ドラクエウォークをやっているせいか、最近しばしば藤野婦人に遭遇する。
出くわした途端、婦人たちは顔を引きつらせる。悪名高き「藤野論」の著者だ。そうなるのも無理もない。
怖がらせるのは私の望むところではない。「よぉ! 元気ィ?」と、ことさら友好的に声をかけるようにしている(ただし私は、大人げないことでは世界的に有名な男だ。ひとりふたり、引きつる顔に一瞥食らわせてシカトしたこともあるw)
それにしても、ずいぶん変わったものだ。何がといえば、藤野婦人の物腰がだ。
「塾長は藤野の救世主です」とばかりに、リスペクトフェロモンをむんむんさせるようになった婦人もいれば、「敵にまわしたら大変」とばかりに媚び媚びになった婦人もいる。ブログひとつで、こうも関係性が一変するものかと驚かされるばかりだ。
先ごろ、怪力の大阪人が遊びにきていたので、被災地復旧ボランティアに出向くことにした。
友人の実家が地滑りで、なぎ倒されたので、その片づけに行こうというわけだ。
だが結局、やまなみ温泉、大和家、グダンコーヒーと藤野見物に終始し、夕暮れ時「御見舞」を渡してお茶を濁すことになった。
その晩、我が家での一献。当地での見聞を踏まえて、かの大阪人はこう切り出した。
「塾長、いま藤野に必要なのは『したいなあ教育』とちゃいますか」
私は早稲田大学教育学部で、子安美智子先生からシュタイナー教育の手ほどきを受けた。
今は亡き先生がシュタイナー教育を通じてもたらそうとしたのは、じつは「したいなあ教育」なのだったのではないか。
大阪人のひと言で、シュタイナー教育の本質を垣間見たような気がした。これについては、これから研究していきたい。