働き方改革が叫ばれる背景にあるのは、クレーマーやモンスターたちの跳梁跋扈である。めんどくさい連中が、 地道に働いている人たちにいきなり襲いかかる御時世だ。
駅員に詰め寄る爺さん、医者に絡むオバハン、教師を脅すおっさん、役所の窓口で騒ぐ女。
そんな厄介者が一人出現するだけで、組織は機能停止に追い込まれ、当事者は深く傷つき、病むことになる。
医師には応召義務というものがあり、医療サービスの供与は原則拒めないとされている。だが、それもそろそろ限界に差し掛かっていると、先日の読売新聞にあった。
こうした流れを受けてか、クロネコヤマトは宅配サービスの見直しを、ファミレスやファーストフードは時短を、スーパーは正月に休業するようになった。
のちの歴史教科書は、こんにちの動きを「健康がカネの価値を凌駕した転換点だった」と記すかもしれない。
カネごときのために、心身を犠牲にはできない。これはもはや同時代人の共通認識と言っていいのではないか。
だが、そう頭では理解できていても、いざ行動に移すとなると、依然としてカネ時代の様式に囚われてしまう。そんな人も少なくなかろう。
カネ時代の呪縛と陥穽からいかに逃れるか。これは、防災訓練のごとく、日頃から反復訓練していなければ、いざというとき逃げ遅れて煙りに巻かれてしまう。
危険から積極的に逃げること。これは、人間性や職業意識とは別の話だ。危機管理という責務と言っていいかもしれない。
いま、子供を持つ親たちには、この現実を咀嚼し、行動レベルで鍛錬し直すことが求められている。
家族ーーというより食わせるためのカネのために、心身の危険をかえりみず踏みとどまったお父さんが英雄だったのは、もはや過去の話。
クレーマーやモンスターなどという化け物を回避し、出くわしたら一目散に逃れるしかない。そんな時代になった。
こんにちの父親の背中は、行く先を予見し、危機を巧みに回避してゆくことの大切さを語らなければならない。
そんな逃亡父さんが、家族の平和と繁栄をもたらすのである。