夕刻、九段下を出発して、石巻に到着したのが午前1時。
12時をまわると、高速料金が半額になるので、それを見越した旅程だ。
石巻からは国道で南三陸町へ。
南三陸町という名称は昨今の合併名称そのものでどうも好きではない。
以前の町名「志津川」のほうがよほど情感漂う。
だから、以降、志津川を用いる。
この調子で行くと、志津川には2時過ぎには到着しそうだ。
現地が近づくにつれ、だんだん怖くなってくる。
草木も眠る丑三つ時、一年前に、多くの死者を出した場所だ。
さまよう霊魂が、私をどのように出迎えるのか。
さらには、前方を走っていたトラックがなぜか急停車し、今来た道を引き返し始めた。
いよいよ怖くなったが、その後の旅程を考慮して、自分を励ましながら、夜道を進んだ。
志津川にさしかかる高台に観光旅館がある。
ここの駐車場が満杯。灯りのついている窓もあり、大いに人の気配を感じ、いくらか安堵。
坂を下り、津波に洗われた町内に入った。
夜を徹しての工事も行われているのだろう。
太った警備員が工事現場で棒を振っていた。この姿を見て、心のこわばりがだいぶ解けた。
一年前とは見違えるくらい片付いていた。
道路沿いは新しく照明も設置され、焦土の中に明るささえ見出せた。
日頃は、あざけっていた「希望」という言葉をいくらか実感できたように思う。
一年前の四月の終わり、私は震災一ヶ月後の志津川を訪れた。
早朝4時過ぎに到着すると、土砂降りの雨が降っていた。
海の方角には、何が燃えているのか火柱が上がっていた。焦げた臭いが充満している。
あまりの惨憺ぶりに、咄嗟に状況が腹に落ちなかった。
その数年前の秋の日、ここを通りかかった時はお祭りだった。
交通規制されていて、中心部を迂回した。
町外れの道路沿いの屋台で、サバの塩焼きを購って食べた。
そこから、山車を引いている子供たちが遠望でした。
みんな無事であればいいな。
志津川駅跡地で黙祷を捧げた。
満天の星空をしばらく眺めてから、志津川を後にした。
●陸前高田






●細浦駅




●吉里吉里駅


●大槌駅



●陸中山田駅

●津軽石駅


●陸中海岸


●岩泉駅






12時をまわると、高速料金が半額になるので、それを見越した旅程だ。
石巻からは国道で南三陸町へ。
南三陸町という名称は昨今の合併名称そのものでどうも好きではない。
以前の町名「志津川」のほうがよほど情感漂う。
だから、以降、志津川を用いる。
この調子で行くと、志津川には2時過ぎには到着しそうだ。
現地が近づくにつれ、だんだん怖くなってくる。
草木も眠る丑三つ時、一年前に、多くの死者を出した場所だ。
さまよう霊魂が、私をどのように出迎えるのか。
さらには、前方を走っていたトラックがなぜか急停車し、今来た道を引き返し始めた。
いよいよ怖くなったが、その後の旅程を考慮して、自分を励ましながら、夜道を進んだ。
志津川にさしかかる高台に観光旅館がある。
ここの駐車場が満杯。灯りのついている窓もあり、大いに人の気配を感じ、いくらか安堵。
坂を下り、津波に洗われた町内に入った。
夜を徹しての工事も行われているのだろう。
太った警備員が工事現場で棒を振っていた。この姿を見て、心のこわばりがだいぶ解けた。
一年前とは見違えるくらい片付いていた。
道路沿いは新しく照明も設置され、焦土の中に明るささえ見出せた。
日頃は、あざけっていた「希望」という言葉をいくらか実感できたように思う。
一年前の四月の終わり、私は震災一ヶ月後の志津川を訪れた。
早朝4時過ぎに到着すると、土砂降りの雨が降っていた。
海の方角には、何が燃えているのか火柱が上がっていた。焦げた臭いが充満している。
あまりの惨憺ぶりに、咄嗟に状況が腹に落ちなかった。
その数年前の秋の日、ここを通りかかった時はお祭りだった。
交通規制されていて、中心部を迂回した。
町外れの道路沿いの屋台で、サバの塩焼きを購って食べた。
そこから、山車を引いている子供たちが遠望でした。
みんな無事であればいいな。
志津川駅跡地で黙祷を捧げた。
満天の星空をしばらく眺めてから、志津川を後にした。
●陸前高田






●細浦駅




●吉里吉里駅


●大槌駅



●陸中山田駅

●津軽石駅


●陸中海岸


●岩泉駅





