22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2015年09月


一畳田んぼにも、稲が実りました。最高です。
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私の日常は完全なる自由である。
何時に起きようとも寝ようとも、どこに泊まろうとも、朝から酒を飲もうと、ジョギングしようと、昼寝しようと、仕事をしようとしまいと、意のままである。
世間一般における作家の生活がこれに近いかもしれない。
だが、これだけ制約がないのも困ったもので、よほど自律しなければ、どこまでも自堕落になる。
人は私を「気儘人」という。たしかに外から見ればゆとりがあるように見えるだろうが、じっさいはそんな生やさしいものではない。
日々我が身にはめているタガという点では、いわゆるサラリーマンよりもきついかもしれない。
自律の対価が自由であり、自由の代償が自律である。
暴飲暴食、肥満、早寝早起き、そして多弁。我が身にローソクを垂らし、ムチで打ちすえるような行を課してきた。
日夜、内なる「女王様」にビシビシやられているのである。
その甲斐あってか、いまのところ、自由の女神の加護を得られている。
この自由は失いたくない。そのためには今後もセルフSM。緊縛の縄目を緩めてはならぬのである。

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うっすら涙ぐみ、坊や相手に声が上ずっていた。大げさに言っているわけではない。心底揺らいでいた。
昨夜は、断酒を決意して以来、最大の正念場であった。
朝から、坊やといっしょに鉄道の旅に出た。目的地は上越高田。私がもっとも高濃度に飲んできた街である。
いうまでもなく高田を中心とした頸城平野は酒どころ。この地域にはたくさんの造り酒屋がある。
10月末には酒祭りが開催され、秋風に吹かれながら、歩行者天国で新酒を飲み歩ける。
ご当地の「鮎正宗」や「岩の原ワイン」は贔屓にしていて、よく箱買いしてきた。
鉄道に目覚めた小学生時代、「直江津」という文字には心躍るものがあった。以来不思議なほど、縁の深い土地となった。
私の愛してやまないのが、この頸城平野なのである。これまで、おそらく50回以上来ている。
さて、二週間近くの断酒があまりにもスムーズであったので、ややタカをくくっていたこともあった。だが、それだけではない。
ここには、あまりにも多くの思い出がありすぎる。色濃い情念が溢れだし、それをおさえるために心から酒を欲した。
だが、耐えた(寝つくまでに、ノンアルビールを4本飲んだ)。
今後も断酒は続けてゆくが、頚城平野だけは飲酒特区としたいなあ。

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重度の酒飲みにとって、酒を失うということは、いわば言語を失うことに近いのではないか。
我々は日本語をつかって表現し、日本語をつかって記憶にとどめる。
同様に酒飲みは、酒を用いてセルフイメージを構築し、酒とともに思い出を作っている。
酒が失われることは、ともすればアイデンティティの喪失であり、記憶の封印にほかならないのである。
いきなり日本語のまったく通じない国に放り込まれたようなものである。
そこには、日本語の書物もない。ネットもない。
コミュニケーションにも多大なストレスを感じるし、読んだり観たり、表現したりという楽しみも限られる。
「だったら、そこならではの文物でも見ればいい」という人はよほど想像力が欠如しているのだろう。
それは短期旅行者の発想であり、いつ離脱できるかわからぬ境遇において、そんな悠長な言葉は出てこないはずだ。
この喩えにしても生温いような気もする。なぜかといえば、私の周囲には、酒が満ちあふれているからだ。
スーパーでも駅の売店でも、酒はいつでも手が届くところにある。
ないならないで諦めがつくが、あるのに自重するには、よほどの忍耐力が必要になる。
近年、酒はじつに安く、また、どこでも手に入るようになった。
これから先、アルコール依存性患者は激増するだろう。
酒やタバコは税収に貢献するのだろうが、これによって医療費が嵩んでしまっては本末転倒である。
国民をアヘン漬けにしないためにも、節酒断酒といった教育的な施策も同時に打ち出していかねばなるまい。
また飲み屋も飲ませてナンボではなく、酒をめぐるサロンへの昇華があってもいいように思う。

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策謀家・長宗我部元親は、精神の緊張を解くために酒を必要とした。
幕末の蘭方医・二宮敬作は、世の不条理を憂うあまり、酒を飲まざるを得なかった。「飲まぬ人間はよほどの悪人である」とも言いのけたという。
土佐藩主・山内容堂は「内なる熱いもの」のほとぼりを冷ますために、酒を必要とした。
大酒飲みには、それぞれの内的な事情が関係しているものである。
私はどうなのであろうか。
三者いずれのケースにも心当たりはあるが、本質はそこではなさそうだ。
もともと私は酒が強かった。二十代はまったく酔えず、仲間の酔態を見下していたくらいだ。
それがいつのころからか大酔するようになった。
加齢で弱くなるという側面はあろうが、それだけではない。
これにはどうやらカラオケが関係しているようなのである。
歌がへただということもあるが、私はカラオケの席が苦手である。あの雰囲気にのれないのである。
だが90年代初頭、いまだバブルの余熱が冷めやらぬころ、世はカラオケ全盛。何かにつけてカラオケであった。
カラオケに長けなければ、世過ぎ身過ぎできぬ。そういう危機感を持った私は、カラオケの席を乗り切るために、一気に飲んで、テンションを上げる必要があった。酔っ払ってしまえば、それなりに馴染むことができる。
ところが、この飲み方がその後の人生にわざわいした。最初から異常にピッチが速くなってしまったのである。
カラオケの猛威が去ったあと、残されたのは私の酒癖だけであった。
私の酒癖はバブルの後遺症だったのである。この事実は、こうして断酒するまで気づかなかった。
断酒は、内観的な作用もあるらしい。

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断酒の前には、「1日1食」に取り組んでいた。タモリ、たけし、福山、ガクトらがそうしていると知って始めてみることにしたのだ。
夕食は自宅で食べるので、朝昼を抜く。ただし、1日1食とはいうが、完全に1食ではなく、腹がぐうぐう鳴ったときには、カップはるさめを食べる。1個約80キロカロリー。
当初は、ひもじさを感じたが、1週間もすると慣れた。
減量、節約、健康と効果は多々あるが、もっとも劇的だったのは集中力の持続である。
食うと胃に血液が巡るので眠くなる。いつもつぎ何を食おうか、そんなことばかり考えてしまい、気が散漫になってしまう。
栄養のバランスとか、カロリーがどうのこうの言うが、そんなものは食品メーカー側の御託に過ぎない。千日回峰行をみればよい。人間は食わずとも生きてゆけるのである。
ハレの場における御馳走はともかく、ふだんは極力食わぬように心がけるのが賢明のように思える。
ようやく馴染んだ1日1食であるが、一つ落とし穴があった。それはやはり酒である。
1食で不足を感じた分飲んでしまっていたのである。いくら走っても体重が減らないのはそれが原因だった。
酒を断ったら、また「食い」に戻ってしまい、いまは1日2食である。
それでかまわない。習慣を身につけるためには譲歩は必要だ。妥協せずに、断酒がなじまなかったら元も子もない。
以前、ジョギングを習慣化する際は酒を活用した。ジョギングしたら、飲み屋行ってもいいとしたのである。おかげで、ジョギングはすっかり定着した。
酒にかわるほどのご褒美はないので、今回の断酒は危ぶまれたが、定着しつつあるのは「声援」によるところが大きい。
木村キムトモアニキはスーツに革靴でフルマラソンを完走する。
「スーツに革靴、しかも練習しないのに、よく走れますね?」と問うと、「スーツに革靴だから、完走できる」とのこと。
とにかく声援が桁違いなのだという。一人スーツに革靴で走っているのだから、そりゃ応援したくなる。
奮起とは自分一人ではなく、応援者との関係で構築するものなのかもしれない。

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私の断酒に触発されて、2名の断酒戦士が登場。他にも、断オナニー戦士1名と断ゲーム女史1名が出現した。
みずから何かを断つことは、古来、行の定番である。
五穀を断ち、即身成仏した僧たちの苦行には及びもせぬが、慣れ親しんだ習慣を断つことは、まさに骨身を削られる思いである。
だが、「得るは捨つるにあり」ともいう。何かを獲得するためには、それなりの代償を払わねばならないものだ。
欲張ってしがみついていると、天から強制的に手放させられる。そんな経験は誰しもあるはずだ。
みずから手放す鍛錬を積んでおくことは、新しい局面を獲得する有効な手だてとなろう。
計画的に手放しながら、新しいものを手に入れる。そんな新陳代謝システムを内在化させていれば、いつまでも成長してゆける。
オナ禁戦士、断ゲー女史の健闘を祈る!

断酒2週目を迎えた。よく「禁断症状はないか」と尋ねられるが、ほとんどない。これには私も驚きだった。
だが、これは私の意思が強いからというわけではない。タイミングがよかっただけのことである。
この十余年、少なくとも週に1度、通算500回は節酒を決意してきた。
「人前で飲まない」「焼酎ロックだけにする」「土日だけにする」「店でしか飲まない」「夜10時以降に飲む」など、涙ぐましいルールをつくっては敗退してきた。
1週間前の今日、私は朝から二日酔いに苦しんでいた。
寝床を出られずに、スマホで芸能ニュースなどを淀んだ目で眺めながら、2時間もの間、うだうだと。
「酒 自己嫌悪」「節酒 体験談」で検索しては、節酒のための方策を模索するが、いずれもすでに試みたものばかり。
時折「断酒」という言葉も目に入るが、断酒なんてできるわけがないと一蹴ーー
ところが、つぎの瞬間、私はデスクに座り、友達にメッセージを送っていた。
「来週うちに来るとき、持ってくると言ってたワイン、もう買ってしまった?」
未購入なら、持参は無用と伝えようと思ったのである。
このときすでに、私は断酒を決意していた。
ただし、決断に至る心の動きはよく覚えていない。最後の記憶は「酒などやめられるわけがない」であるからだ。
地獄の底でうごめいているとき、ふと天から蜘蛛の糸が降りてくるのを目撃し、それをすかさず捉えたような気もするが、それは後付けのイメージだ。
だが、人が決意する瞬間とはこんなものらしい。
過去2度、起業したときもこんな感じであった。気づいたら始めていたのである。
成功者は「運がよかった」とよく言う。今回憑き物を落とせた私も運がよかったと思う。
ただし、その幸運は、それまでの油汗を流すような放下が土台になっているようである。
500回もの節酒への挑戦があってこそ、こたびの断酒がスムーズに推移したのであろう。
私にとって忌まわしい体験が、本番を前にしてのよき鍛錬になっていたのである。

生きていれば、いま祖父は150歳くらいになろうか。明治初期、あるいは江戸時代の生まれらしいが、豊後岡藩士を出自とすること以外、詳しいことはわからない。
九州の片田舎の豪族として君臨し、「分家」を乗っ取って二家を営み、横溝正史の「八つ墓村」に出てくるような一族を差配していた。
我が親父は、祖父が七十過ぎのときの子である。皇紀二千六百年ということで、祖父は「二千六百」と命名した。驚くことに、さらにもう一人子をなし、そちらには「大東亜」と名付けた。
そんな歳であるから、生みの母が正妻であるはずがない。後妻というか、要は妾である。
本宅屋敷の対岸に妾宅を構え、夜な夜な大酔しては、ふんどし一丁で川を渡っていたという。
酒癖が悪く、あるときは村人に簀巻きにされて、水をじゃぶじゃぶかけられて懲らしめられたとも聞く。
一時は栄華をきわめた祖父であるが、戦後没落し憤死した。
死のみぎわ、ペンと紙を所望したので、辞世の句でも残すのかと思いきや、力ない筆致で「 サ ケ 」と書き、直後に絶命した。
そんな祖父に対し、親父は愛憎半ばする思いであるという。
妾の子という境遇やでたらめな命名、そして晩年の零落とすさみぶり。
そういう親父であるが、祖父の気質を濃厚に受け継いでいる。要は酒癖が悪い。それが少年期の私を苦しめた。
こんどは私がそれを受け継いで、息子たちを苦しめぬともかぎらない。
この悪しき気質は、どうやら酒とともに継承されているようである。
こたびの断酒は、たんにアルコール入り飲料の摂取をやめたということではない。
父祖以来の悪癖の連鎖に終止符を打つという、いわば血脈の浄化作業なのである。

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断酒によって生み出された時間の行き先は二つあり、その一つはジョギングである。
これまでもジョギングは日課になっていた。河川敷を約8キロ走って、汗だくになって戻って来て、ひと風呂浴びて、グビクビやるのが至福の時であった。
だが、その楽しみがなくなった。ここではじめて気づいたのだが、8キロどころか、まだまだ走れそうなのである。
今までは早く飲みたいがために、自分に手心を加えていたようである。
ここ数日は、一息入れてから、もう一度コースに出て行く。そんなことが2度ばかりあった。
中世の貴族たちは、食べるために吐いて、また食べたというが、私も飲むために走っていたのであった。
ジョギングに加えてもう一つ。本をよく読むようになった。夕方から読み始め、消灯までに一冊読める。
昨夜読んだのは村上春樹の新刊『職業としての小説家』。
仕事に注力するための個人的なシステム(ひらたく言えばルーティンワーク)を編み出す過程が興味深い。
私のジョギング習慣は5年前から、1日1食と断酒は今年から。これらもおのれを最大限に活用するためのシステム構築が狙いである。
村上春樹という先哲の格闘をこういうかたちで読むことができたのも断酒の効能の一つである。

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子供の前で酒を飲むのは、どうやらよくないようだと、いまになって反省している。
うちの坊やは私が飲むのを嫌がる。
庭先で飲んでいると「お酒飲まないほうがいいよ」、スーパーでビールを買おうとすると「やめといたら?」と4歳児は、こうのたまう。
私はそれほど乱れることはないと思っているのだが、子供の目から見れば、酒による父親の変化は、たとえそれが若干であろうと、自分の生存の危機と映るのかもしれない。
酒飲み家庭とは、子供にとって、つねに精神的に不安定を強いられた修羅空間なのだろう。
世にいうアダルトチルドレンとは、酒飲みの親を持った子供たちに顕著な性格的特徴(悪い意味で)を保持する大人をさす。
自己信頼感の欠如、自己批判と他者批判、人を試す言動、過剰な責任感、漠然とした不安感や空虚感など――これらの特性は、じつは私自身によく当てはまる。
じっさい我が父は大酒飲みで、よく夫婦喧嘩したり、子供たちに暴言を吐いたりしていた。どうやら私は、父と同じ轍を踏もうとしていたようである。
昨日の日曜日は、近所の友達家族が来訪した。
庭先に七輪やバーベキューセットをしつらえて一献ーーというのがこれまでの流れであったが、今回はソーダ水。これで十分楽しめる。
子供たちもシラフの父親の前で、安心して遊んでいる。

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神楽坂時代はひどかった。仕事場と自宅は徒歩3分ほどであったが、帰宅するのに数時間、ひどいときはたどり着けなかった。
当時は金持ちだったので、月100万円近く飲んでいたときもあった。脂肪肝になるのも無理もない。
行きつけの店のバーテンダーは風流人で、私の酔いぐあいによっては酒を飲ませなかった。
昂ぶる私をなだめるために、薀蓄を傾けながらミネラルウォーターを飲ませるのだ。
水ばかり数杯飲んで、勘定(いくらか記憶にないが)を済ませることも何度かあった。
だが、これぞバーではあるまいか。バーは、いわば現代における茶の湯。彼のような「利休」にもてなされれば、もはや酒などはおまけでしかない。
そんな話をしながら、キムトモアニキに飲まずに酔えるバー構想を焚きつけたのでした。

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今日これから、リクルート時代の先輩キムトモさんのバーに行く。
キムトモさんとはさんざん飲んできた。今日これからが、私の断酒生活の成否を決める試金石となろう。
戦略なく出向けば、惨敗は必定。こういうときは事前演習がものを言う。
そこで昨夜、酒豪・次郎冠者を誘い出し、串カツ屋に行った。
ボクサーが試合前にスパーリングをするように、本戦前に模擬演習をしようというわけだ。
店には1時間半滞在(支払いは、むろん私が持った)。
この間、次郎冠者はハイボール3杯。私はウーロン茶2杯と水飴を溶かしたような甘い飲み物。
驚いたことに、こんなのでも、十分「居酒屋」を堪能できた。
さらに意外だったのは、酒を飲んでいるときより陽気になっていたことだ。
酒というドーピングがない分、私の中から酒精が発露したのか。ハツラツとした精神が高揚するのを実感した。
武運長久。無事凱旋することを祈念しつつ、いざ出陣。

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今年初、飲まずに迎えた朝は快調快適。夕刻になったが、とくに飲みたくもなし。風呂上がりにソーダを飲んでいる。このままやりすごせそうだ。
ソフトバンクホークスの松中信彦選手は2004年、三冠王を獲得した。その際のインタビューで彼は「もう人の一生分は飲んだ。大好きなものをやめて、とんでもないものを手にしました」と語った。
もう10年以上前になるが、この言葉は当時から、いつも私の心に残っている。
松中は常勝チームの四番打者としての使命に目覚めたのであろう。志に目覚めた男は、些事を捨て去ることができるものだ。
私が今回断酒に踏み切ったのも、遅まきながら、志に目覚めたことが関係している。
志の実現に向けてなら、酒などはどうでもいい。そんなものに邪魔立てされるわけにはいかない。
私も「三冠王」を獲得して、また酒場に戻ってきます。
I Shall Return !

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アルコール依存症患者の平均寿命は52歳だという。あと6年でその歳になる。
息子は10歳で小学校5年生、娘は6歳で幼稚園の年長になっている。
そんなとき、彼らと別れるのは痛恨の極みだ。子供たちも泣くだろう。
すでにアルコール依存症であると自認し、ともすればアル中になりかねない私である。
ここで一念発起し、断酒することにする。
ただし、3年くらいで実現できそうな目標があって、それを実現したら解禁とする。
たぶんその頃には、酒に飲まれずに飲めるようになっているはずである。ダメだったら、また断酒すればいい。
さて、仕事場に箱買いしてある酒をコワーキングスペースに寄付しに行くとしよう。ウコンの力ももういらない。

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