22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

カテゴリ:英雄児育成の盛池塾 > 藤野論

以下は、論文「日本におけるシュタイナー教育の動向」(大野裕美/名古屋市立大学大学院)からの抜粋である。
こんにちのシュタイナー教育に対する私の疑義を代弁してくれている。
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育児雑誌 『クーヨン』の定期掲載により、育児層の関心を高め、「シュタイナー的子育て」 というコンセプ トが母親たちの心を捉えた。 そこには、難解な思想は割愛され、シュタイナー教育では子どもをどのように捉えるかが分かりやすく紹介されており、具体的な玩具や育児環境も含めて、興味を促す構成になっている。
シュタイナー教育では、モンテッソーリ教育のように教具というものは無いが、手仕事関係の道具や、本場ドイツから人智学の思想を取り入れ、つくられている木の玩具を中心とするものなどがある 。それらヨーロッパ系玩具を取り扱う店が、「シュタイナーのおもちゃ」として販売したことで、誰でも容易に入手出来るようになった。 このように、表層的なレベルで、思想とは切り離されたかたちで日常生活のなかに入り込んできた。しかし、これらは広がりを加速する一因とはなったが、同時に誤謬も生み出した。木の玩具であれば内容を問わずシュタイナー系と宣伝されたり、自然派志向の高まりにより無農薬 ・無添加であることや、ホメオパシーなどがシュタイナー系と言われたりする。もしくは、シュタイナー教育の一部分のみが抽出され、子ども部屋にはピンクの力一テンが必要であるとか、テレビは絶対見せてはいけないなど、曲解や強調により誤解を招く現象も多々見られる。

シュタイナー学園から、わずか300メートルほどのところに熊が出た。ともすれば、校庭を走りまわりかねない距離だ。
クマは母子らしく、その直前にも近隣の車道で目撃されている。
この時期の母グマは気が立つというから用心したい。
私はよくクマの夢を見る。必死に逃げ惑い、九死に一生を得るという展開がほとんどだ。
クマ恐怖は吉村昭の『羆嵐』に起因する。
体長3メートルもあるヒグマが、北海道の開拓村ひとつを壊滅させたという史実はまさに心胆寒からしめるものがある。
そんなクマ怖しの私であるが、秋田県のマタギの里・阿仁には毎年のように出向いている。イワナ釣りの師匠が移住され、そこを訪ねるのだ。
師匠の家にはクマよけスプレーが常備されていた。近隣に出没するというから必需品だ。今後、藤野にも必要になりそうだ。
いつなんどきクマが出没するかわからぬという緊張感ははかりしれない。
道草食おうものなら「あるひ、森のなか、クマさんに出ああた♪」なんてことになりかねない。
母親の運転するクルマで厳戒登下校。せっかく自然のなかに身を置きながら、むしろ都会以上に炭素文明の世話になってしまうというパラドックスは痛々しいばかりだ。
さらには、先の台風で崩落している箇所もあり、ところどころで大渋滞。「いったい何ゲーよ?」というくらいのエクストリーム通学を余儀なくされている。
でも、母グマ恐怖はたかが知れている。本当に怖いのは気が立った藤野婦人だ。
災害やクマ出没にストレスを募らせた母親のほうが、よっぽど危険だ。
道路が復旧し、クマが冬眠に入っても、藤野紳士の厳戒態勢は続く。

昨日のエントリーで、藤野やまなみ温泉は「モンモンお断り」と記した。
すると暇人東大卒社長から、至近の「東尾垂の湯(廃業)」はモンモンOKだったとの通報。
そこで、実状を確認するために藤野やまなみ温泉に来てみた。
驚いたことにモンモンお断りの表示はどこにもないではないか。あれは夢だったのか。いやそんなことはない。
かの暇人は頼んでもないのに、この件について、さらに調べてくれた。
すると、東京オリンピックに向けてのインバウンド政策で、政府がモンモン(というよりタトゥー)容認を各方面に通達していることがわかった。
そう、モンモン容認は藤野にかぎったことではなく、全国的な潮流だったのだ。
だがこれで一件落着とならない。一方においては、ハンシャ排除の流れは強まるばかりだからだ。
銀行と書類を交わすたびに「塾長は反社会的勢力ではありませんよね?」「なわけねーだろ! 俺は社会的勢力だってのw」
こんな茶番はともかく、ヤクザはクルマも買えない御時世だ。ハンシャ認定されては生活もままならない。
タトゥーはだいぶ一般的になってきた。タトゥー=ハンシャというわけでもないのだろうが、それでもモンモンの一種として色眼鏡で見られるのが現実だ。
ましてや、藤野婦人はなおさらだろう。その多くはモンモン全般に対して寛容性を発揮するとは思えない。
「藤野って、俺たちにも寛容だってよ。多様性っていいよな」なんてハンシャ民が大挙したら、藤野婦人は卒倒するだろう。
モンモン容認をめぐって、藤野が二分することになるかもしれない。
インバウンド政策とハンシャ排除。この2つの激流に翻弄されているのが「多様性あふれるアートのまち藤野」なのである。

藤野やまなみ温泉のモンモン率は高い。温泉側は世間並みに「ご遠慮ください」と警告しているが、事実上、野放しだ。
露天風呂につかっていると、ふつうにタトゥーを見かけるし、あるときは全身彫り物の御仁すら目撃した。
聞けば刺青、入墨、タトゥーはそれぞれ異なるというが、私のような門外漢にはわからない。
その違いを知るべく、じっくり眺めてみたいと思うが、そうもいかない。視界の隅に置くにとどめている。
それにしても、藤野にはモンモン人が多い。これはなぜなのだろうか。やはり「アート」と関係あるのだろうか。
まじまじと観察したことはないが、それぞれ意匠をこらしている。アートといえなくもない。
ラッパーが仲間との連帯を表すためにタトゥーを入れるときく。藤野的連帯のシンボルなのだろうか。
そういうわけで、藤野少年にとって、モンモンは日常的光景だ。彼らにとって、モンモンのハードルは低くならざるを得ない。
アートと「ハンシャ(=反社会勢力)」の象徴とされるモンモンとの折り合いは那辺に得られるのか。一家言ある方、ご教示くだされ👺

ドラクエウォークをやっているせいか、最近しばしば藤野婦人に遭遇する。
出くわした途端、婦人たちは顔を引きつらせる。悪名高き「藤野論」の著者だ。そうなるのも無理もない。
怖がらせるのは私の望むところではない。「よぉ! 元気ィ?」と、ことさら友好的に声をかけるようにしている(ただし私は、大人げないことでは世界的に有名な男だ。ひとりふたり、引きつる顔に一瞥食らわせてシカトしたこともあるw)
それにしても、ずいぶん変わったものだ。何がといえば、藤野婦人の物腰がだ。
「塾長は藤野の救世主です」とばかりに、リスペクトフェロモンをむんむんさせるようになった婦人もいれば、「敵にまわしたら大変」とばかりに媚び媚びになった婦人もいる。ブログひとつで、こうも関係性が一変するものかと驚かされるばかりだ。
先ごろ、怪力の大阪人が遊びにきていたので、被災地復旧ボランティアに出向くことにした。
友人の実家が地滑りで、なぎ倒されたので、その片づけに行こうというわけだ。
だが結局、やまなみ温泉、大和家、グダンコーヒーと藤野見物に終始し、夕暮れ時「御見舞」を渡してお茶を濁すことになった。
その晩、我が家での一献。当地での見聞を踏まえて、かの大阪人はこう切り出した。
「塾長、いま藤野に必要なのは『したいなあ教育』とちゃいますか」
私は早稲田大学教育学部で、子安美智子先生からシュタイナー教育の手ほどきを受けた。
今は亡き先生がシュタイナー教育を通じてもたらそうとしたのは、じつは「したいなあ教育」なのだったのではないか。
大阪人のひと言で、シュタイナー教育の本質を垣間見たような気がした。これについては、これから研究していきたい。

武蔵小杉と藤野は似ている。前からそう思っていた。
オサレなまちのタワマンライフとロハスなまちのほっこりライフ。
一見違うが、ともに意識高い系ファミリーによる戦略的居住という点で酷似している。
両者は今回の台風災害で明暗を分けた。
台風によって藤野は陸の孤島と化した。中央道、甲州街道、JR中央線が寸断。台風通過後、何日にもわたって、都内に出るのに何時間もかかるという有様である。
私は少年期から、何度もこんな経験をしているので、高尾駅前に拠点を設けるなどの対策を講じてきたが、新住民たちにとっては、田舎暮らしの厳しい洗礼を受けるかたちとなった。
ただ藤野民は、おたがい協力しあって難局を乗り越えようとした。
メーリングリスト「よろずや」では、交通情報や送迎支援、物資の提供から被災地復旧ボランティア情報まで、活発にやりとりがなされている。おたがい支えあおうという姿は麗しい。これは藤野のよさといえよう。
一方の武蔵小杉。こちらは、抜け駆けウンコの犯人探しが始まるなど、住民同士の疑心暗鬼が渦巻いているという。
ネットでは「ムサコざまあ」という声があふれ、これまでお高くとまっていたムサコ民は一転、揶揄の対象に陥ってしまった。
これでは居住地として復旧したとしても、ブランドはもちろん、コミュニティとしての復興も果たせそうもない。武蔵小杉こそ災害ディストピアの典型といえよう。
その点、藤野は災害ユートピアといえる。災害を通じて、人びとのつながりが生まれ、絆が強まった。藤野冥利に尽きるというものだ。
だが、手放しでは喜べないのではないか。私は警鐘を鳴らしたい。
今回のユートピア実現が「成功体験」になると、災害依存体質になってしまうからだ。
江戸に火事が多かったのも、町火消したちが、もてはやされすぎたからではないか。
表立って災害を期待する者はほとんどいない。だが「活躍の場」への期待感は潜在意識として「地域の気分」に刷り込まれる。
いまだ渦中の藤野民に物申すのは酷かもしれない。だが、ひとつ戒めておくべきことがある。それは、今から重心を下げておけということだ。酩酊してはならない。
淡々と災害対応にあたり、終えたら火照りを冷まし、一刻も早く日常に回帰すべきだ。
でなければ、これ機に災害待望気分が沈潜することになろう。そして、その想念は現実の災害を惹起しかねない。
武蔵小杉的「災害ディストピア」をまぬがれた藤野であるが「災害ユートピア」を誇示している場合ではないのである。

一昨日、近所のスーパーで藤野婦人と遭遇した。
とたんに表情がなごんだ。婦人はじつにチャーミングで、私のような圭角者でも、彼女を前にするとニコニコしてしまう。
ひとしきりおしゃべりして辞去したが、以来、私はなんとなく居心地の悪い思いをしている。
藤野論で、藤野小町をあげつらったことは一度もない。だが藤野に暮らす彼女は(読んでいるか知らぬが)藤野論のために迷い混乱しているかもしれない。
ひょっとしたら、旦那さんとの間に変な空気が流れ込んでいるかもしれない。そんな妄想がずっと私をさいなんでいる。
この煩悶がいかなる論を紡ぐのかは、まだ見えてこない。ただ、彼女が心配していた我が夫婦仲についてまで心労をかけるわけにはゆかぬ。
藤野小町さま 
ありがとう。我が夫婦仲は「よい」かどうかはあやしいけど、少なくとも「お盛ん」です。第三子を授かるかもしれないくらいw (*´∀`*)
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【塾長ブログより】男には静寂が必要。すれ違い夫婦だからうまくいく
「別居」といえば、人聞きが悪いから「別宅」とでも呼ぶべきか。家内と同じ屋根の下で過ごすのは、週に2日か3日だ。
たとえば今日。わたしは八王子の家で日がな一日読書。家内と子供たちは、昨日から山梨の家で、我が両親や親類たちと過ごしている。平日は、これが逆になる。
私は自由業、家内は専業主婦なので、放っておくと四六時中いっしょにいることになりかねない。
上手にすれ違わなければ、いくら仲がよい夫婦でもストレスがたまる。時には、火花が散ることだろう(ましてや、うちなどなおさらだ)。
一部の人から「すれ違い夫婦は、子供にとって悲劇」「家族はつねにいっしょにいるもの」という批判を浴びることもある。だが、そう思っているのは、たいてい女性である。
夫のほうは「ああ、たまには、ひとりでいたいなあ」が本音なのであるが、口にできずにいる。彼らは、通勤の途上、つかの間の静寂を味わうことでよしとしているのだ。
女性諸君には、なかなか理解できないだろうが、男には「静寂」が必要なのである。
孤独な時間がなければ心は冷え、魂は枯れてしまう。ときには、ひとり静かな時間を持つことで、心身を回復させる必要がある。
そういう意味で、母親のこまごまとした世話は、少年にとって「騒音」でしかない。そして、ひっきりなしに騒音にさらされた子供は疲弊して、やがて活力を失っていくことになる。
何度も言うが、男には静寂が必要だ。すれ違いシステムは、そんな男を癒やしてくれる、家内安全方略なのである。上手にすれ違ってくれる家内に感謝したい。

34年前の夏の昼下がり、私は河合塾の模試をさぼって、新宿のアルタビジョンでライヴエイドの中継に食らいついていた。
我が両親は洋楽にうつつを抜かす私を弾圧したので、家ではテレビをみられず、こうした仕儀になったが、苦難の末の体験はむしろ感動を生み、今もなお記憶の印画紙に強く焼きついている。
中学生の頃、英語の個別指導を受けていた先生がNHKのラジオ講座を受け持つことになった。その初回で流れたのが「Radio Ga Ga」だった。
「へえ、先生はこんな曲が好きなんだ」と驚き、それがきっかけでクイーンを少しかじったが、フレディ マーキュリーの風貌とパフォーマンスは当時の私にはハードルが高すぎた。
マッチョのホモおやじという印象が強烈で、その音楽性、ましてや人間性に共鳴することはなかった。さらにその後「不治の病エイズ(当時)」に罹患していると囁かれるに至り「きめえー」となって早三十有余年。
フレディとはジャンルも違うしスケールも比較にならないが、30歳過ぎの頃、私は「時の人」になったことがある。神楽坂時代のことだ。
NHKで特集され、四大紙でも賞賛された(「天声人語」にも出たぞ)。さらには、今はなき親方日の丸銀行からも賞を頂戴して、さらに箔をつけた。
ビジネスも絶好調。我が世の春とは、あのことをいうのだろう。上げ潮とカネにものを言わせて、私は放蕩のかぎりを尽くした(いや実際は、そうでもしなければ、自分を維持できなかったのだが)。
ある日、常軌を逸した私の「交際費」について税理士が苦言を呈した。私はキレて「プロなんだから、なんとかしろ!」と暴言を吐いて、その場で契約を切られた。こんなふうにして当時、たいせつにすべき縁をずいぶん失った。
同時に夜の巷では、さまざまな出会いがあった。私はゲイではないから、そっち系のつきあいは御免こうむったが、情を交わした女性は少なくなかった。
そんなとき、30代以上でエイズ発症者急増中というニュースを目にした。驚愕した私は即座に電卓を取り出した。すると、私の感染率は「50%」(もちろん私流の超計算だw)。
以来、2ヶ月にわたって私は廃人と化した。日がな一日、エイズについて調べまくっては絶望の淵に立ちつくした。前後2度、大久保の最前線病院で検査を受けた(潜伏期間があるんです)。
童貞と処女によって懐胎した私が何故こんなことに――。あの時ばかりは、尊敬する祖父由来の荒ぶる血を呪った。
ともあれ私は無事生還した。そしていま「ボヘミアン・ラプソディ」をみて元気に号泣している。
この映画でLGBTに対する認識は一変した。元来偏狭な私だが、すこし多様性受容度が高まったように思う。
だがLGBT諸君よ、時勢を背景にして、のさばってはならぬよ。それでは藤野民の轍を踏むとになる。
フレディ マーキュリーにしても苦悩に煩悶を重ねて、それを楽曲に昇華させた。追い風に便乗しておのれを安売りすることなく研鑽し続けるように。さすれば、その特異ともいうべき個性は伝説として語り継がれることになるかもしれない。
抑えきれぬ衝動と冷徹な自己客観視という、アクセルとブレーキのスパークがレジェンドになる。上っつらだけ真似て、フレ男やマキュ子になってはならない。それは、あなたが憧れるフレディ マーキュリーとはいちばん遠い姿だからだ。

いい歳こいても、虚栄心や自己顕示欲といった俗欲はなくならないものだ。いま私が書いている、この文章にしても「俺のことを誰か認めてくれー」という切ない叫びに他ならない。
生々しい欲望をそのまま露出してしまえば、酩酊おやじや暴走BBAになってしまう。意識の高さを自認するのであれば、その表出においても意識高くありたいものだ。
前回、SNSリア充おやじや自己陶酔婦人をあげつらったのは、ひと言でいえばカッコ悪いからである。みっともないのだ。
「俺、農業やってんだぜー(かっこいいよね)」「私って、こんなに子供思いなんだあ(うっとり)」と中学生並みの自己愛がほとばしる。そんな青春ど真ん中の爺婆を私は正視できない。
人生をかけて、美意識に磨きをかけてきたかどうかは、こういうところに表れる。
その技倆なくば、貧困なる精神は周囲には丸見え。わかっていないのは本人だけだ。SNSは「裸の王様」製造機でもあるのだ。
自慢したい、優越感にひたりたい、自己陶酔したい、自己肯定感を満たしたい、褒められたい。その気持ちはわかる。私など、その気持ちは人一倍強い。
でもステージに上がりたいのなら、技を体得せよ。芸を磨け。醜い自己愛を揮発させ、鑑賞に耐えうるものにするのだ。
藤野民よ、我が子にむやみに芸術にふれさせるよりも、おのれの自己表現技法を磨くことが先決だ。そのほうが、子供の美意識を高めるはずだぞ👺

藤野に絡めて揶揄してやろうと手に取ったが、逆にねじ伏せられてしまった。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』は最高の本だ(タイトルはしょぼいがw)。
論旨をひと言で述べれば「美にふれて、美意識に基づいた自己規範を持て」ということになる。これは私の『英雄問答(ゴマブックス刊)』のメッセージと通底する。
おのれの愚劣さを戒めるために、私は本書を書いた。また私の気質を受け継ぐであろう子々孫々に、自己客観視するための視座として活用して欲しいという祈りも込めた。
私は自分の醜さや愚かさにつくづく嫌気がさしているので、同じように醜態を晒し、愚行を犯す者に対しても強い嫌悪感を持ってしまう。近親憎悪というやつだ。
インスタ映え農業をせっせとSNSにアップするリア充自慢おやじ。お仕着せの「自然」の中で遊ぶ子供の群れに目を細める自己陶酔婦人。教条主義に陥り、髪を振り乱して暴走する視野狭窄BBA。
いずれも、虚栄心、怯懦と傲慢、自己肯定感渇望、視野狭窄、慇懃無礼な優越思想、自己顕示欲といった俗欲を露呈していて、そのお尻丸出しぶりには目を覆いたくなる。むろん、こうした藤野民の姿は私自身の姿でもある。他山の石とすべきだろう。
ではどうしたら、幼稚な自己愛表出を「美意識に基づいた自己規範」へと錬磨できるのだろうか。冒頭の書は、そのヒントを与えてくれるはずだ(拙著『英雄問答』もお薦めダヨw)。
追記 そう考えると「藤野」は、マイ真善美確立の好適地なのかもしれない。イタさあふれる反面教師には事欠かないし、玉石混淆アートにふれることもできるからだ。

法事で藤野の親戚に会った。彼は私と同年代だ。ともに東京からのUターン組だ。
親戚「子供の時は(藤野が)いやだったね。早くここから出たいと心底思ってた」
私「でも、この歳になると、なかなかいいよね」
親戚「ほんと、そう。だんだんよさがわかってきた」
人間には発達段階がある。大人にとって「よきもの」を子供にとっての「よきもの」にあらず。押しつけていると、いずれしっぺいがえしがくる。関連エントリーを再掲しよう。
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子供の頃は好きでもなかった根菜や青魚がじつにうまい。だからといって、我が子に「こんなうまいもの、なぜ食べないんだ」と言うつもりはない。
人にはそれぞれ発達段階がある。味覚同様、価値観も段階を経ながら培われてゆくものだ。
段階無視の跳躍強制は、幼少期のトラウマとなりかねない。いずれ相応の反動が起こることを覚悟しておくべきだ。
ところが、家庭教育においては、こういうことが頻繁に起こる。
たとえば、いま流行りの農業。農作業は子供の情操教育にいいという(その物言いは健康食と通底している)。
わたしも三十代半ばになったあたりから土いじりの愉しさに目覚めた。紅葉や青葉の美しさにも感じ入るようになった。
その頃から、無性に田舎暮らしがしたくなって、新潟や京都の山村に物件を探し回った。よくロハス雑誌を読んだりしたものだ。
とくに子供を持つと、この傾向は強まり、「よい環境」に対する意識は俄然高まる。
だが、大人にとって「よい環境」は果たして子供にとっても「よい環境」なのかは疑わしい。
わたし自身、山や川に囲まれた緑豊かな「よい環境」に育った。だが、子供心にそれはじつに退屈に思えた。
わたしは都市=「悪い環境」に憧れるようになり、田舎=「よい環境」を脱出するべく、もがきあがいた。
こんな経験は、わたしにかぎったことではない。
コンビニもろくにない所より、マクドナルドやゲーセンのある所のほうがワクワクするのが子供の心情だ。その発達段階を尊重してあげたい。
それどころか、「よい環境」を強いられると「悪い環境」に憧れるようになる。「よい食い物」を強いられると「悪い食い物」を渇望するようになる。そんな哀しき反動こそ、理想に燃える親は警戒すべきではないのか。
親たちは、おのれが長年かけて到達した価値観を、いきなり子供の口の中に押し込むようなまねは慎むべきだ。
もし、子供にロハス暮らしや「よい食い物」を日常にしてもらいたいのなら、自分が本心から愉しんで喜んでいる姿を見て、真似するようになってもらうほかない。
うわっつらのポーズや演技など、子供は見抜いている。「よい子」だから、それを包み隠して無邪気を演じているだけだ。
彼らの真意を見過ごすと、いずれ暴発か無気力という末路をたどることになる。
子供は子供。「小さな大人」にしていると、長じて「大きな子供」になってしまうのである。

家内はのんびり屋なので、私がいないと子供たちの就寝時間が遅くなる一方だ。でも、そんなときこそカリカリしてはいけないと、おのれを戒める。こんな忌まわしいことがあったじゃないかとw
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しばらく前になるが、幼稚園のパパ友数名で懇親会を企画した。会場は幹事たる我が仕事場。聞きつけた坊やが行きたいというので、おいでと言った。
数日後、参加者のAさんから「子供の参加はいかがなものか」というメッセージが入った。
私は「翌日休みだし、さっさと寝てしまうから問題なし」とこれを一蹴(そもそも、そんな理由を述べる必要もないが)。
すると、こんどは参加者Bさんからも横槍が入った。
なにやら奥歯に物が挟まったような言い方なので尋ねてみると、Aさんの奥さんから圧力がかかったらしい。それも、Bさんの奥さんを介してだ。
私はスルーした。Aさんの奥さんから、そんな要求をされる筋合いはないからだ。
当時、坊やが通っていた幼稚園は、シュタイナー教育に基づいていて、食事、衣服、言葉遣いなど、じつにさまざまなルール(明文化されていないから空気を読むw)が多かった。そのひとつに早寝早起きがある。
もちろん早寝早起きはいいことだ。うちでも、子供たちは8時には床に就いている。だが、それを他人に勧めるつもりもないし、ましてや強いることなどありえない。なぜなら、そんな言動こそ、子供にとってもっとも有害だからだ。
瑣末なことにピリピリして、意に染まぬからと騒ぎ立て、平然と他人に強要する。こんな親の言動を真似した子供たちは、いずれ社会で孤立することになる。これでは、早寝早起きして健康になったところで何の意味もない。
木を見て森を見ず。目先のドグマに縛られて、より高次の価値が見ないのだ。
視点を高めるためには、おのれに対する苛烈なまでの客観視が不可欠だ。だが、教育熱心な小皇帝たちがそのような成熟の機会を持つことは期待しにくい。

昨夜、藤野離脱者と懇談した。学生時代に「藤野」に入れ込んだが、そこで出会った藤野芸術家は、今にして思えば「アーティストを気取るパリピー」ばっかりだった。その一刀両断ぶりは、この藤野論を凌駕していたぞ。
かつて比叡山には、三千人もの僧兵がたむろしていたという。僧侶とは名ばかり。薙刀で武装した僧兵の跋扈の有り様は、藤野をめぐる状況と酷似するようにも思える。
本物が「芸術家を気取るパリピー」によって壟断される。藤野がそんな虚妄地帯にならぬか心配だ。この件を考える上では、以下のエントリーが参考になるかもしれない。
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収録後のタクシーの車中。グロービスの堀義人さんが「まもなく4人めの男の子が産まれるんだよ」とおっしゃった。
3人の男児は(記憶が曖昧だが)、健人とか治人とか、「コンセプト+人」というパターンの名前だった。堀さんはそれぞれの命名に、政治家、経営者、アスリートになって欲しいという想いを込めたという。
次の子供の名前をいま考え中だというので「アートはどうですか?」とふってみた。
「アートか、芸術家。いいね。でも、どんな字をあてるの?」
「『噫』とかどうですか。噫人」
「うーん…」
こんにち芸術家がもてはやされるのは、その自由さゆえではなかろうか。
一方、銀行員をはじめとする、サラリーマンの人気がガタ落ちだが、その背景には「カネやステータスよりも自由気まま」という価値観の高まりがあるように思う。
起業ブームについても同じことがいえる。起業家は自由気ままで楽しそう。嫌な上司もいないし、時間も自由。カネに不自由しないし、モテそう。
これらは多分に誤解なのだが、そんな上っ面のイメージだけで行動に移してしまうおっちょこちょいも少なくない。
最近の学生はしっかりしているが、それでも、30年前なら銀行員や広告代理店を目指したような面々がいま、芸術やら起業やらに流入しようとしている。
彼らがその道で成功するかどうかは微妙だ。なぜなら、芸術やら起業というものは、スキルとか経験というものではなく「体質」だからだ。
暑がり、酒飲み、肥満などと同様に、芸術家体質があり起業家体質がある。サラリーマン体質というと抵抗があるのなら、御家中体質というべきものもあり、それはそれで尊い。
それを変えようというのは、血液型を変えるくらい困難なことだ。その時間と労力は、自分の得意分野を伸長させる方につかうべきではないか。
さんざん事業失敗を繰り返してきたわたしであるが、じつは安定志向の権化である。安定するために起業を繰り返し、不安定にならないために勤め人になろうとしないだけのことだ。
これは、どちらがいい悪いという話ではない。体質なのである。受け入れた上で、戦略を立てる他ない。
さて、起業体質者の行動癖の一つに「逆張り」がある。
今こそ、サラリーマンになって、銀行に勤めるタイミングなのではないか――そんな妄想がふと頭をよぎることもある。だが、急激な体質改善は大病の元。もう、ジジイだ。ここは自重しておこう。

「藤野病」という言葉を耳にしたのは、幼稚園のお迎えの場である。気持ちが滅入って、動くのがつらくなるというから一種の抑鬱みたいなものか。
じつは京都でも、似たような話を聞いた。私の家は洛北八瀬にあった。大原の隣、比叡山麓の静かな里だ。 八瀬は意識高い系に人気があり、八瀬小学校に入れたいがために、ここに引っ越してくる家族もいる。 私の家は今、大学教授ファミリーに貸しているが、やはり八瀬小学校がお目当てのようだ。
いろいろな点で、八瀬は藤野に似ている。自然に囲まれた環境、意識高い系好みの学校、都市に通勤しやすい利便性。いずれも共通している。
 さらにいえば、両者ともに日差しが少ない。ともに山峡の里なのだ。 冬場の日差しの少ない日本海側では、冬季に自殺が多いという。陽光が不十分だと人間の心は萎えるものらしい。
 「アルプスの少女ハイジ」のクララがかかっていたのが「くる病」で、これも日照不足が原因だという。近年、ビタミンD不足が原因とされているが、日陰の里・藤野の病と症状が似ているようにも思える。 もう一つ指摘したいのは気温である。じつは京都は言われているほど寒くはない。あれは、往時、発信力ダントツの都人がそう嘆き、そう書き残したことが地方に伝播したのだと思う。
京都よりもよっぽど深刻なのは藤野だ。もっと寒いところはいくらでもあるが、藤野の悲劇は、それに対して無自覚なところだ。
藤野も今や、神奈川県相模原市緑区。気温は緑区中心地の橋本や相原あたりが参照されることになるが、かの地と藤野では3、4度違うのではないか。 司馬遼太郎は日本の家屋は防寒に対してあまりにも無防備だと指摘した。私もこの地に暮らしていて、それを実感する。
かてて加えて、ストレスも大きいのではないか。 日々、意識の高い食事を用意し、意識の高い衣類を整え、意識の高い生活リズムを堅持する。意識高い系婦人の心労は並大抵なものではない。それこそが藤野病の最たる原因と思われる。
日照、低温、そしてストレス。「藤野」で、私たちの心身はつよくなるのか、それとも萎えてしまうのか。それはすべて、自覚次第だ。

藤野姫の御降臨によって、私の舌鋒はすっかりフニャってしまった。
もっとも舌鋒などというものは鋭いとロクなことにならない(ラジオで放言して訴訟沙汰になったこともあるw)。
このところブログアクセスが急増していて、いい気になっていた私にとっては、足元を見直すいいきっかけになった。
残るは以下の論点だ。これらを姫に奉っても恥ずかしくないレベルで論じられるか。いま私は、そんなプレッシャーと(ひとり勝手に)闘っているのである。
1インスタ映え農業。彼らはどう見られたいのか。「農業はクール」時代のプロパガンダ戦略と優越思想。
2 シュタイナー学校運営における平等主義と全会一致主義。結局、でかい声がまかり通るのではないか。
3 「芸術村」で創造性は育まれるのか。学者村、文士村との対比。司馬遼太郎の見た「つくば」。
4 卒業生の3分の1が「旅人・放浪者」。藤野シュタイナー学校の標榜する「自由への教育」とは何か。
5 親権喪失時代の父権。膨張する母権と藤野的ほっこりズム。母のユートピアと父と息子のディストピア。
6 ハイテンションの母親とローテンションの息子。楽園を謳歌する母親と去勢された少年。
7 藤野内セクト同士のせめぎ合い。農本主義的コミューンの歴史とオウム、連合赤軍。
8 絶望的藤野エピソード集。これは封印。さすがに書けないなw

すかしたおっさんを見るとカンチョーしたくなり、調子こいてる小娘を見るとスカートをめくりたくなる。そんな嫌なジジイであるが、立派な人を前にすると、子犬のようにいい子になる。
藤野にも立派な人はいる。藤野を論じる上では、その方をあえて思い浮かべぬようにしてきた。なぜなら、闘志が萎えるからである。
だがそうもいかなかった。思いがけず、藤野立派婦人との接点が生じた。あんまり藤野をdisっていると、姫が悲しまれるのではないか。そんなわけで逡巡が芽生えている。
ところが、まだまだネタが尽きないから困ったものだ。ネタ帳には10個以上の論点がメモされていて、書きかけのエントリーも3本ある。
一方、文字数を勘定してみたら9万字を超えていた。新書1冊ぶんはゆうにある。
こんな局地的かつ感情的な文章が商業出版されるとは思えないが、磨きをかければ、教育論として出色の出来映えになるものと自負している。
この藤野論をいかなるかたちで着地させるか、そろそろ真剣に考えたほうがよさそうだ。

「夫婦いいね」は藤野独特の風習だ。学生時代の友人や仕事仲間では、夫婦でおたがいに「いいね」しあうなんて、まずお目にかかることはない。
家内もフェイスブックを始めたばかりの頃は、私の記事にいいねしていた。悪い気はしなかったが、すこし息苦しく感じた。
その後、家内がフェイスブック離れしたからいいものの、あのままだったら、私のほうが離脱していたことだろう。
いずれ坊やもSNSを始めることになる。その時、私は「友達」になるべきだろうか。答えは明快だ。なるべきではない。
行動や考え、交友関係が親に筒抜けで、それらが「いいね」か否かの評価が下され、さらには折々コメントを入れられる。そんなの、私だったらまっぴら御免だからだ。
以前、藤野は「ラブラブ夫婦のまち」であると述べた(藤野論25)。「ラブラブ」とは夫婦円満というわけではなく、その実態は、妻主導・夫追従のカカア天下だと指摘した。
そんな藤野のご婦人にとって、SNSは最強の制御システムだ。そこに書かれない行動は「秘密」となり、そこで綴られた言葉は「言質」となる。
「なんで私が、いいねしなかったかわかる?」という藤野婦人のジロリに、藤野紳士はゾゾォーと顔面蒼白。こんな様子が目に浮かぶw
一度取り込まれたら最後、「交流権」と「自己表現権」は生涯、妻の監督下に置かれてしまうのだから、たまったものではない。
夫婦でも親子でも「距離=プライバシー」は大事だ。藤野ベタベタ家族は、強者たる母親にとっては楽園だろうが、従属する弱者(おもに少年)にとっては魂の牢獄に他ならないのだ。

伯父の葬儀に藤野の親戚も駆けつけた。そのなかの2人からそれぞれ、こう切り出されて驚いた。
「息子さん、シュタイナーだったよね?」
「ええ幼稚園までは。小学校から都内にしました(汗)」と答えると、安心したように顔をほころばせた。
私と違って、我が縁類は控えめで穏やかだ(私の気質は父方の九州系だ)。そんな藤野ネイティブが「自称芸術家」という言葉を使っていたのは印象的だった。
話を聞いてみると、自称芸術家は不気味。新藤野民とその「カルチャー」に言いしれぬ違和感があるというのである。
以前、アートギャラリー経営者と直島に行った。
私は現代アートというものに懐疑的なので、いくつか意地悪な質問を投げつけた。
彼女曰く、現代アートそのものの価値はよくわからない。今は投資先として盛り上がっているから、いいビジネスになる。
作品そのものというより、アーティストのイメージをつくりあげて、計画的に価値を生み出してビジネスにしているところもある。
「霊感商法みたいだね」と向けると、彼女は「そんな面もあるね」と笑っていた。
自称芸術家は霊感商法の詐欺師。市井の人びとは、こんなふうに認識しているのかもしれない。関わるとへんな宗教に入れられて、へんな物を買わされると。
そういえば、藤野にはその昔、とある宗教団体の拠点が築かれそうになった(住民運動で撃退した)。
当時の忌まわしい記憶が「自称芸術家」によって思い起こされるのかもしれない。
むろん、先祖代々藤野で生きてきたネイティブにとって、これがきわめて正常な感覚であることは言うまでもない。
むしろ芸術に酔い、アートにラリっている新藤野民のほうに危うさはある。芸術やアートというだけでひざまずき、両手を振り上げてひれ伏してしまうからだ。
もしここに、強烈なアートカリスマが降臨したら、藤野は一大カルト王国になってしまうんじゃないか。
マンガ「20世紀少年」を読んでいたら、そんなことを夢想してしまったw

藤野婦人「みんな隠れてやってますよ。黙っていればいいんですよ」
私「隠れてコソコソやるような人間にはなって欲しくないなあ」
iPadを持たせ、いっしょにゲームをして、寝床でマンガを読む。坊やの日常は、いずれもシュタイナー小学校の「規則」に抵触する。
これでシュタイナー小学校に入ったら坊やもつらいし、学校も迷惑だと思い、入学は辞退した。
それはさておき、冒頭の藤野婦人の言葉にあるように、藤野ではコソコソしなければならないことが多い。
SNSでみんな繋がっているので、そこに流す記事にしても、藤野的か否かセルフ検閲を加える必要がある。
自省することは大事なことだが、自粛するのは真に厳粛なときくらいでよくないか。
日常的に自粛ムードが漂っているのが藤野の困ったところだ。そんな所で「創造」「自由」なんてハードル高いぞw
ちなみに冒頭の婦人は穏健派だ。私の言葉を受けて、「それもそうですね…」と困惑顔になった。
そんな婦人の力になりたいと思う。これからも元気はつらつで、藤野を論じてゆきたいと思う。

シングルマザーの藤野婦人から相談を受けたことがある。
思春期の息子が急に反抗的になってきて、わけがわからない。どうしたらいいのかと言う。
私は「おろおろしなさい」とアドバイスした。
男というものは、女に対して「守ってあげたい」という心情を持ちたがる。むろん母親に対してもである。
だが、そのためには「かよわい」必要がある。
以前、男性器は弱きものに力を発揮するが、強きを挫く機能は持ち合わせていないと述べた。
これと同様に、男の優しさも、かよわき女にしか発揮されないようにできているのだ(フニャチン男の媚びは強き女に発揮されるがw)。
おろおろする母親を前にすると「安心してね、お母さん。僕が守ってあげるから」と肩に手を置く。
メソメソする女性を前にすると(君を守れるのは、俺しかいない)と心に期す。男とはそういうものだ。
その点、かの婦人もそうなのだが、藤野婦人は強すぎる。
いや、それは本当の「強さ」ではない。「強引」「勝ち気」といったほうが適切だろう。ゆえに「ツヨイ」とでもいっておこう。
少年の権利を蹂躙し、夫の制止も一撃で砕く。そんな「ツヨイ母親」はレジスタンスの対象にしかならない。
息子さんも長年、耐えてきたのではないか。それが思春期パワーを拠り所にして、ついに決起したのである。
「これは喜ぶべきこと。今こそ、おろおろしなさい。そうすれば、彼は一個の男として自立してゆくだろう」そう彼女を励ました。
しばらくして、婦人は藤野を出た。「女の論理」が支配的な藤野から離れることは、少年の自立に向けての大きな一歩となったのではないか。

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