22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2019年02月

34年前の夏、河合塾の模試をさぼって、新宿のアルタビジョンでライヴエイドの中継に食らいついていた。
我が両親は洋楽にうつつを抜かす私を弾圧したので、家ではテレビをみられず、こうした仕儀になったが、苦難の末の体験はむしろ感動を生み、今もなお記憶の印画紙に強く焼きついている。
中学生の頃、英語の個別指導を受けていた先生がNHKのラジオ講座を受け持つことになった。その初回で流れたのが「Radio Ga Ga」だった。
「へえ、先生はこんな曲が好きなんだ」と驚き、それがきっかけでクイーンを少しかじったが、フレディ マーキュリーの風貌とパフォーマンスは当時の私にはハードルが高すぎた。
マッチョのホモおやじという印象が強烈で、その音楽性、ましてや人間性に共鳴することはなかった。さらにその後「不治の病エイズ(当時)」に罹患していると囁かれるに至り「きめえー」となって早三十有余年。
フレディとはジャンルも違うしスケールも比較にならないが、30歳過ぎの頃、私は「時の人」になったことがある。神楽坂時代のことだ。
NHKで特集され、四大紙でも賞賛された(「天声人語」にも出たぞ)。さらには、今はなき親方日の丸銀行からも賞を頂戴して、さらに箔をつけた。
ビジネスも絶好調。我が世の春とは、あのことをいうのだろう。上げ潮とカネにものを言わせて、私は放蕩のかぎりを尽くした(いや実際は、そうでもしなければ、自分を維持できなかったのだが)。
ある日、常軌を逸した私の「交際費」について税理士が苦言を呈した。私はキレて「プロなんだから、なんとかしろ!」と暴言を吐いて、その場で契約を切られた。こんなふうにして当時、たいせつにすべき縁をずいぶん失った。
同時に夜の巷では、さまざまな出会いがあった。私はゲイではないから、そっち系のつきあいはご遠慮したが、情を交わした女性は少なくなかった。
そんなとき、30代以上でエイズ発症者急増中というニュースを目にした。驚愕した私は即座に電卓を取り出し計算してみた。すると、私の感染率は「50%」(もちろん私流の超計算だw)。
以来、2ヶ月にわたって私は廃人と化した。日がな一日、エイズについて調べまくっては絶望の淵に立ちつくした。前後2度、大久保の最前線病院で検査を受けた(潜伏期間があるんです)。
童貞と処女によって懐胎した私が何故こんなことに――。あの時ばかりは、尊敬する祖父由来の荒ぶる血を呪った。
ともあれ私は無事生還した。そしていま「ボヘミアン・ラプソディ」をみて元気に号泣している。
この映画でLGBTに対する認識は一変した。元来偏狭な私だが、すこし多様性受容度が高まったように思う。
だがLGBT諸君よ、時勢を背景にして、のさばってはならぬよ。それでは藤野民の轍を踏むとになる。
フレディ マーキュリーにしても苦悩に煩悶を重ねて、それを楽曲に昇華させた。追い風に便乗しておのれを安売りすることなく研鑽し続けるように。さすれば、その特異ともいうべき個性は伝説として語り継がれることになるかもしれない。
抑えきれぬ衝動と冷徹な自己客観視という、アクセルとブレーキのスパークがレジェンドになる。上っつらだけ真似て、フレ男やマキュ子になってはならない。それは、あなたが憧れるフレディ マーキュリーとはいちばん遠い姿だからだ。

いい歳こいても、虚栄心や自己顕示欲といった俗欲はなくならないものだ。いま私が書いている、この文章にしても「俺のことを誰か認めてくれー」という切ない叫びに他ならない。
生々しい欲望をそのまま露出してしまえば、酩酊おやじや暴走BBAになってしまう。意識の高さを自認するのであれば、その表出においても意識高くありたいものだ。
前回、SNSリア充おやじや自己陶酔婦人をあげつらったのは、ひと言でいえばカッコ悪いからである。みっともないのだ。
「俺、農業やってんだぜー(かっこいいよね)」「私って、こんなに子供思いなんだあ(うっとり)」と中学生並みの自己愛がほとばしる。そんな青春ど真ん中の爺婆を私は正視できない。
人生をかけて、美意識に磨きをかけてきたかどうかは、こういうところに表れる。
その技倆なくば、貧困なる精神は周囲には丸見え。わかっていないのは本人だけだ。SNSは「裸の王様」製造機でもあるのだ。
自慢したい、優越感にひたりたい、自己陶酔したい、自己肯定感を満たしたい、褒められたい。その気持ちはわかる。私など、その気持ちは人一倍強い。
でもステージに上がりたいのなら、技を体得せよ。芸を磨け。醜い自己愛を揮発させ、鑑賞に耐えうるものにするのだ。
藤野民よ、我が子にむやみに芸術にふれさせるよりも、おのれの自己表現技法を磨くことが先決だ。そのほうが、子供の美意識を高めるはずだぞ👺

藤野に絡めて揶揄してやろうと手に取ったが、逆にねじ伏せられてしまった。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』は最高の本だ(タイトルはしょぼいがw)。
論旨をひと言で述べれば「美にふれて、美意識に基づいた自己規範を持て」ということになる。これは私の『英雄問答(ゴマブックス刊)』のメッセージと通底する。
おのれの愚劣さを戒めるために、私は本書を書いた。また私の気質を受け継ぐであろう子々孫々に、自己客観視するための視座として活用して欲しいという祈りも込めた。
私は自分の醜さや愚かさにつくづく嫌気がさしているので、同じように醜態を晒し、愚行を犯す者に対しても強い嫌悪感を持ってしまう。近親憎悪というやつだ。
インスタ映え農業をせっせとSNSにアップするリア充自慢おやじ。お仕着せの「自然」の中で遊ぶ子供の群れに目を細める自己陶酔婦人。教条主義に陥り、髪を振り乱して暴走する視野狭窄BBA。
いずれも、虚栄心、怯懦と傲慢、自己肯定感渇望、視野狭窄、慇懃無礼な優越思想、自己顕示欲といった俗欲を露呈していて、そのお尻丸出しぶりには目を覆いたくなる。むろん、こうした藤野民の姿は私自身の姿でもある。他山の石とすべきだろう。
ではどうしたら、幼稚な自己愛表出を「美意識に基づいた自己規範」へと錬磨できるのだろうか。冒頭の書は、そのヒントを与えてくれるはずだ(拙著『英雄問答』もお薦めダヨw)。
追記 そう考えると「藤野」は、マイ真善美確立の好適地なのかもしれない。イタさあふれる反面教師には事欠かないし、玉石混淆アートにふれることもできるからだ。

法事で藤野の親戚に会った。彼は私と同年代だ。ともに東京からのUターン組だ。
親戚「子供の時は(藤野が)いやだったね。早くここから出たいと心底思ってた」
私「でも、この歳になると、なかなかいいよね」
親戚「ほんと、そう。だんだんよさがわかってきた」
人間には発達段階がある。大人にとって「よきもの」を子供にとっての「よきもの」にあらず。押しつけていると、いずれしっぺいがえしがくる。関連エントリーを再掲しよう。
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子供の頃は好きでもなかった根菜や青魚がじつにうまい。だからといって、我が子に「こんなうまいもの、なぜ食べないんだ」と言うつもりはない。
人にはそれぞれ発達段階がある。味覚同様、価値観も段階を経ながら培われてゆくものだ。
段階無視の跳躍強制は、幼少期のトラウマとなりかねない。いずれ相応の反動が起こることを覚悟しておくべきだ。
ところが、家庭教育においては、こういうことが頻繁に起こる。
たとえば、いま流行りの農業。農作業は子供の情操教育にいいという(その物言いは健康食と通底している)。
わたしも三十代半ばになったあたりから土いじりの愉しさに目覚めた。紅葉や青葉の美しさにも感じ入るようになった。
その頃から、無性に田舎暮らしがしたくなって、新潟や京都の山村に物件を探し回った。よくロハス雑誌を読んだりしたものだ。
とくに子供を持つと、この傾向は強まり、「よい環境」に対する意識は俄然高まる。
だが、大人にとって「よい環境」は果たして子供にとっても「よい環境」なのかは疑わしい。
わたし自身、山や川に囲まれた緑豊かな「よい環境」に育った。だが、子供心にそれはじつに退屈に思えた。
わたしは都市=「悪い環境」に憧れるようになり、田舎=「よい環境」を脱出するべく、もがきあがいた。
こんな経験は、わたしにかぎったことではない。
コンビニもろくにない所より、マクドナルドやゲーセンのある所のほうがワクワクするのが子供の心情だ。その発達段階を尊重してあげたい。
それどころか、「よい環境」を強いられると「悪い環境」に憧れるようになる。「よい食い物」を強いられると「悪い食い物」を渇望するようになる。そんな哀しき反動こそ、理想に燃える親は警戒すべきではないのか。
親たちは、おのれが長年かけて到達した価値観を、いきなり子供の口の中に押し込むようなまねは慎むべきだ。
もし、子供にロハス暮らしや「よい食い物」を日常にしてもらいたいのなら、自分が本心から愉しんで喜んでいる姿を見て、真似するようになってもらうほかない。
うわっつらのポーズや演技など、子供は見抜いている。「よい子」だから、それを包み隠して無邪気を演じているだけだ。
彼らの真意を見過ごすと、いずれ暴発か無気力という末路をたどることになる。
子供は子供。「小さな大人」にしていると、長じて「大きな子供」になってしまうのである。

家内はのんびり屋なので、私がいないと子供たちの就寝時間が遅くなる一方だ。でも、そんなときこそカリカリしてはいけないと、おのれを戒める。こんな忌まわしいことがあったじゃないかとw
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しばらく前になるが、幼稚園のパパ友数名で懇親会を企画した。会場は幹事たる我が仕事場。聞きつけた坊やが行きたいというので、おいでと言った。
数日後、参加者のAさんから「子供の参加はいかがなものか」というメッセージが入った。
私は「翌日休みだし、さっさと寝てしまうから問題なし」とこれを一蹴(そもそも、そんな理由を述べる必要もないが)。
すると、こんどは参加者Bさんからも横槍が入った。
なにやら奥歯に物が挟まったような言い方なので尋ねてみると、Aさんの奥さんから圧力がかかったらしい。それも、Bさんの奥さんを介してだ。
私はスルーした。Aさんの奥さんから、そんな要求をされる筋合いはないからだ。
当時、坊やが通っていた幼稚園は、シュタイナー教育に基づいていて、食事、衣服、言葉遣いなど、じつにさまざまなルール(明文化されていないから空気を読むw)が多かった。そのひとつに早寝早起きがある。
もちろん早寝早起きはいいことだ。うちでも、子供たちは8時には床に就いている。だが、それを他人に勧めるつもりもないし、ましてや強いることなどありえない。なぜなら、そんな言動こそ、子供にとってもっとも有害だからだ。
瑣末なことにピリピリして、意に染まぬからと騒ぎ立て、平然と他人に強要する。こんな親の言動を真似した子供たちは、いずれ社会で孤立することになる。これでは、早寝早起きして健康になったところで何の意味もない。
木を見て森を見ず。目先のドグマに縛られて、より高次の価値が見ないのだ。
視点を高めるためには、おのれに対する苛烈なまでの客観視が不可欠だ。だが、教育熱心な小皇帝たちがそのような成熟の機会を持つことは期待しにくい。

昨夜、藤野離脱者と懇談した。学生時代に「藤野」に入れ込んだが、そこで出会った藤野芸術家は、今にして思えば「アーティストを気取るパリピー」ばっかりだった。その一刀両断ぶりは、この藤野論を凌駕していたぞ。
かつて比叡山には、三千人もの僧兵がたむろしていたという。僧侶とは名ばかり。薙刀で武装した僧兵の跋扈の有り様は、藤野をめぐる状況と酷似するようにも思える。
本物が「芸術家を気取るパリピー」によって壟断される。藤野がそんな虚妄地帯にならぬか心配だ。この件を考える上では、以下のエントリーが参考になるかもしれない。
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収録後のタクシーの車中。グロービスの堀義人さんが「まもなく4人めの男の子が産まれるんだよ」とおっしゃった。
3人の男児は(記憶が曖昧だが)、健人とか治人とか、「コンセプト+人」というパターンの名前だった。堀さんはそれぞれの命名に、政治家、経営者、アスリートになって欲しいという想いを込めたという。
次の子供の名前をいま考え中だというので「アートはどうですか?」とふってみた。
「アートか、芸術家。いいね。でも、どんな字をあてるの?」
「『噫』とかどうですか。噫人」
「うーん…」
こんにち芸術家がもてはやされるのは、その自由さゆえではなかろうか。
一方、銀行員をはじめとする、サラリーマンの人気がガタ落ちだが、その背景には「カネやステータスよりも自由気まま」という価値観の高まりがあるように思う。
起業ブームについても同じことがいえる。起業家は自由気ままで楽しそう。嫌な上司もいないし、時間も自由。カネに不自由しないし、モテそう。
これらは多分に誤解なのだが、そんな上っ面のイメージだけで行動に移してしまうおっちょこちょいも少なくない。
最近の学生はしっかりしているが、それでも、30年前なら銀行員や広告代理店を目指したような面々がいま、芸術やら起業やらに流入しようとしている。
彼らがその道で成功するかどうかは微妙だ。なぜなら、芸術やら起業というものは、スキルとか経験というものではなく「体質」だからだ。
暑がり、酒飲み、肥満などと同様に、芸術家体質があり起業家体質がある。サラリーマン体質というと抵抗があるのなら、御家中体質というべきものもあり、それはそれで尊い。
それを変えようというのは、血液型を変えるくらい困難なことだ。その時間と労力は、自分の得意分野を伸長させる方につかうべきではないか。
さんざん事業失敗を繰り返してきたわたしであるが、じつは安定志向の権化である。安定するために起業を繰り返し、不安定にならないために勤め人になろうとしないだけのことだ。
これは、どちらがいい悪いという話ではない。体質なのである。受け入れた上で、戦略を立てる他ない。
さて、起業体質者の行動癖の一つに「逆張り」がある。
今こそ、サラリーマンになって、銀行に勤めるタイミングなのではないか――そんな妄想がふと頭をよぎることもある。だが、急激な体質改善は大病の元。もう、ジジイだ。ここは自重しておこう。

「藤野病」という言葉を耳にしたのは、幼稚園のお迎えの場である。気持ちが滅入って、動くのがつらくなるというから一種の抑鬱みたいなものか。
じつは京都でも、似たような話を聞いた。私の家は洛北八瀬にあった。大原の隣、比叡山麓の静かな里だ。 八瀬は意識高い系に人気があり、八瀬小学校に入れたいがために、ここに引っ越してくる家族もいる。 私の家は今、大学教授ファミリーに貸しているが、やはり八瀬小学校がお目当てのようだ。
いろいろな点で、八瀬は藤野に似ている。自然に囲まれた環境、意識高い系好みの学校、都市に通勤しやすい利便性。いずれも共通している。
 さらにいえば、両者ともに日差しが少ない。ともに山峡の里なのだ。 冬場の日差しの少ない日本海側では、冬季に自殺が多いという。陽光が不十分だと人間の心は萎えるものらしい。
 「アルプスの少女ハイジ」のクララがかかっていたのが「くる病」で、これも日照不足が原因だという。近年、ビタミンD不足が原因とされているが、日陰の里・藤野の病と症状が似ているようにも思える。 もう一つ指摘したいのは気温である。じつは京都は言われているほど寒くはない。あれは、往時、発信力ダントツの都人がそう嘆き、そう書き残したことが地方に伝播したのだと思う。
京都よりもよっぽど深刻なのは藤野だ。もっと寒いところはいくらでもあるが、藤野の悲劇は、それに対して無自覚なところだ。
藤野も今や、神奈川県相模原市緑区。気温は緑区中心地の橋本や相原あたりが参照されることになるが、かの地と藤野では3、4度違うのではないか。 司馬遼太郎は日本の家屋は防寒に対してあまりにも無防備だと指摘した。私もこの地に暮らしていて、それを実感する。
かてて加えて、ストレスも大きいのではないか。 日々、意識の高い食事を用意し、意識の高い衣類を整え、意識の高い生活リズムを堅持する。意識高い系婦人の心労は並大抵なものではない。それこそが藤野病の最たる原因と思われる。
日照、低温、そしてストレス。「藤野」で、私たちの心身はつよくなるのか、それとも萎えてしまうのか。それはすべて、自覚次第だ。

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