坊やは運動が苦手だ。だが、当人は人並みにはできたいと思っている。そのあたりは、わたし譲りなので、心情はよくわかる。
この秋、水泳教室に入れてみた。嫌ならすぐにやめていいという条件で、渋々通いはじめた。
顔に水が二、三滴垂れただけで大騒ぎする坊やにとって、水泳はとてつもない荒行だ。
それに、スクールに週に一度通った程度で泳げるようにはならない。むしろ、坊やのような自意識の強い男は、周囲のできる子をみて、劣等感にさいなまれることになりかねない。
そこで、スクールとはべつに近くの温泉施設にあるプールに毎日のように出向いて、特訓を行った。
しだいに寒さがつのるなか、泳がずにぬるま湯に浸かっているのも老骨にこたえる。だが、その甲斐あって、すっかり水を恐れなくなり、今では10メートル近く泳げるようになった。
わたし「できないことが、できるようになることを何という?」
坊や(6歳)「進化」
わたし「進化するとどうなる?」
坊や「自信がつく」
わたし「自信がつくとどうなる?」
坊や「元気になる」
行き来で、こんなやりとりをしながら、進化の威力を刷り込んでいる。
子供時代に勉強も運動もできる、いわゆる「神童」が失速するのは、こうした進化体験が少ないことが原因だ。
最初から何事もできてしまうような子供は、周囲の大人がより高い目標を設定し続けてあげなければならない。でなければ、気づけば、しょぼくれた凡夫になってしまうからだ。
できないことを、反復して、できるようにしていく。この積み重ねが自信にほかならない。
自信をつけた坊やは、今度はアスレチックに挑戦している。こちらもおぼつかない動きであるが、ひとたび進化のプロセスを体験した坊やは元気ハツラツだ。