22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2018年12月

「なにこれ?(こんなもんが、なんであるの?)」と藤野婦人が冷たい視線を向けた先にあったのは日の丸だ。
我が家の応接室には日章旗がある。大統領執務室みたいな感じで、ソファの横に屹立している。
ずいぶん前、その方面の方からもらった。気に入っていて、忘れなければ、旗日には玄関先に掲げている。
だからといって、もちろん私は右翼ではない。右っぽいところもあれば、左っぽいところもある。選挙では、頼まれた人に投票してしまう意識低い系だ。
右だろうと左だろうと、私のような「観客」がヤジったところで世の中は変わることはない。歴史とはそういうものだ。
それに、この時代に、右やら左やら陣営を分けて考えるのもしっくりこない。
変わりゆく時勢を見据えながら、心静かに自分の打つべき手を考えることが、生活者としての爽やかな物腰なのではないかな。
冒頭の藤野婦人に見られるように、藤野では「反原発」「アベ政治を許さない」的なサヨク論調が支配的だ。
その点、私は「原発はイヤ」だが、「株上がったし、有効求人倍率もいいし、アベ政治なかなかいいじゃん」というノンポリだ(今後、変わるかもしれないけど)。
「一貫性がない」と、物分かりの悪い人から難詰されそうだが、そんなことはない。
むしろ「一貫性のある、それもお仕着せのイデオロギー」に縛られているほうが面倒くさい存在になっているんじゃないのかな。
イデオロギーに盲従していては「自由」は謳歌できない。仲間内で酔っ払って楽しいかもしれないが、そのぶん、言動に制約がかかるからだ。
成熟した紳士が政治と宗教を語らないのは、そんなタコツボに入りたくないからであろう。
語ったとたん、わらわらと面倒くさい「仲間」ができて、しがらみは増える一方。それに、一度関わると、足抜けは容易なことでない。
こんなこと、自由と多様性を標榜する藤野人なら先刻承知かと思いきや、意外とそうでもないようだ。あるいは、その「タコツボ」こそが藤野の実態なのかもしれないが。

「(あんたのところとは違って、藤野婦人は)みんなダンナラブだから云々」と面罵されたことがある。どんな文脈だったか忘れたが、こんなひとコマも藤野ならではといえよう。
たしかに藤野婦人は、総じて「ダンナラブ」だ。だが、実態を知る者からすれば、やりたい放題に文句ひとつ言わないダンナに、ラブという名の免罪符を一つ二つ発行しているだけとも思える。
うちは、私がやりたい放題なので、しばしば家内の反乱を招く。その点、藤野的ラブには欠けるが、オス・メス的お盛ん度は藤野夫婦の追随を許さないだろうw
尻に敷かれてもスマーイル、振り回されてもスマーイル。そんなナイスパパぶりは、とうてい私にはできぬ芸当だ。だが、藤野紳士はそれができる。彼らは「大人」なのだ。
諦めるべきは諦め、果たすべき役割は果たす。「藤野」にエリートサラリーマンが多いのもうなずける。
会社で耐えがたきを耐え、家庭で忍びがたきを忍ぶ。藤野紳士たちの滅私奉公ぶりには心底頭が下がる。
さて、かの暴言婦人の夫君。ダンナラブとは名の元に、じっさいにはかなり虐げられていることを私は知っている。
気の毒極まりない身の上なのだが、彼はたとえ血が逆流しようとも耐え忍ぶだろうな(あるいは失踪?)。
ひょっとしたら、父の哀れな姿を見た孝行息子あたりから反乱の火の手があがるのかもしれない。
ともかく、妻のいう「ラブラブ」なんぞ、夫の臥薪嘗胆の上に成り立っている「幻」でしかない。
夫婦の真実は「ダンナの野性」を見れば一目瞭然だ。夫婦の実相はラブラブではなくビンビンに表れるのである。

家内がさんざん延滞した本を、藤野図書館に返却しに行った。そこには懐かしい顔。幼稚園のパパ友A氏だ。
A氏は私と年齢的には変わらない。だが、見た目は若づくりの私よりずいぶん上に見える。この日もお疲れのご様子。
A氏の顔を見て、以下のエントリーを思い出した。これも藤野の一相貌だ。
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ある親が、子供にお金を「見せない」よう四苦八苦しているという話を聞いた。信奉するシュタイナー教育に則った取り組みだということだ。
大学時代、シュタイナー教育をかじったわたしには、その解釈は飛躍が過ぎるように思える。シュタイナー教育というより、主導する母親独自の考え方なのだろう。
それはともかく、その子供は小学校高学年になるが、いまだに「お金」を手にするどころか、見たこともないという。ここに至る当事者たちの苦労は想像するにあまりある。
母親はもちろん、父親や縁類、そして周囲の人たちもお金を見せないように神経をとがらせ、テレビはもちろん見せない。買い物もひっそりと。そんなストレスフルな暮らしが目に浮かぶ。
しかし誰よりもストレスをためているのは子供当人だろう。
さすがにその時期まで、お金を見たことがないとは思えない。親の気持ちを汲んで、見ていないことにしてあげていたのではないか。
子供は親思いだ。親を喜ばせよう、親を悲しませまいと、そんな演技もいとわない。
だが、そんな気遣いを子供にさせるのはいかがなものか。「のびのび」というのは、こんな忖度をさせない気楽さのことではないか。
相手の意を汲むという技法は、社会に出れば、いやでも学ばざるを得ない。必要な時期に体得すべきだ。
私見ではあるが、幼少期から忖度を強いられている子女は一見成熟して見えるが、内実は疲弊していて元気を感じない。一様に目が虚ろなのである。
だが、最後にその「虚構」にもがき苦しむのは親自身なのかもしれない。みずからしつらえた蟻地獄に落ちて這い上がれなくなるのだ。やがて家全体が疲弊し、活力が失われてゆく。
過激なことはしないほうがいい。自戒したい。

「農業体験」は今や聖域だ。その教育的効果に疑義を挟もうものなら、一斉にバッシングされる。
藤野において、それは顕著であり、子供たちはニコニコと農作業に勤しむことが求められている。
子供にとっての農作業及び体験学習を考える上で、以下のエントリーは参考になるかもしれない。
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無着成恭の『やまびこ学校』は胸を打つ。学校に行きたい、存分に勉強したい、父ちゃん母ちゃんに楽をさせたい。そんな子供の赤心が胸にしみる。
あの時代、農村の小学生の日常は勉学ではなく、労働が主体であった。
農作業や家事、そして子守に明け暮れる。学校はそんな日常から離脱できる、つかの間のパラダイスだったのである。
私の恩師は鳥取県の片田舎出身だ。彼は親から「東大に行くのなら、進学させてやる」と言われて無我夢中で勉強した。そしてみごと鳥取市の名門校に進学、その後、東大に合格した。
ちなみに恩師は長男で「家」を離脱したことに今でも背徳感に苛まれているという。
だが、野良仕事に生涯を捧げることにくらべれば、それくらいの苦しみは甘受しなければならないのかもしれない。
かように、子供にとって(恒常的な)農作業というものは苦痛でしかなく、勉強こそが悦楽だったのである。
昨今、農作業が子供の教育上よいとされ、多くの学校では農業体験をカリキュラムに組み込んでいる。だが、その学習効果とは、いかほどのものなのだろうか。
以前、私の経営する会社で、インターンシップを受け入れていたことがある。
我々は「お客様」。インターンシップ生を飽きさせないために、微に入り細に入り精魂を傾けた。
その甲斐あって、我が社のインターンシップは好評で、翌年以降、高倍率企業の一つとなった(だが、インターンシップ疲れが激しく、3年で打ち切った)。
だが、あれが本来の「職業体験」かといえば疑問だ。実態は、学生版キッザニアではなかったか。そんな虚構は教育の名のもとにごまんとある。
価格交渉から妥結にいたる。それから請求書を起こし、入金が行われたかを確認する。仕事の本質とは、この一連の過程に他ならない。
だが、これは子を産むという神聖な営みが、煎じ詰めればセックスであることと同様に、あまりにも生々しい。だから、あまり表立って語られることはない。
学生たちは、会社に入れば、パワポ資料をプロジェクターに映し出しながらプレゼンするものだと思っているが、そんな機会はまずない。
仕事の大半は書類作りとお金のやりとりなのだが、職業体験ものは、いずれも映像映えする部分だけ切り出す(法廷での弁護士と検事の丁々発止などはその典型例だ)。これでは「体験」とは名ばかりで、実態は「ごっこ」であると言わざるをえない。
そんな「体験」をたよりに仕事を選べば失望が待っている。新社会人のくじけやすさは、学校時代の陳腐な「体験(その時期に視聴したテレビ番組なども含め)」に起因するのではないか。
学校がやるべきことは、むしろ、こうしたギャップを埋めることにあるのだろうが、それができる教師がどれだけいるだろうか。
もっとも、そこまで教師に求めるのも酷だ。本来は、家庭教育でカバーすべき領域だろう。
だが、家庭で社会を体験するほうがよりハードルは高い。家庭はもはや社会から切り離された存在だからだ。
だがそれは近年の傾向だ。往時はちがった。
私淑する大先輩は、小学生時代、しばしば学校を休んでは、父親の行商に同行して手伝っていたという。こんな営みこそ「職業体験」ではないか。
その方は仕事を手伝いながら、高校卒業後、一流大学に入学され、家業を継いで精を出し、市長も歴任された。
「仕事をしていると勉強したくなるんだよ。それに勉強も身につく」この言葉は多くの示唆に富んでいる。子供が勉強するようになるためには、遠回りかもしれないが、仕事をさせるのがよいのである。
私自身実感する。あんなにデタラメだった学生時代とうってかわって、仕事を始めてからの勉強は真剣そのものだ。
学校の空転は、子供を「労働」から切り離したところ誘因であるように思えてならない。
職業体験などでお茶を濁さず、「リアル労働(当然、カネのやり取りも含め)」に従事させる。これが、子供・学校・家庭のよき関係を復活させるのではなかろうか。

我が母は「藤野婦人」であった。意識が高く、40年も前、世に先駆けて自然食の店をやっていた。おまけに当時としては高学歴、早稲田大学文学部卒だ。さらには、藤野(津久井郡澤井村)の出自でもある。
教育熱心で、この界隈にしては、かなり早く私立中学受験を企図し、私を小5から毎日都内の進学塾に通わせた。
ランチジャーという、ドカタおじさん常用のデカい保温弁当箱には、健康食が詰め込まれていた。めちゃくちゃ重いし、他の子がハンバーガーやら駅そばを食っているのが羨ましかったが、当時の私は親の想いを忖度して何も言わなかった。
小6に上がるころ、私の通う豊田教室の合格実績が芳しくないと知ると、ほかの母親たちと語らって、八王子教室に転校することになった。
豊田教室は楽しかったので、母親がギャンギャンと騒いだ挙句、勝手に決めて嫌だったが、おとなしくそれに従った。
かくのごとく当時の私は、今では信じられないくらい従順だったのである。
それから数年を経ずして、こんにちに至る決裂を迎えるとは皮肉なものだ。無理な圧力は、どこかで帳尻合わせを強いられるのだ。
こんにちの藤野婦人も、ひと世代前なら先駆的「お受験婦人」だったことだろう。「東大に入れば一生安泰よ」のフレーズが「ロハス東大に入れば一生安泰よ」になっただけで、その実体は今も昔も変わらない。
いまこうして「藤野婦人」に疑義を呈しているのは、過激な母へのアレルギー反応なのかもしれない。
熱狂的、操作的、独善的。過激教育婦人は、あたかも調教師(兼馬主)のごとく、我が競走馬の訓育にあたる。
自分がその時点で到達した価値観を最上のものとして、我が子に授けることに何のためらいもない。
発達段階無視で、育ち盛りの時期に「精進料理」を食わせ、マンガやゲームなど、少年らしい欲求を弾圧する。目的に向かって、ひたすら驀進させることが子供の幸せになると信じて疑わない。
ここで父親が「おいおい、ちょっとやりすぎではないかな」と水を差してくれればよいのだが、沸騰する藤野婦人を前にして、藤野紳士にそれができるかな。
それどころか、藤野夫婦のほとんどは一枚岩に見える。価値観を一様にしているからこそ、移住までできるのであろう。
そんな藤野夫婦が息子の「反乱」に遭遇した時どうするのか? 
その時、ともに鎮圧しようものなら、我が家の悲劇を再現することになる。さらなる反乱か逃亡か、あるいは無力感に打ちひしがれるか。
元気者の私はさんざん抵抗した。出口が見えないとわかると逃亡した。
幸いにして、私には祖母という逃げ場があった。近所に住む祖母の家で5年余り親と距離を置いた。
こういう時の多様性だ。「一様性のまち藤野」に必要なのは、我が祖母のような異なる価値観の持ち主の存在だ。
私のようなおやじがすぐ近くにいる。これが、藤野少年の心の支えになれば幸いである。

学生時代の彼女の父親は、事実上の組長だった。「総会長」と呼ばれていたその方から、わたしはこんな教えを受けた。
「いいか覚えておけ。ヤクザなんかでたらめだぞ。約束は守らないし裏切るし、とんでもないやつらだ」
高倉健の任侠映画を好んで観ていたわたしは、ヤクザこそ男の中の男。義理人情に殉じる漢の鑑だと思い込んでいた。
未来の婿になるかもしれない男に、変な道に進んでもらいたくない。今にして思えば、じつに親心あふれる言葉だったのだ。
あれから長い歳月を経て、今のわたしなら、青年にこう言うだろう。
「いいか覚えておけ。芸術家なんかでたらめだぞ。身勝手だし、だらしないし、とんでもないやつらだ」
わたしは芸術家と縁が深い。小説家をはじめとした作家とは、何度となく仕事をしてきた。訳あって、香港の現代アートの会社を保有することにもなった(まったく興味はないがw)
わたしがじかに接した芸術家たちは、一見まともだが、精神の奥底のところに狂乱を宿している。嵐山光三郎の『ざぶん』を読んでみるといい。文士の実像なんて、あんなものだ。
わたしの両親は文学青年と文学少女だった。世界文学全集を書棚に並べ、文人墨客の足跡をたどっては、その心情に思いを寄せてうっとりする。
芸術家とは崇高なる精神の持ち主で、身を清め作品に打ち込む聖者。こう両親は誤解していた。
その誤解でバチがあたったのか。あろうことか、芸術家に恋い焦がれた両親は、ついに「芸術家」を召喚してしまった。
結婚3回、落選2回、被告2回、事業失敗7、8回。日がな一日ぶらぶらし、好きなことにだけ熱狂する。家督を強奪して威張りくさっている。そんな化け物(親父の弁)が、無邪気に芸術に憧れるラブラブ夫婦の前に出現してしまったのだ。
両親にとって、もちろん、わたしは「聖なる芸術家」ではない。それどころか、つねに親の顔に泥を塗り続ける親不孝な道楽者。あるいは、粗暴でわけのわからぬマジキチ極道者でしかない。
おいおい語ることになるが、我が両親は典型的な「藤野夫婦」だ。だから、藤野夫婦をみていると、こんなことを言いたくなる。
無邪気に「芸術」に憧れることは、無邪気に任侠に憧れるくらい危険なことなのだよ。やばいものを召喚してしまうよ。

「藤野」を論じる上で、わたしほどの適任者はいないだろう。
まず第一に、当事者であることだ。母方の実家は藤野だ。親戚も多いし、隣町ゆえ少年時代からの友垣も多い。藤野は我がふるさとなのだ。
第二は縁だ。坊やの幼稚園(うち以外、全員移住組だ)時代に、藤野にかなり深く関係した。
ヒマで詮索好きなので、どんどん踏み込んでいくから、ディープ藤野を目にしてしまう。そこで目撃した「少年受難」を、わたしは教育者として看過できない。
第三は、弁が立つことだ。男は総じて口下手だし、考えをしゃあしゃあと述べないものだ。ましてや田舎の人はなおさらだ。
その点、恥知らずのわたしはラジオで自論を語り、講義で学生諸君を煽ってきた。それなりに筆も立つ。
ロジカルでクリティカルな豪傑・藤野婦人とタイマンを張れるのは、わたしくらいだろう。
妹のいとなむ歯科医院も大繁盛で、客足を気づかう必要もなければ、家内も藤野系ではない。その上、わたしの言論活動に超絶無関心だ(わたしの本の前書きすら読んでいないww)。
こんな条件が重なって、日夜「藤野」を論じられる環境が成立した。
書き始めてから10日あまり、寝ても覚めても、このテーマが頭から離れない。切り口が見つかると、夜中でも飛び起きてスマホで綴り始める。
何がここまでわたしを駆り立てるのだろうか。ひょっとしたら、これが噂の「自動書記」というやつなのかもしれない。父祖の魂魄がわたしをして語らしめているのか。
西部邁は「死者の民主主義」を唱えた。いま、生きている人だけで「多数決」するのではなく、かつてそこに生きた人たちの「死者の声」もカウントせよというのである。
わたしも是非とも、この地に生きて死んでいった膨大な数の「死者」の想いを受け止めたい。しかし残念ながら、今のところ、死者の声をキャッチできているという実感はない。
だが、いま藤野に生きる男たちの「声なき声」は汲み取れているのではないかと自負している。
過激な藤野婦人に振りまわされて、日々消耗する藤野紳士、そして藤野少年たちの想いだ。
渦中にいるため、我が身の置かれている状況も五里霧中。声をあげようにも、うまく言葉が出てこないもどかしさ。そして充満する同調圧力。わたしの記事に「いいね」しようものなら即座に孤立することは必至だ。
郷土そして同朋を守るため、今ここに宣言する。わたし自身を公器となし、彼らの「声なき声」をこれからも代弁してゆく。論戦上等、どこからでもかかってこい👺

坊やがインフルエンザにかかった。わたしに似て注射大恐怖者なので、今年から予防接種はしないことにしたせいかもね。しばらくはマンガでも読みながら、ゆっくりしていよう。
藤野民といえば「反ワクチン」。子供に麻疹や日本脳炎などの予防接種を受けさせる親はほとんどいない。
以前、坊やがおたふく風邪にかかったとき、それを聞きつけた藤野婦人が中学生くらいの息子を連れてきた。おたふく風邪をうつして欲しいというのである。
坊やが使ったスプーンをしゃぶらせたり抱きつかせたりして、ムンプスウィルスを取り込もうと必死だった。
残念ながら、感染はなしえなかったらしい。長じてからのおたふく風邪は重篤化する。悪あがきしないで、そろそろワクチンを打ったほうがいいのではないかな。
予防接種で心配なのは副反応だ。腫れや痛みといった軽度なものから、急性脳症や肝機能障害といった重度なものまであるという。
麻疹の予防接種が自閉症の原因であるという説もあるし、インフルエンザワクチン接種後の死亡者も年に数例あることを思えば、神経質になるのも無理もない。
予防接種をめぐっては、ワクチン推進派と反ワクチン派それぞれが論陣を張っている。わたしには判断がつかないので、原則、厚生行政の推奨にしたがっている。
反ワクチン主義者は、往々にして免疫主義だ。「免疫力は自前で獲得せよ」というメッセージはロハス系を魅了する。
「ワクチン接種なんてもってのほか。麻疹パーティーやっちゃおう!」
と子供たちを集め、はしかをうつしあう。藤野では未確認だが、こんな「麻疹パーティー」を開催する過激人もいるという(その設定の不自然さのほうが、子供の免疫力を下げるような気がするのだが…)。
イタリアでは今夏、反ワクチンを訴える政党が勝利して、ワクチン接種義務が撤廃された。そのためヨーロッパでは現在、はしかが大流行。過去10年で最悪の事態を迎えているという。
「はしかの大流行が、藤野から起こるかもね」昨日、地元の旧友とこんな話になった。
藤野発のパンデミックは、さすがに大袈裟だとは思うが、すぐそこにある反ワクチン集団の存在は、子供を持つ地域住民としては神経質にならざるを得ない。
個人の主義主張は尊ばれるべきであるが、それが公共の福祉を脅かしてまで優先されるものではない。
わたしはなにも「予防接種を受けろ」と言っているのではない。わたし自身、子供に受けさせていない予防接種もあるし、何よりも、わたし自身が逃げおおせた「必須接種」もじつはある。今回のイタリアの接種義務撤廃は、わたしが子供だったらガッツポーズだったはずだ。
だが、ひとたび親ともなると慎重にならざるを得ない。衝動とイデオロギーで子育てはできないからだ。

「藤野婦人」と十把一絡げにしているが、むろん例外は少なくない。むしろ、ほとんどの藤野移住女性は、きわめてまともな社会人である(心底敬服する女史もいる)。わたしがあげつらっているのは、一部の過激婦人である。
だが過激人の存在率において、やはり藤野は突出していて、その跳梁が藤野のみならず、近隣のネイティブ生活者に悪しき影響を与えている。
そんな事例をいくつか見聞し体験したことが、この「藤野論」執筆の動機となった。
もっとも胸糞悪い話を聞いたのは、もう一年以上前になる。ここでは明かせないが、藤野名物「排除スクラム」が発動したのである。
当事者は例に漏れず、超高学歴婦人であり、ロジカルでクリティカル(これは褒め言葉ではないw)な方である。
さらに、そのおぞましきロジックのやいばが、郷土にて堅実な生活をいとなむ善男善女者に対してまで向けられたことを知るにおよび、さすがのわたしも「ダメだこりゃ」と吐き捨てざるを得なかった(この件も明かせないが)。
それまでは過激系藤野婦人をコミカルなものとしてとらえていたが、「これは、我がふるさとの危機である」との義憤に駆られたのは、この時である。
とはいえ、長らく逡巡していたのは、わたし自身もロジカルでクリティカルな阿呆者なので、かの藤野婦人同様、無辜の民に災いをなすのではないかと懸念がぬぐいきれなかったからである。
こんなとき、わたしの話に真摯に耳を傾けて、冷静に生活を整え直した藤野移住希望者が現れた。
その方から「事前に知ることができて本当によかった」とのお言葉をいただいたのである。このひと言に励まされ、わたしの知る藤野、わたしの見る藤野を白日のもとに晒そうと腹を括った。
わたしの論旨の軸足は、あくまでも「藤野は大人のパラダイス。されど、その言行不一致空間は、少年が過ごす場所としてはいかがなものか」にある。
だが、あわせて、藤野生活者あるいは移住を検討している人への情報提供という役割も果たせたら最高だ。
藤野礼賛ムード花ざかりのいま、本稿は藤野との向き合い方を冷静で洗練されたものにするものと確信している。

桐朋女子に通知表がないと初めて知った。わたしは男子校の出身であるが、こちらには、ふつうに通知表はあった。桐朋学園は男女で別の対応をしていたのだ。
90年代に大躍進を遂げた脳研究の成果を踏まえて、アメリカでは2000年代から男女別学に回帰している。
ほかの国々もこれに追随する動きを見せているなか、日本だけが男女共学路線を推し進めているのはじつに奇異だ。
これは学校経営という側面が大きな理由のようであるから、日本社会が前進すれば、しだいに解消されるのであろう。
さて先ごろ、シュタイナー学園には通知表がないというエントリーを書いた。(→藤野論7)
「競争」があることで少年の心は躍動し、目は輝く。競争なき境遇に身を置く少年は無気力になり、目は虚ろになる。
少年にとって、競争は成長段階における「必要悪」であり、成熟するにしたがって超越できれば最高(ただし、少女はそのかぎりではない)。こんな論旨だ。
これは、まさに母校の教育施策と合致していたのである。嬉しいかぎりだ。
ここで思い起こされるのは、とある藤野婦人だ。彼女は我が国指折りの最高学府卒業者だ。
婦人曰く「数値を追い求める受験勉強でだいじなものを見失った。いまそれを取り戻そうとしている」
わかる気がする。だが、それは大人の、それも女性の感慨ではないかな。
その対偶たる「少年」に、彼女の人生での悔悟と決意は当てはまらない。
幸いにして、彼女には娘しかいない。競争は心身を疲弊させるので回避すべしという価値観は、少年に適用されることはなかった。
見渡せば、藤野婦人はみな高学歴だ。藤野婦人の偏差値は70くらいあるんじゃないのか。
彼女たちは、いわゆる「受験戦争世代」だ。幼少期から競争のるつぼに放り込まれ、数字を追い求めさせられた。
先の婦人の言うとおり、その過程で、心身の消耗を実感したのだろう。「競争」というものは、女性の心身にこたえるものだと、わたしも思う。
いま藤野で、競争を「ダメ、絶対」としているのも、藤野の主役たる受験婦人たちのルサンチマンなのかもしれない。
だが、そのドグマを女ではなく男、それも大人でなく子供、つまり少年に押しつけるのはやめよう。そこを次なる「戦場」にしてはならない。
自分の人生かけての学びが、最悪なかたちで生かされることになるからだ。
少年にとって競争はエンターテインメント。競争を通じて彼の人生は躍動する。
いずれ「競争」を超越するときも来るだろう。そのためには、一度「競争」を体験させてあげてほしいものだ。

戦時中、藤野に画家・藤田嗣治が疎開していたことは藤野民なら誰でも知っている。それが「藤野=芸術の里」というイメージに大きく寄与しているのだが、調べてみると、実情はずいぶんと違ったものであることがわかった。 藤田嗣治という男は面白い。戦時中は陸軍美術協会理事長として戦争画を手がけた。これによって、戦後GHQから「戦争協力者」として追求されることとなり、千葉の醤油屋などに身を潜めたという。 戦犯扱いに嫌気がさしたのか、それからまもなく、以前暮らしていたフランスに「亡命」している。 そんなおっちょこちょいな藤田は5回も結婚している。3回のわたしにとっては大先輩である。 無軌道な色恋沙汰を繰り返し、おだてられると、すぐのってしまう。創りたいものだけ渾身で創る。好き放題で自由気まま。ゆえに白眼視され、しばしば排撃される。藤田嗣治の姿は、なんだか自分を見るようで面映ゆい。 そんな藤田であるが、今もし藤野にいたら、どうだったかと夢想する。 藤田のような男は、藤野婦人のもっとも嫌うタイプだ(藤野婦人が「ステキ〜!」とする芸術家は「葉加瀬太郎」みたいな感じかw)。 ともかく、藤田のような過激で行儀の悪い男は藤野では、まずお目にかかれない。品行方正、お行儀がよいのが藤野紳士なのだ。 当時と今ではまったく違うが、藤田のような男がいつまでも藤野にいるはずがない。経歴から算出すれば、藤野疎開はせいぜい数ヶ月。藤田嗣治は、藤野から早々に立ち去ったようである(それどころか、ウィキペディアには藤野疎開の記録すらない!)。 かくして、芸術の里・藤野は、芸術家・藤田嗣治を定住させることはかなわなかった。 だが、そんな「藤田嗣治」をして、藤野の御当地有名人にしてしまったのだからすごい。それを手がけた人びとこそ、じつは藤野の英雄なのではないか。 PR=パブリックリレーションズに、じつは藤野の本領はあるのかもしれない。藤野はPRのまちでもあるのだ。

「サンタ風習」はいつから始まったのだろうか。わたしの子供の頃にはすでにあり、クリスマスの朝を心待ちにしたものだ。
その後、「サンタさんの真実」を知ってからは状況が一変した。親心を慮り、2年間気づかぬふりをした。その後も妹三人のファンタジーのために4年間とぼけてみせた。
妹から「お兄ちゃん、本当にサンタさんているの?」と真剣な眼差しで尋ねられたことがある。小学生には酷な問いかけだった。
長じては、クリスマスは恋人と過ごすものとされ、そのためにどれだけ四苦八苦したことかw
わたしにとって、クリスマスは心労の種でありつづけた。そして親になった今、サンタがまた厄介を運んできた。
シュタイナー幼稚園には、年末のクリスマスシーズンにアドベントという行事がある。毎朝、小箱の中に、きれいな石が入っていて、子供がそれを発見するという趣向だ。
坊やは感情をあまり表さないが、これには心踊っていたようで、毎日楽しみにしていた。
しかし、家内はそそっかしいので、時々仕込みを忘れることもあって、そのたびに坊やは、その現象の因果関係(どういう日に、石が入っていないのか)をしきりに推測していた。だが、さすがに母親のおっちょこちょいには思いは至らなかったww
ただ、こういう趣向に、どのような意味があるのだろうか、それが気になって仕方がない。
もしそれをシュタイナー教育者に尋ねても、「それは頭で考えることではなく、心で感じることなのです」とすげない答えが返ってくるのは目に見えている。だが、わたしは心底知りたい。
試みに、家内にこの問いをふってみると「子供には夢を見せてあげたい。感性が豊かになる」と判で押したような答えが返ってきた。
「夢」を見るにしたって、感性を育むにしたって、ほかにもっといい方法や道筋がいくらでもあるだろう? センス オブ ワンダーの涵養というのなら、手品やトリックアートでもいいのじゃないか。
わたしには、こうした「官製体験」にともなう葛藤やストレスを考えれば、むしろ逆効果ではないかと思われてならない。
意地悪な見方をすれば、子供のためというより、子供の「純粋さ」にうっとりする親のためのイベントなのではないか。
子供の「感性」を刺激して、その反応を見て目を細める。これはいかにも藤野的だ。
親をはじめとした大人たちの衆人環視のもと、藤野少年たちはつねに「感性豊かな反応」を求められる。だが、感性豊かな少年であればあるほど、その圧力で消耗してゆくのだから悲劇というほかない、
お仕着せの「装置」の中で、予定される反応を引き出すのではなく、瞠目し魂がふるえることをみずから探し出す。これを促すことが、教育の本分ではないかと思われるが、いかがであろうか?
わたしの認識がまだまだ至らないのかもしれない。ぜひ、このあたりについて見識をお持ちの方がいらっしゃったらご一報いただきたい。

藤野の大和屋という店が好きだ。昨夜、子供たちを親と妹家族に預けて、家内と二人で出向いた。
ここには藤野の、それも最も意識の高い人たちが集う。このところ、藤野をdisっているので、取り囲まれて吊るし上げに遭うのではないかと危惧したが杞憂だった。
店内には、面識のないひと組の客。中年の男女4人から「移住」という言葉が漏れてきたから、知己を頼って見学にでも来たのだろうか。
こんにち藤野への移住者は250世帯400人にものぼるという。
250もの家族(なり個人)が「地上の楽園」に恋い焦がれ、乾坤一擲の大勝負を挑んだわけだ。
藤野在住でも可能な仕事を確保し、新たに土地を求め家を建てる。子供をシュタイナー学園に入れて、朝な夕なにクルマを駆って送り迎え。合間合間に用事をこなす。なんたる激務。
これは、国分寺あたりに家を建てて、同じく都心に通勤し、子供を近隣の私立に通わせることの1万倍も難易度が高いといえる。
藤野移住、それは起業、いやそれ以上の一大事業なのだ。かなりの経営能力が問われるのは言うまでもない。
移住したまではいいものの、これほどまでに苛烈とは思わなかった。泣く泣く撤退していく人も後を絶たない。わたしが知るかぎりでも6家族ある。
始めてしまった「ビジネス」の厳しさを前に呆然とし、危機感、焦燥感、そして自責の念。これらにさいなまれる藤野婦人も少なくなかろう。
だが、そこでピリピリしてはならない。その悪しき波動は、子供たちや夫の心身を蝕むことになる。最愛の息子の情操を地に落としてしまうだろう。
探し求めた「藤野的平穏」は神奈川県の片隅に行けば得られるのではない。それは、あなた自身の心の中に現出させるものだからだ。

藤野少年に、豚肉抜きで豚汁を供したことがある。もちろん彼はイスラム教徒というわけでない。菜食主義者の母親がそう願い出たのである。
わたしは野菜はうまいのでよく食べる。だが菜食主義、ましてやヴィーガンともなると引いてしまう。それはもはやイデオロギーだからだ。
好きで食っているぶんには、野菜も心身のためになるだろうが、思想信条のために食っているというのは、どうなのかな。
むしろストレスの原因になって、心身の健康(というより元気)を損ねるのではないか。
ましてや、それにつきあわされるほうはたまったものではない。先の藤野少年は今の反動で、将来ジャンクフード好きにならないか心配だ。
かくなる暴走婦人の存在も藤野の特徴の一つとして挙げられよう。
坊やがシュタイナー幼稚園時代、父母会で就寝時間の話題が出た。わたしは自慢げに「8時までには寝ています」と言うと、園長先生が顔をしかめた。遅くとも7時までに寝かしつけるべきだということだ。
じっさい、我が家以外の家庭では、6時くらいから寝床に入るという。放課後まっすぐ帰宅すると、寝巻きに着替えて、寝る準備に取り掛かる。子供は寝るのを嫌がるので、それをなだめすかし、時には怒りで弾圧しながら寝床に送り込む。
ここまでして長時間寝たところで、どんな意味があるのだろうか。いい夢見られるのだろうか。
食生活にしても、生活リズムにしても大事なことだと思うが、あまり規律に縛られていると、かえって元気を損なうのではないか。かりに「健康」になっても「元気」でなければ意味がない。
その点、先の藤野婦人も菜食やヴィーガンで家族の「健康」を実現できても、主唱する当人だけハイテンションで、周りがみんなグッタリでは本末転倒もいいところだ。
偏食の妹がジャンクフードを食っているのを見かけると、健康食好きのわたしは「おいおい」となる。
だが、彼女は健康かつ元気だ。体型もいいし、表情も凛々しい。そんな妹にヴィーガンを強いたら、身体を壊してしまうどころか死んでしまうかもしれない。
何が心身に合うかは百人百様。それぞれ自分が元気はつらつになれる物を食えばいいのである。
家族の食をつかさどる母親たちよ、求道の道づれを家族に求めるな。ひとり精進せよ。

藤野婦人の多くはユニークな衣装を身にまとう。うまく説明できないので、わたしは原宿の竹の子族みたいな服と言っている。近所の工務店のおやじさんは「ゾロっとしたかっこう」と表現していて、これには笑ってしまった。
「せいけ、あれはガイア系っていうんだよ」
そう教えてくれたのは、中学高校の先輩だ。彼は農学部を出て山梨県庁に入り、ずっと山の仕事をしている。暮らしも、見惚れるようなロハスぶりで、とても刺激を受ける。
「藤野」の存在を教わったのも彼からだ。それまで藤野なんて、小学校の遠足で芋掘りに行く所という程度の認識だった。
その先輩と昨夜、甲府で飲んだ。
わたしは先輩を「本格ロハス家」として持ち上げようとするのだが、どうも「ロハス」扱いされるのは嫌そうなご様子。恥ずかしい、くすぐったい。ロハスとは今や、そんなイタい呼称になっていたのだ(この変遷は、往時の「フリーター」を彷彿とさせる)。
ライフ オブ ヘルシー アンド サステナビリティでLOHAS。健康で持続可能な生活者ということで、本来なら、なにも恥ずべきことはないのに、これはどうしたことか。
平成に入ってから、ロハスはブームになった。バブルに至る都市型経済一辺倒の時代への反動なのだろう。2000年ころから田舎暮らしや農業がもてはやされるようになった。
また、30代も半ばを迎えると、どういうわけか「田舎」への希求心も高まるものらしい。わたしもじっさい、新潟や京都に古民家を探しに行ったことがある。
今の暮らしぶりも、健康と持続可能を心がけているから、わたしもロハス生活者の一員なのであるが、わたしのような「なんちゃってロハス」と先輩のような本格派では格が違う。
当財団の理事は、山梨の古民家に親と暮らす。
少年時代から、いやいやながら農作業を手伝ううちに腕が磨かれ、今ではみごとな野菜をつくる。
相伝の味噌を醸し、漬け物を仕込む。地域の祭礼や行事には顔を出し、年相応の役目を果たす。
そんな彼に「ロハスだねえ」とふっても「は?」と目を丸くするだろう。それは、彼の日常だからだ。
だんだんわかってきたぞ。ロハスという言葉には、カルチャースクール、あるいは日曜大工といった手すさび的な響きがあるのだな。もっといえば、創造的というより消費的という軽佻浮薄なイメージが。
週末に空手を習っているおじさんが「私は空手家です」なんて、本物の前で言ったらボコられる。
先祖伝来の田畑を耕す人の前で「私は農のある暮らしを始めました」なんて言ったら、「それは、たいへんですねえ(=奇特なことですねえ)」と同情されるかもしれない。
新参者の大量流入を前に、「お前らのロハスはファッション。俺たちと一緒にしないでくれ」というのが本格派の本音なのじゃないかな。
でも、本格ロハス者は慎ましいので、ロハスの称号を週末耕作者やロハス消費者に譲ったのではないか。かくして「ロハス」の地位は凋落していった。これがわたしの推理である。
世の美食家は「おいしんぼ」と揶揄される。同様に、「ロハスくん」と言われて赤面してしまう日も遠くなさそうである。

詮索好きのわたしは、藤野移住者に出会うと「移住は誰の意向?」と訊ねる。
答えは、ほぼすべて「妻の意向」。むろん、夫婦同意も少なくないが、夫の意向で越してきたという人に出会ったことはない。
子をなした妻は、二階級どころか十階級も特進して家庭の差配者となる。
妻に引きづられるようにして、心ならずも藤野にやってきた夫も少なくなさそうだ。
藤野の売り文句のひとつに「都心に通勤できる」がある。藤野駅から新宿まで中央線で約1時間。たしかに通えなくもない。
だが台風や雪で、鉄道も道路もサクッと寸断され、あえなく陸の孤島と化してしまう。中央線は人身事故も多い。
藤野から日々都心に通勤するのは苦役以外の何物でもない。
わたしが高尾駅前のマンションを保有するのは、少年時代、何度も高尾駅で足止めを食った苦い体験があるからだ。
藤野に移住するなら、高尾にも拠点を持っておいたほうがいいですよ。
それはさておき、都心の「外貨」をもってして藤野生活を成り立たせるのなら、それはリゾートと変わらない。
早朝、凍土を革靴で踏みしめながら藤野駅。そこから都心に「出稼ぎ」に出て、毎晩リゾートにやってくる。田舎暮らしは、男たちの超絶移動によって支えられているのである。
そんな父の背中を見た少年の心境や如何に? 
わたしのように「ここから出てやる!」と発奮するのか、それとも「結婚ってたいへんだな」と諦念を抱くのか。パーマカルチャー藤野の後継者たちの胸の内は複雑だ。

ジャンクフードは忌み嫌われる藤野であるが、ピザとコーヒーだけは例外だ。なぜなのだろうか。
この二つについては「こだわり」が発揮されやすいからではないかと、わたしはみている。
ピザなら生地から、コーヒーなら豆から。こんな「こだわり」があれば、それは「作品」。藤野民は「作品」に弱い。
藤野にかぎらず、こんにち「こだわり」は尊いものとされるが、本来の字義に従えば「こだわり」とは「拘り」。無用な執着や偏執を意味するネガティブな言葉だ。
「拘り」の文字通り、ひとたび「こだわり」を発揮されれば、コーヒーだろうとピザだろうと、そのまま味わうわけにはいかない。その「こだわり」に見合った言辞をもって賞賛なり鑑賞せねばならないからだ。
藤野少年の消耗の一因は、この「こだわり」にあるのではないだろうか。
少年にとって食い物なんて、しょっぱくて油ギトギトで大盛りならなんでもいい。こだわり料理では腹がふくれぬ。
「こだわり」は好事家同士でぺたぺたやればよいのだが、地域の「文化」はそれを許さない。
だが、そもそも文化というものは自然体であるはずだ。肩肘張らず力まぬから、接する者は心安らぐ。それが文化というものだろう。
その点、こだわりオヤジが「おりゃあ」とやっているのは文化とはほど遠い。
藤野では、しばしばこの「おりゃあ」に遭遇する。「どや? わいのこだわり」とにこやかに突きつけてくる。これが疲れるのなんの。

藤野の地域通貨「よろづ屋」はとても重宝している。これだけの拡張性と弾力性、そしてなによりも、この簡便性。天才的発明といえる。
トランジッションツアーで見学した、藤野電力や森部といった未来志向の取り組みも興味深い。これらに携わる人たちの存在は、藤野の魅力を高めている。
何度も言うが、藤野は意識高い系の大人にとって、とても魅力的なまちだ。
子育てがひと息ついた夫婦や子供のいないカップルには、最高のコミュニティだろう。我がふるさととして誇らしい。
ただ子供、それも少年を持つ親にとっては、いったん立ち止まって、彼の目の高さまで、かがんでみる必要があるのではないか。ここまで、そんな問題提起をしてきた。
「藤野ってさあ、やっぱり大人の楽園だよな。気心知れた友だちと、しょっちゅうパーリーできてさw」
「子供をダシにして遊んでばっかいるなって、親父から怒られたよww」
そう大人が笑い飛ばしてしまえば、なにも問題はない。少年の腹にストンと落ちるからだ。
「楽しそうだな、大人って。俺も早く大人になりたいな」と素直に受け止められる。
ところが、「藤野の主役は子供。子供の心身の健全なる育成を考えて、藤野に移住してきたのです」という厳粛なるメッセージを前にすれば、少年たちは戸惑う。「え、どこが? 親の趣味じゃないの。俺の感覚って変?」こうなると、彼の社会的座標軸はゆがみ始める。
「藤野はパーリーピーポーのまち」でいいじゃないか。「大人のパラダイス・藤野」でいいじゃないか。藤野の風通しは一気によくなるぞ。少年たちも後に続くぞ。それでこそパーマカルチャーだ。
パーマカルチャー、サステナビリティの要諦は「正直」に立脚する。勇気ある正直が、藤野というまちをより魅力あるものにしてゆくのだ。

藤野論を日々開陳している。書き始めたらとめどなく溢れてくるので、自分でも驚いている。
疑義を基調としているから、藤野ラバーの多くは気色ばむことだろう。「そんな文章見たくない。燃やしてしまえ!」と目を吊り上げる人の顔も脳裏をかすめるw
だが、昨日ダイレクトメッセージをくれた藤野婦人のように、わたしの指摘を真摯に受け止め、家族そして自分の暮らしを顧みようという余裕のある方もいる。
我がふるさと藤野、そして大学時代、子安先生から手ほどきを受けたシュタイナー教育。そして二児の父親でもある。このテーマを扱わないほうがどうかしている。
今後も私見を述べていくが、わたしの疑問への答えをお持ちなら、ぜひご教示いただきたい。
藤野およびシュタイナー教育を通じて、我が論考に磨きをかけたい。よろしくお願い申し上げます。

シュタイナー学校には通知表がないという。競争原理からの離脱ということなのだろうか、ともかく学びを数値化しないという方針ということだ。
だが、少年にとって、競争はエンターテイメントである。
勉強でも運動でもゲームでも、数値化することで自己の力量を認識でき、成長を実感できる。
他者との競争に勝つことで自信が得られ、負けた屈辱によって克己心がやしなわれる。
こうした体験が、少年の心を躍動させ、胸を熱くさせ、目を輝かせるのだ。
むろん、数値化や競争を経ずして自信を持てるならそれに越したことはない。屈辱をバネにしなくても奮起できるなら最高だ。
だがそれは、あまりにも理想主義的であり、年端もゆかない子供にそれを要求するのはあまりにも短兵急だ。
一度数字や競争の世界に身を置いて、その愚かさや虚しさを痛感し、そこから新たな境地に到達する。これが人間の成長段階というものではないか。
最初から教条主義的に競争否定を植えつけられた人よりも、段階を経て高みに到達した人のほうが、人間的に奥行きと幅があると、わたしには思われる。
現実の平和が往々にして、「平和主義者」ではなく、戦いに倦んだ闘士によってもたらされることは、歴史をみても明らかだ。
数値化と競争、これらは必要悪かもしれない。しかし、これによって、少年は元気はつらつになる。この成長過程を尊び、ひとまず数値化や競争を受け入れてはどうか。
さて、わたしはいわゆる「受験戦争」の渦中に育った。小学校5年生から、スパルタ指導で知られる進学塾に電車通学した。教室では「気力」と書かれた鉢巻をして、小6のときは夜11時まで授業があった。
マスコミは「子供たちがかわいそう」「偏差値教育は悪」という論調で俎上に上げたが、当事者たる我々受験少国民はそんなふうに思っていなかった。
親の目を離れて、夜出歩けるし、買い食いもできる。向上心あふれる友達との時間は至福の時だった。
授業前は本屋で立ち読み。模型屋やゲーセンにもよく行った。夏期講習の昼休みには手打ち野球に興じ、勉強合宿では好きな女の子と話ができて舞い上がった。
都心での模擬試験の帰りがけ、建設まもない新宿の高層ビルのなかでドロケーをしたのも懐かしい思い出だ。
毎月テストがあり、順位が1位からビリまで貼り出された。ふだんは中くらいの成績だったわたしが一度だけ1位になった。このときの興奮と喜びは今でも鮮明である。
あれから30年以上の歳月を経た。今ではさすがに数値化(今なら所得とか資産か)や競争には熱くなれない。より尊びたい尺度や美意識が芽生えたからだ。
だが、数値化と競争に明け暮れた時期は無駄だったとは微塵にも思わない。あの時期があったからこそ、こうして昇華できたのだ。
人間には発達段階がある。「よきもの」を親が発見したからといって、いきなり子供の口を開けさせて押し込むようなことは避けねばなるまい。

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