22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2009年07月

■2(木)

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親友の馬が今、一番人気。というわけで、1万円分購入。

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シベチャリレンジャ、かっこいい。

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さあ、来た!

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残念。。。
でも、競馬場の雰囲気は、私にあっているね。
地方競馬、また行こう。

■8(水)

東京 12:12

新潟 片桐氏面会
   22:55 急行きたぐに

■9(木)

大阪 収録

■10(金)

名古屋

東京

■23(木)

松本

■24(金)

高田

●二本木駅

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いい駅だなあ。

●燕温泉

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愛してやまない温泉です。飛び交うツバメがキュート。

■25(土)

新潟 甘利氏面会

■26(日)

真田庄

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○「おや、生きていた」――日々の感動が希望を生む 

七時半から八時の間に寝ますね。それから十二時までぐっと寝れるの。それから老化現象なのか、目が覚めてね。朝まで眠れないんです。 元気なころは、一杯飲んですぐ寝てね。夜中の二時ごろ起きてから、ずっと書斎に入っていましたが、もう一人で起きることもできないですから、寝床の中にいます。無理に寝ようと思うと眠れないもんだからね、ものを考えることにしたのよ。 先日、たまたま、パスカルの『パンセ』を改めて読み直したんです。ご承知のとおり、人間は、知ること、考えること、死ぬことを知っている。死ぬことを考えることは他の動物にはできない。 

それで、この頃、自分の書いた本とか考えたことを、もういっぺん考え直してみながら、夜が明けるのを待っているんです。 この頃、起きた時、「あぁ、生きてるな」っていう感慨があります。若い時にはなかった生きる感動っていうものを持つようになりましたね。 松尾芭蕉の好きな句にね、「よく見れば、なずな花咲く垣根かな」というのがあります。なずなって、あのペンペン草。きれいな花でもないんですね。それが、庭でも花園でもない、垣根の隅っこに、ちんまりと咲くべきときに咲いて、人が見ておろうが、見ておるまいが、関係なく咲いている。芭蕉はそれに感動した。 だから、朝を迎えるにも、当たり前だと思うんじゃなくて、「おや、生きていた」と感動、感銘をお持ちになるといい。今日もまた自分の仕事ができるという感動をね。 それから、少しでも人のためになることができるという希望。感動が希望を生む。希望も自分だけじゃなしにね、人様にも希望を起こさせるような希望を持たないといけないですよね。例えば、「松原は、あの年になってまだやっているなら、俺だってできるぞ」といったような希望とか(笑)。

○無理しない、無精しない、粗末にしない
 
そのためには、依頼心を持たないことね。それから、卑屈にならないこと。それから、一日一日、建設的に生きること。どこまでも前向きに。 こういう時代になってくると、卑屈になってしまって、もうだめだといった気持ちが起きるんです。そういう気持ちが自分をだめにしちゃいますからね。 病気になったらなったで、人を慰める力が与えられます。健康な人が、病人に「苦しいでしょうね」なんて言っても有り難がられないし、時には反感を持たれる。しかし、同病であれば、「苦しいですね、痛いですね」という言葉が何よりの慰めになるんですよ。

そのためには、まず、無理を言わない。年取ると、よく無理を言うようになります。だから、無理を言わないようにする。それから、不精をしない。「立ってるものは、親でも使え」っていうけど、自分でやる。ヘルパーさんにも、自分でできることは自分でするから、過保護はやめてくださいと言ってるの。 それから、物を粗末にしない。もう労働も何もできませんからね、できるだけ物を大切にする。本を読んでいて知ったんだけど、鎌倉時代に、天台宗の明恵上人という人があった。お寺の廊下を歩いていたら、ちり紙が落ちていた。「仏様のお国のものが落ちてる」と言って、念仏を唱えて拾い上げたそうですよ。

○佳き人生は、日々の丹精にある 

儒教には「日々に新たなり」という言葉がありますけど、毎日が、今日一日、という生き方ですね。 江戸時代に、長野県のほうの農村の人たちがね、「一日暮らし」っていうことを、村全体がモットーにして精出ししたといいます。「一日暮らし」と「その日暮らし」というのは違うんですね。その日暮らしというのは、蓄えも何にもなくて、その日をやっと暮らしていくこと。一日暮らしというのは、今日の一日は自分にとって、かけがいのない一日であり、その一日を全力で生きるという暮らし方。お釈迦さんの言ったとされている言葉に「今日為すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことが、佳き一日を生きる道である」というのがある。 

大事なことは、「ああ、できなかった」と投げてしまうのではなく、「ああ、恥ずかしいな」という恥の気持ちを心のなかのどこかで残しとくこと。ホイットマンという一九世紀の詩人がいるんです。今でもアメリカを代表する詩人ですけどね。その詩の一部に、「女あり。二人行く。若きは麗し。老いたるは、なお麗し」というのがあります。「若きは麗し」は、珠のような麗人でしょうね。これは、天性の為せる美で、化粧も何にもしなくても、素のままで美しい。 老いたるは、なお麗し。老いていても麗しいとは、いろんな人生苦で自分を磨き上げた美しさ。 これを丹精っていうね。お茶碗でもいいけれども、抹茶のお茶碗なんか、高いお金を出して買ったものよりも、先祖代々、何百年間使い込んだほうが値打ちがあるんです。 これが丹精。サビの出やすいものは、サビの出ないように、折れやすいものは、折れないように大事にしていく、こういう手入れが丹精。人間も壊れ物で、若くても死ぬこともある、脱線することもある。それであればこそ、丁寧に手入れをして、大事に育てていく――これが老いの美しさだと思いますね。これを丹精というんです。「よき人生は、日日の丹精にある」――これは、私の言葉です。毎日毎日、健康の丹精はありますけれど、色々精神的な間違いもあります。そういうことを、丹精していく。人間、やっぱし良くも悪くも、無くて七癖といって、癖があります。それを丹精をして、プラスにしていくところに人生があるんですね。




★とみん経営ビジネス インタビュー記事

■タイトル

無理しない、無精にしない、粗末にしない

松原泰道さん(龍源寺住職)

■リード(200字) 5

 現在の”生き仏様”松原泰道師。一〇〇歳を過ぎた今も、執筆、講演と、元気に活躍されています。一日暮らしのすすめ、依頼心を持たない、卑屈にならない、丹精に生きる、無理しない、無精にしない、粗末にしない――松原さんの言葉には、厳しい現代を生きていく知恵に満ちあふれています。健康で長寿をお望みの方、ぜひ、松原さんの珠玉の言葉を、より豊かで実りある暮らしに生かしてみてはいかがでしょうか。


■本文(3000字=75行/見出し3本)

●「おや、生きていた」――日々の感動が希望を生む

 夜は、七時半から、八時の間に寝ます。それから十二時までぐっすり。でも、その時間になると、老化現象なのか、目が覚めて、朝まで眠れないんです。
 元気なころは、一杯飲んですぐ寝てね。夜中の二時頃、起きてから、書斎に入っていましたけど、もう一人で起きることもできないですから、寝床の中にいます。無理に寝ようと思うと、かえって眠れないもんだから、寝床の中で考えることにしたんです。
 先日、パスカルの『パンセ』を読み直したんですよ。ご承知のとおり、人間は、知ること、考えること、死ぬことを知っている。死ぬことを考えることは、他の動物にはできない――という本。それを読みながら、自分の書いた本や考えたことを、もういっぺん考え直しながら、夜が明けるのを待っているんです。
 最近は、目が覚めた時、「ああ、生きてるな」っていう感慨があります。若い時にはなかった生きる感動を持つようになりましたね。朝を迎えるにも、当たり前だと思わずに、「おや、生きていた」と感動、感銘をお持ちになるといい。今日もまた自分の仕事ができるという感動をね。それから、少しでも人のためになることができるという希望。
 希望といえば、自分だけじゃなく、人様にも希望を起こさせるような希望を持たないといけないですね。「松原は、あの年になっても、まだがんばっている。それなら、俺にだってできるぞ」といったような希望を与えたいですね(笑)。
 そのためには、卑屈にならないこと。これがあれば、一日一日、建設的に生きることができる。どこまでも前向きにね。
 こういう時代だと、卑屈になってしまって、もうダメだといった気持ちになりますが、そういう気持ちこそが自分をダメにしてしまう。
 病気になったら、人を慰める力が与えられたと考えてみては。同病であれば、「苦しいですね、痛いですね」という言葉が何よりの慰めになるんですよ。逆に、健康な人が、病人に「苦しいでしょうね」なんて言っても有り難がられないし、時には反感を持たれる(笑)。
 逆境の時、夜逃げをしたくなるとか、自殺したくなるとかありますいが、こういう時こそ、人間は成長するんです。生きがいは、こういう時こそ生まれるものです。だから、苦しい時は、とにかく逃げては駄目。こちらから取り組んでいく。逃げたら、どこまでも追っかけてくるからね(笑)。

●佳き人生は、日々の丹精にある

「佳き人生は、日日の丹精にある」――これは、私の言葉です。毎日毎日、人間誰でも、良くも悪くも、無くて七癖。いろいろな癖があります。それを丹精をして、プラスにしていくところに人生があるんです。
 お釈迦さんの言葉に「今日為すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことが、佳き一日を生きる道である」というのがあります。毎日の丹精が大切なんですね。
 抹茶のお茶碗にしたって、先祖代々、何百年間にわたって使い込んだほうが値打ちがありますよね。サビの出やすいものは、サビの出ないように、折れやすいものは、折れないように大事に手入れしていく。こういう手入れが丹精。
 儒教に、「日々に新たなり」という言葉があります。毎日が、今日一日、という生き方ですね。江戸時代に、信州の農村の人たちが「一日暮らし」を、村のモットーにして精出ししたと聞いたことがあります。
「一日暮らし」と「その日暮らし」というのは違うんです。その日暮らしというのは、蓄えも何にもなくて、その日をやっと暮らしていくこと。一日暮らしというのは、今日の一日は自分にとって、かけがいのない一日であり、その一日を全力で生きるという暮らし方です。毎日が初日という気持ちで、一日暮らしをモットーにするのがいいですね。
 日々の丹精を実現するための、三つの心がけがあります。まず、無理を言わない。年を取ると、無理を言うようになります。だから、無理を言わないようにする。
 次に、不精をしない。「立ってるものは、親でも使え」っていうけど、自分でやる。ヘルパーさんにも、自分でできることは自分でするから、過保護はやめてくださいと言ってるの(笑)。三つ目は、物を粗末にしない。労働も何もできませんからね、できるだけ物を大切にする。この三つを心がけになさるといい。

●足を知って、学べば、おのずと謙虚に

「足るを知るは、誠の満足。二匹鯛釣る恵比寿なければ――」という歌があるの。足るを知ることができることが、本当の満足。恵比寿さんを見てごらん。二匹鯛持っている恵比寿さんはないよねというわけ。
 足ることが最高の幸福だと昔からよく言われていますが、なかなか難しいね。今の人は自制心が弱いから、すぐに流されてしまう。本当に自分を大事だと思い、自分がかわいいと思っているなら、自制心を持つことが大事。
 もう一杯飲みたい時もブレーキ。お汁粉をもう一杯、という時もブレーキをかける。自分に強くなって、食べ物でも何でも八分目でやめておく。そして、二分を残しておくのがいい。
 人と自分を比べて、苦しんでいる人がいます。でも、大事なのは、比べるのが悪いということではなくて、比べることに執着を持ってはいけないっていうこと。執着をすることが一番の問題です。比べて、こっちが上等、あっちは下等だとか言って、区別するのを避けること。
 執着しないためには、視野を広くすること。広い範囲で見ると、認識も深まってきますから。狭い視野だと、そうもいかない。
 人間、謙虚になることは必要ですが、頭を押さえ込んで、謙虚になろう、謙虚になろうとしても、わざとらしくなる。不自然になってしまう。
 だから、謙虚にしようとするより、学ぼうという姿勢を持つのがよろしい。学ぶほど、自分の足りないことが分かってくる。学べば分からないことが分かってくると同時に、また分からないことが出てくるもの。そういうのは、楽しいね。
 自分で頭押さえつけなくても、学んでいるうちに、だんだん自分の分からないことが多くなってきて、自然に謙虚になってくる。学ぶということと謙虚は、後ろと前のような関係。積極的に、学ぼうって、いつも私は言っているんです。
 そのためには、読書と思索が大事。本を読んで思索する。そういう習慣を持てば、視野も広がって、小さなことに執着しなくなりますよ。

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