2017年10月
第4社 武蔵国一宮「小野神社」
嵐の中を聖蹟桜ヶ丘まで。
この時期に撮影した写真がずいぶん消失しているなあ。

第3社 甲斐国一宮「浅間神社」
第2社 越後国一宮「彌彦神社」
「ユダヤ人大富豪」の教える育児
「週5日、朝6時半に家を出て、夜は10時帰宅。時々土日出勤で年収3000万円」こんな仕事やる?ーー友人とこんな話になった。
私の答えは明快だ。「やらない」
「ユダヤ人大富豪の教え」シリーズで知られる本田健さんにラジオでインタビューしたことがある。
ちょうど、お子さんが生まれたばかりの時期で、これから長野県に引っ込み、最低5年間は育児に専念するとおっしゃっていた。
当時の私は、それがとても奇異に聞こえたが、今はそうではない。
幼少期の子供との時間は、生涯においてただ一度、それもほんの一時期である。そんな貴重な時間を、(いつでもできる)仕事ごときに費消するわけにはいかない。
もっとも本田さんはベストセラーを連発しており、経済的基盤が安泰だから、それが可能であったともいえる。
私にしても、本田健さんの足元にも及ばないが、あまり時間をかけずに得られる収入がいくらかある(家賃、著作権使用料、印税、配当など。ちなみにこれらは自力で構築した)。
「それが、子供への全力投球を可能にしている。そんな恵まれた経済状況だからできるんだよ」という声が上がるかもしれない。
だが、当面の生活に不自由しない稼ぎがあるにもかかわらず、さらなる所得増に精を出している面々も見受けられるのが現実だ。
そこで冒頭の問いを再度投げかけたい。
あなたの日々の経済的活動は、「ユダヤ人大富豪」的損得勘定に見合っているのであろうか。一度胸に手を当てて考えてみてもいいかもしれない。
私の答えは明快だ。「やらない」
「ユダヤ人大富豪の教え」シリーズで知られる本田健さんにラジオでインタビューしたことがある。
ちょうど、お子さんが生まれたばかりの時期で、これから長野県に引っ込み、最低5年間は育児に専念するとおっしゃっていた。
当時の私は、それがとても奇異に聞こえたが、今はそうではない。
幼少期の子供との時間は、生涯においてただ一度、それもほんの一時期である。そんな貴重な時間を、(いつでもできる)仕事ごときに費消するわけにはいかない。
もっとも本田さんはベストセラーを連発しており、経済的基盤が安泰だから、それが可能であったともいえる。
私にしても、本田健さんの足元にも及ばないが、あまり時間をかけずに得られる収入がいくらかある(家賃、著作権使用料、印税、配当など。ちなみにこれらは自力で構築した)。
「それが、子供への全力投球を可能にしている。そんな恵まれた経済状況だからできるんだよ」という声が上がるかもしれない。
だが、当面の生活に不自由しない稼ぎがあるにもかかわらず、さらなる所得増に精を出している面々も見受けられるのが現実だ。
そこで冒頭の問いを再度投げかけたい。
あなたの日々の経済的活動は、「ユダヤ人大富豪」的損得勘定に見合っているのであろうか。一度胸に手を当てて考えてみてもいいかもしれない。
安定志向者が集まると、組織は不安定になる。
エリートたちが「安定」を求めた金融機関や役所には、いまやメンタル失調者があふれている。電通事件に見られるように、それはもはや組織の存亡が問われる事態ともいえる。
一方、起業家や芸術家(アーターではない)など、安定に頓着しなかった面々は目下、元気ハツラツだ。
このパラドックスを解くカギは、いったいどこにあるのか。それは「学校」と「母親」であると考える。
学校の教えと母親の願い。その交わるところは「安定」である。
それは当然だろう。おおかたの教師は安定を求めて教師になったのだろうし、多くの母親も安定を打算で伴侶を選んでいるからである。
ともに、おのれの理想とする状況を知恵と努力で勝ちとったという点では、評価に値する。
だが、そこで機能した叡智は、その時代ならではのものであり、潮流が変われば、ものの役に立たないことを忘れてはならない。
安定第二世代の失調は、時代の変化に対応仕切れなかった、先代の意識の投影であるといえよう。(つづく)
一方、起業家や芸術家(アーターではない)など、安定に頓着しなかった面々は目下、元気ハツラツだ。
このパラドックスを解くカギは、いったいどこにあるのか。それは「学校」と「母親」であると考える。
学校の教えと母親の願い。その交わるところは「安定」である。
それは当然だろう。おおかたの教師は安定を求めて教師になったのだろうし、多くの母親も安定を打算で伴侶を選んでいるからである。
ともに、おのれの理想とする状況を知恵と努力で勝ちとったという点では、評価に値する。
だが、そこで機能した叡智は、その時代ならではのものであり、潮流が変われば、ものの役に立たないことを忘れてはならない。
安定第二世代の失調は、時代の変化に対応仕切れなかった、先代の意識の投影であるといえよう。(つづく)