22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2010年09月

■14(火)

東京 22:00 サンライズ

■15(水)

岡山

博多 10:45 ジェットフォイル

対馬・厳原港 13:00

宮本常一が歩いた対馬。

聴き取り活動に携わる者としては、一度は行ってみたかった。

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船旅は、この感じがいい。

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こちらは壱岐。


       15:25

博多港 20:10


■16(木)

石橋園長取材

博多

福山

■17(金)

その後、どうやって帰京したか、忘れてしまいました。

「腰骨を立てます!」――まだあどけない幼児たちは、目を閉じ、腰骨を立て身じろぎもしない。立腰教育と躾の三原則というユニークで実践的な教育指導で知られる仁愛保育園。全国各地から、これまで二千人もの見学者を受け入れてきました。
「かたちの持つ精神を涵養していくから、心が育つんです。心を育てるためには、先ずかたちから」こう語るのは園長・石橋富知子さん。悩み続けた開園当初、”解答”を与えてくれたのが森信三先生。森先生の思い出を、石橋富知子さんが語ります。


●悩みに悩んだ三年間――解答書との出会いに光明

 昭和四六年四月、三歳未満児の乳児保育園を始めました。でも、最初は子供たちにたいへん手こずっていたのです。思うように、落ち着かせることができない……。このままでは、親御さんにも子供たちにも申し訳ないと毎日悩んでいました。そんな状態が三年も続き、悩みが頂点に達した昭和四九年三月十五日、森信三先生の講演録「一つ一つの小石を積んで」という本に出会いました。主人の実家を訪ねた時、私の悩みを知っていた義父がポンと手渡してくれたのです。
 帰りの汽車の中で冊子を開き、序文を読み始めるとびっくり。私が三年間振り回されてきた問題の解答がそこにあったからです。自分から挨拶する、「ハイ」とはっきり返事する、履き物を揃える――この躾の三原則を徹底することで、人間として軌道に乗せることができる。腰骨を立てることで、生涯を貫く自分の性根を培うことができる。私は感動しながら、一気に読み上げました。何の違和感もなく、すっと入り込んできました。理屈ではなく、私の情緒、魂が受け入れたのでしょうね。
 翌日から、意識的に腰骨を立ててみました。実際やってみると、意識が腰骨一点に集中するのがわかります。心が安定してきて、集中力が高まるのを実感しました。私の二人の子供とも一緒に腰骨を立ててみました。次は、返事です。最初はためらいがありましたが、主人や子供から呼ばれたら、はっきり「ハイ」と返事をするようにしました。履き物も揃えました。それから一週間も経つと、家の中の雰囲気がすっきりしてきたんです。
 効果を確認した私は、保育園の十人の先生たちに森先生の本を差し上げました。しばらくすると、「子供たちが落ち着いてきた」「話を聞くようになった」という報告が先生たちから寄せられました。それからというもの、先生たちが率先して実践してくれるようになったんです。

●「仁愛保育園に、大感謝の日でした」

 森信三先生に初めてお会いしたのは昭和四九年八月、伊勢神宮で開催された実践人研修会でのことでした。初めてお目にかかった森先生は、背広姿で凛々と立っていらっしゃいました。颯爽としていて品格がある。まさしく知性のかたまりという雰囲気でしたが、全身から安心感があふれ出していました。
 会が終えて、お別れの挨拶をした時、森先生は私をじっと見据えて「石橋さん、あなたの我を取りなさい」と丁寧な言葉でおっしゃったのです。当時、三十四歳だった私は、まだまだ勝ち気で自己中心的なところがたくさんありました。私のそんなところを、先生はお見通しだったのでしょう。今でこそ、我があると、本物は見えない。我を取った素直な姿勢が必要だということがわかりますが、当時はわかりませんでした。
 それでも、私はわからないなりに行動に移そうと、翌朝から保育園の門の前に立って、保護者や子供たちに自分から挨拶を始めたのです。にっこり笑って「おはようございます」と。何日も何日も続けていると、子供たちも次第に挨拶するようになってきました。人間の心の扉が開くとは、このことなんだな、と思いました。
 たいへんなこともありましたよ。立腰教育と躾の三原則を採用しますと言ったところ、一部の親御さんが思想信条があったようで猛反対してきたんです。三年近く抵抗され、最後はよその園に行かれました。それからは後顧の憂いなく邁進できました。子供もどんどん良くなって、申し込みも増えて増えて。百名定員が二百名になりました(笑い)。
 仁愛保育園の教育は、卒園後に効果がわかります。本来は三つ子の魂百まで。習慣化され、命に溶け込んだ「かたち」は、咄嗟の時に自然に出るのです。卒園者の一人が高校生の時、卓球の試合で日本一になったんです。身体障害者の彼は優勝後、福岡県知事を表敬訪問した際、きちんとした挨拶から始まり、知事を相手にしっかり受け答えができたというのです。知事室を出た瞬間、彼はふと仁愛保育園を思い出したそうで「仁愛保育園に、大感謝の日でした」というハガキを送ってくれました。嬉しいですね。

●「私は、日本民族を信じます」の言葉を胸に 

 研修会をご縁に、森先生からは、その後もご指導いただく機会に恵まれました。仁愛保育園にお招きし、父兄向けに、家庭での躾についてお話をしていただいたこともありました。皆さん真剣に聞いていましたよ。聞いていたお母さんの一人が何年も経ってから「あの先生のお話が、今までで一番ためになった」と言っていました。
 森先生は、誰とでもお話ができる方でした。子供、庭師、芸術家から学生運動家まで。相手のレベルに合わせながら対話なさるのです。話が終えると、皆さん満足そうに帰って行きました。知的に満たされた幸せそうな顔をして。
 森先生は、私の相談にも気軽に乗ってくださいました。ある時「日本人としての自覚を育てるには、どうしたらいいでしょうか?」と尋ねたところ、先生は「国旗を見せておけばいいんです」とおっしゃいました。子供の芸術的才能についての相談には、「名画を見せなさい」。こうした先生のアドバイスは、今も園の運営に生かされています。
 ある時、森先生は「石橋さん、人間は骨が出過ぎてはいけません」とおっしゃって、美術館で名画を見たり、陶芸家を訪ねてみることを勧められました。先生には、私の不足しているところが見えていらっしゃるのですね。傷つけないように配慮されながら、適切な言葉で助言してくださいます。
 私は森先生というたいへん素晴らしい師に巡り会いました。師を持たないと、能力があっても平面的な見方になってしまいがちです。師を持つことで、物事を立体的多面的にとらえられるようになるのだと思います。持つべきものは師ですね。
 森先生はおっしゃいました。「私は日本民族を信じます。二〇一〇年からの五年、十年の間に、仁愛保育園は歴史的な園になることでしょう」――この言葉を胸に、私もまだまだ現役でがんばっていきたいと思います。

■聴き書きを終えて

 インタビュー後、私は石橋先生に個人的な相談を致しました。先生は、私の幼少期以来の来し方について深く理解してくださり、現在の私を肯定し、今後の私の人生を祝福してくださいました。石橋先生との邂逅、それは森先生の言葉「出会いは、必然」そのもの。今、会うべき人に、会うことができました。出会いに深く感謝。

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▲石橋園長


■写真(キャプション)

森信三先生

石橋富知子先生

「一つ一つの小石を積んで」

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