年寄りから聞き書きを行う好青年ーーこれが、私に求められた人物像であった。
こんな日記を書いていることからもわかるように私はそんな人物ではない。
だが、世間はそれを許さない。聖人君子のごとく私を崇めたてまつってくれる善男善女たち。彼らのあたたかい眼差しを裏切ることは私にはできなかった。
私は虚像を演じた。自分を裏切った夜は、深酒しておのれを取り戻す。そんな日々が続いた。
5年前、もうマスコミには出ないと決意してから、ようやく私を苦しめてきた虚像が影をひそめてきた。ようやく身辺に平穏が訪れた。
電話1本かかってこない1日がいかにありがたいことか。断酒できたのも、こうした平穏無事の日々があってこそだ。

写真:こんな冊子を出してました。資料としての価値はとても高いと思います。だが、もはや話を聴きたいと思うお年寄りがほとんどいなくなったので、活動は停止しました。

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原発事故を受けて京都に疎開したのが4年前。永住しようと思い始めた矢先、いい物件が出たのでマンションを購入した。
リフォームもバッチリ、引っ越しも終えた。さあこれからというとき、坊やがよちよち歩きを始めた。
そうなると、とたんに窮屈に感じられてきた。放射能汚染も収束(?)したようでもあるので、居住わずか数ヶ月で東京に引き上げることにした。
その後はときどき別荘として使っている。友達にも貸したりしてきた。
比叡山の麓の最高の環境でとても気に入っている。老後はここと決めているが、なにぶん遠いからめったに来られない。
賃貸に出そうと決めたが、もたもたしているうちに年の暮れ。きょうは風を入れに久々にやって来た。
京都には一生に一度は住んでみていただきたい。
2週間でもいい。暮らしてみると京都どころか日本の見え方が変わってくるはずだ。
大晦日の洛中の正月支度、洛北岩倉の民家のたたずまい、上賀茂神社界隈のの夏の夜闇ーー私が好きな京都三景だ。
河原町の飲み屋に行くのもいいが、地元のスーパーや市場で食材を求め、自分で料理してみる。
大原の油揚げや豆腐、舞鶴あたりから来る魚介を肴によく飲んだものだ。
比叡山にかかる月や変幻目まぐるしい冬場の天候は、酒の味を引き立てる。
思えばここは飲むには最高の場所である。それこそ飲むためだけにここを維持してきたようなものだ。
さて名残惜しいが、ここを貸し出すことにし、昨日不動産屋に広告を頼んできた。
すぐ近くにエクシブ八瀬離宮もある折り紙つきの立地。国際会館駅、八瀬比叡山口駅が最寄り駅。冬場は全館暖房で暖かい。
セカンドハウス、親孝行にもお奨め。
この記事をご覧になっていて興味がある方がいれば、ダイレクトメールをください。不動産屋の連絡先を伝えますので。
尚、以下の動画をご覧になれば、雰囲気がよくわかるかと。
1.室内案内
https://www.youtube.com/watch?v=agiZ4SUlF8Q
2.エントランス周辺
https://www.youtube.com/watch?v=QN2i_AE8s3M
3.周辺
https://www.youtube.com/watch?v=Tx5imPyL6Gc
写真:目の前には高野川。見上げれば比叡山。あの山の向こうは大原の里。最高です!

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2時に起きるべく、7時ころ寝床に就くようにしてから1週間ほど経とうとしている。
結果は惨憺たるものである。あれだけ眠気が襲って来ていた時間帯なのに、寝ようと思うと眠れない。
たとえ寝ついたとしても1時間ほどで目覚めてしまい、その後、寝床でもんどり打って、結局起き出してしまう。
寝ようとすれば眠れぬ。起きようとすれば眠くなる。こういう時つくづく思う。心とはなんと偏屈なものか。
ひょっとしたら身中には、私の理性とは別個の知性が巣食っていて、そいつが邪魔をするのかもしれない。
天邪鬼とよばれるものがそれなのだろうか。それとも潜在意識か、はたまた野生の本能というやつなのか。
何なのかわからないから、ひとまず「ヤツ」とよぼう。
ヤツの存在を特に感じるのはダイエット中だ。
急激に痩せると、ヤツが「お前、いったい何をやろうとしているんだ? 俺を殺す気か」と問いかけてきて、抵抗を始める(ヤツとの戦いに敗れるとリバウンドする)のである。
ヤツからすれば、宿主たる身体が急激にやつれてゆくことは、おのれの生き死にに直結する問題だ。心配になるのも無理もない。
一方で、ヤツは私の頭脳で考えていることは理解できないらしく、ダイエットとは何たるかはわかっていない様子である(なんだか我が子をみるようだ)。
ダイエットが厄介なのは、贅肉を落とすだけでなく、ヤツも宥めなければならないからだ。
思うに、この図式は自分と世間との関係によく似ている。
世間に何らか作用すれば、何らかの反作用が返ってくる。
変革を成し、それを安定させるには、辛抱強く働きかけなければならない。それはヤツを手なずけ、減量を成功させるのとよく似ている。
「自分を改革できない者が世の中なんて改革できるわけがない」といったのは誰だったか(コヴィー博士だったかな)。
陽明学でもいう。
「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」
世間との関係に悩んでいる諸君、まずはダイエットか断酒でもして「心中の賊」を打倒してみてはいかがだろうか。
その勢いをかって世に打って出れば、「山中の賊」など、意外とちょろく感じられるはずだから。
写真:金沢経由なら京都に行くのも楽しい。4時半に高尾を出て京都に11時着。4000円余分にかかるけど、東海道新幹線よりずっと楽しい。
これで北陸新幹線踏破。JR全線完全乗車のタイトル防衛♪

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最近ふしぎな感覚にとらわれる。それは「断酒していない」ような感じになるのである。
かといって、飲んでいる感覚があるわけでもないし、じっさい飲んでもいない。
これは解脱症状(←造語)かもしれない。本格的に酒を意識しなくなったということだろう。
断酒以来、日々の目的は「飲まない」ことであった。飲まずに1日を終えられれば「勝利」であった。
仕事もろくにせず、毎日酒対策ばかりに精を出してきた。
だが90日にもなると、さすがに慣れてきて余裕が生まれてきている。それが冒頭で書いたような心境をもたらしたのだろう。
何をもって「当たり前」とするかが文化であるという。
我が盛池家は「大酒を飲む」という文化のもと、おそらく何百年も代々飲み続けてきたのだろう。
放っておけば、この文化は坊やにも受け継がれてしまう。だが、こんな文化は私の代で食い止めねばなるまい。
酒が貴重品である時代ならともかく、ここまで手軽な品になってしまったからには、よほど注意せねば身を持ち崩すことになるからだ。
私のモットーは「子孫繁栄」である。先祖たちもそうだったのだろう。子孫に美田を残そうと奮闘努力してきたことを私は知っている。
だがこの時代、子孫に残すものはもはや田畑ではない。では、カネや株券、不動産か。いや、そういう時代も終えようとしている。
いま我々が子孫に残すべきは、よき文化ではないか。
よき1日の習慣、よき1年の行事ーーその集積こそがよき文化を織りなす。
3代先の子孫たちが感謝してくれるような文化を構築してゆきたい。これでようやくご先祖様に顔向けできるというものだ。
写真:私鉄9社スタンプラリー、5日かけてようやくコンプリート。首都圏の私鉄はつらかったなあ。

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プロデュースしていたラジオ番組で、神楽坂のお坊さんにご出演いただいていたことがある。
互井観章さんという、当時40代半ば、いまの私と同じような歳のころの僧侶であった。
観章さんは「東京ボーズコレクション」を手掛けるなど、横紙破りのお坊さんとして知名度を上げていた。
いかにもこれからテレビでコメンテーターでもつとめそうな雰囲気であった。
そんなころ、いきなり100日間の荒行に出てしまった。
ごくわずかの睡眠時間でひたすら修行に打ち込む日々を送ると聞いて、私はそのわけを尋ねてみた。
すると観章さんは「いまやらないと、ダメになるからですョ」とニコニコしながらおっしゃった。
「本業」以外でも誘惑が増えてきたこの時期だからこそ、我が身を律しなければならないというのである。
当時の私はその意味がよくわからなかったが、いまならわかるような気がする。
思えば、観章さんの100日修業は、私にとっての断酒ではなかったか。
男の四十代、自覚的に生きるか漫然と過ごすか。おのれを疑うところからすべては始まるもののようである。

写真:大阪の「おかん」から長芋をいただきました。とろろ、千切り、焼き物にして日日味わっています。おかん、ありがとう!

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「夫婦の会話を増やそう」というメッセージがはびこっているが、私はこれに異を唱えたい。
むしろ夫婦の会話は減らすべきだ。なぜなら、減らすことによって阿吽の呼吸が体得できるからである。
言葉などに頼るのではなく、空気を察しあえてこその夫婦ではないか(――というものの、我が家でそれがなしえているというわけではない)。
男と女なんてものは、一見おたがい人間の形をしているが、別種の生物と考えたほうがよいかと思う。
生命体としての目的も生きるための術も異なる者同士だ。女は男の性衝動はぜったいにわかるまいし、みずからの腹で血液型も違う生命を育て産むなんてことは、男にはとうていわかるはずがない。
わかりあえないと思えばこそ、おたがい歩み寄りが生まれる。これが思いやりというものであろう。
わかりあえると思い、むやみに会話を増やしたところで、結局喧嘩になるのがオチである。
昔のオヤジが、家の中で寡黙だったのは、こうした現実を踏まえてのことであろう。
彼らはもともと無口なのではなく、わかりあえぬ世界をそれぞれ抱える者同士の語らいの不毛さを知っていたのではないか。
よくいえば、言語などで支配しようとせずに、相手の存在を尊重していたということになる。
さて、この日記を書くようになってから俄然口数が減った。元来多弁な私であるが、読者に語りかけることで溜飲が下がったのであろう。
家内をはじめ家族との語らい、というか承認を得たいという欲が失せた。
これが結果として、一家和楽をもたらした。
会話に傾斜した人間関係は、陳腐な求愛行動に他ならない。沈黙に土台を置いた成熟した人間関係に回帰すべきではなかろうか。

写真:『悪妻の日本史』。どうやら妻というものは「良妻ー悪妻」というX軸と「幸運妻ー不運妻」というY軸で区分できそうである。
「良妻ー幸運妻」がベストであることはいうまでもないが、それに次ぐのは「悪妻ー幸運妻」のようである。(^^;;

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飲んだあと、混雑した通勤電車に揺られるのは興醒めだ。だからよく中央ライナーに乗ったものだ。
窓辺に缶ビールやつまみを並べて、高尾まで小一時間の二次会。その後、自宅で三次会。そして翌朝、二日酔いで起き上がれない…
断酒してからは、混雑する通勤電車で本を読みながら帰宅し、それからジョギングするようになった。1日が3倍になったような気分だ。
さて、生活保護の審査官をやっている友人の話で印象深かったのが「受給者はタクシーをよく使う」というもの。
生活保護を受けていながら、タクシー利用はないだろう、とたいていの勤労者は思うことだろう。私も同感だ。
だが、一部の受給者は筋金入りの面倒くさがりで、また浪費癖が激しい。いくら説諭しても馬耳東風。行動が改まることはないと彼は嘆く。
だが思えば、飲んで中央ライナーで帰宅する我々もそれと変わらない。
飲んだら、せめて通勤電車で帰ろう。分際をわきまえて行動しないと帳尻が合わなくなる。中央ライナーは疲れた勤労者に譲ろう。
おもしろいもので、頑張れば頑張るほどるほど頑張れるようになり、怠惰になればなるほど怠惰になるものである。
世にいう二極化とは、帳尻を合わせようとするバランス派とそんなの無視派かたち作られているように思える。

写真:上野原名物の酒饅頭。最近これがうまくてうまくて。坊やと1個ずつ食べる前に3個(あんこ、みそ、とと=マスの切り身)をぺろり。

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以前公言したとおり、この日記はあと2週間ほどでいったん終える。
その後どうするかについて、このところ考えている。
怖れていることは、100日を境に酒癖が復活することだ。正直なところ、100日を一つの区切りとして考えている「自分」がいるので油断ならない。
大願成就するまでは断酒を続ける考えに変わりはないので、100日を淡々と通過できるように今から考えておかねばなるまい。
可能性が高いのは、「耳学問の雄峰塾」というフェイスブックページを開設しているので、そこに記事をアップし、それにコメントをつけてシェアするという方法である。
興味のある方は、以下のページに「いいね」して読者になっておいていただきたい。
https://www.facebook.com/seikejuku/
せっかくなので、こちらのフェイスブックへの投稿も再定義しようと思う。
司馬先生に倣って、自己肥大、自己愛、自己顕示がムンムンしているような記事はアップするまいと決意した。
となると、どんな記事ならそれらのフィルターをくぐり抜けるのだろうか。
なるほど!
びっくり!
おもしろい!
ーーこんな切り口かな、とも思うがどうなのだろうか。
そんな記事、ほとんどないような気もする。だが、それも一つの到達点というものであろう。

写真:郷土資料館での「八王子と鉄道」展は日曜日まで。幼稚園が終えてから、坊やと見に行こうかな。

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忘年会の予定が一つも入っていない。嫌われ者の私は、元々声がかかるほうではないが、例年にない事態である。
だが、原因はわかっている。それは「私が主催しない」からである。
忘年会にかぎらず酒席は、ほとんど私が主催してきた。
酒席にかぎらない。仕事でも家庭でも、たいていのことは私が主導的な役割をつとめてきた。私は「幹事屋」なのである。
幹事に求められるのは行動力、意欲、段取り力、調整力など、ビジネスに生かせるものばかりだ。
私の幹事力は、たしかに仕事には生かされてきた。それによって得たものは少なくない。
だが、これも諸刃の剣。その幹事力は家庭、地域、知り合い関係といったゲマインシャフトにおいては、ともすればあだとなりかねない。
へたに仕切ったりすれば、矢面にさらされ、批判や反発を受けることになる。
たとえ、みんなの役に立とうと頑張ったとしても、それが報われることは少ない。
義民の末路は石をもって追われるものだ。
そう考えると、世の「受け身家」たちは賢明であるといえる。割りに合わぬことに手を染めぬだけでなく、それが周囲との調和につながることを知っているのであろう。
私はこれまで受け身家をばかにしてきたが、じつは彼らこそが平和の体現者なのかとすら思えてくる。
だが、今さら彼らのような生き方は選択できまい。それは血液型を変えろというような話だ。
「幹事」として生まれついてしまったからには、そのなかで賢明度を向上させてゆくほかない。
私が愚かだったのは、「自分の領域」に絞り込めていなかったことである。私は守備範囲外でも「幹事」をつとめてしまっていたのである。
私はしばしば「余事に無用な関心を持つな」と言ってきたが、自分がまさに「余事の幹事」になっていたのである。
本当に必要な場を見極めて、さらに必要に応じて幹事でも世話役でもつとめればいい。
私はこのメリハリがわからなかったのである。
長らく家中で孤立してきた理由がよくわかった。これも断酒のたまものである。

写真:御山人の石。入荷分は完売。小さく始めて大きく育てるのがビジネスの王道ですね。

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よろめきながらも5時起きが定着してきた。
5時に起きようとすると、7時起きは楽勝だ。つい二度寝しても、6時半だったりする。
となると、5時起きを楽勝にするには、3時起きを心がければよいということになる。
北辰一刀流の創始者千葉周作は2時に起き抜け刀を振るった。
身体をいじめぬくことで、胆力や気魄がやしなわれると考えてのことだ。私もかくありたい。
せっかくなら、周作にあやかって2時起きにしてみようか。
2時に起きるためには、7時ころ寝なければならない。
ふつうに働いていれば、そんな早寝はできないのだが、幸いにして私はできる境遇にある。
また、2日に1度程度寝かしつけている坊やはまさに7時寝である。
極度の眠気とたたかいながら寝つかせ、寝息を確認してからプールに行っている。
だったら、いっそのこと坊やと寝てしまえばいいのではないか。
2時にプールは無理だが、ジョギングをこの時間に持ってくればいい。
以前、中庸主義を宣言しておきながら、もたもや極端に走ろうとしているが、中庸以前に断酒の安定だ。
早起きにしても、そもそもは断酒から始まった。早起きしていようと、酒びたりでは意味がない。
夜更かしと酒量は完全に比例する。いまここで7時寝にしてしまえば、断酒の援護射撃にもなるというものだ。

写真:漫画はあまり読まないが、水木しげるとつげ義春はけっこう読む。彼らは師弟関係にもあり、画風も近い。世間を妖怪の巷と見ているあたりが性に合うのかもしれない。合掌。

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大村益次郎は物干し台に上がり、毎晩、豆腐一丁と酒二合を飲んだ。それだけでピタリと杯を伏せたという。
この飲み方に長らく憧れていたが、ついになしえなかった。
断酒はできたのに、節酒はできない。一般的にはそういうものらしい。微妙なバランスをとるより、極端に走るほうが容易なのである。
となると、昨今の「白黒つけよう」という風潮は安易に流れているということに他ならない。
離婚で血みどろの戦いを演じるのはたいてい「下流」であって、「上流」はもっと微妙な対処をするようである。
知り合いの社長は奥さんがビジネスパートナーで、その会社の専務を務めている。
ところが離婚した。だが、役職や仕事内容に変わりはなく、会社の関係はこれまでと変わらないという。
離婚したからといって専務も退任では、顧客や従業員がたいへんな迷惑を被る。
かくも公的な、すなわち社会的地位の高い人びとは白黒つけないグレーな解決策を見出すのである。
喧嘩に持ち込めば、多大なカネ、時間、労力を消耗する。「金持ち喧嘩せず」というのは、こういう叡智のことをいうのではあるまいか。

写真:歩き神主高橋御山人の土産。亀嵩駅というだけで4、5時間は語らえる。「人の幸せは、よき話し相手に恵まれること」と司馬先生はおっしゃっていたが、この歳になってそれを痛感する。

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