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川口市雄さんは昭和11年9月19日生まれ。現役の熱海市長です。丹那トンネルの完成や、新幹線の開通、新婚旅行のメッカといわれた熱海の黄金時代――。川口市長の目から見た移りゆく熱海の様子と、それぞれの時代に見せる熱海の顔についてお話を伺いました。

─熱海駅、そして鉄道はどういう印象でしたか?

川口: 私は網代駅の近くで生まれたので、幼い頃は熱海駅よりも網代駅の方が印象に残っています。

熱海駅は、丹那トンネルが昭和9年に開通し、多くの人が熱海に訪れるようになった。その頃に、ちょうど私が生まれたわけです。

その頃の人たちにとっては、交通機関といえば鉄道ぐらいしかありませんでした。車なんてものはありませんでしたから、非常に貴重でした。そして、我々が子どもの頃は、なかなか鉄道なんて乗れなかった。ですから鉄道はピカピカ輝いているように思えました。

─ 鉄道は憧れの的だったのですね。

父は網代駅から熱海駅まで、毎日電車に乗って通いました。その父を毎朝、網代駅まで見送りに行っていたのをよく覚えているんですよ。「あぁ、これから親父は電車に乗って熱海まで行くんだなぁ」って、羨ましかったね。自分も電車に乗りたいなぁ、と。そういう思い出がありますね。

今はなんでも車を使うことが多くなってきたけれど、今でも私は鉄道が好きでして。また、電車は時間が正確だし、それに何よりも環境にいい。だから、公共交通として非常に大事だと思っています。他の市長さんよりも、圧倒的に鉄道を使っていると思うな(笑)。

─ 熱海の発展とともに、熱海駅の乗客の数もどんどん増えていったそうですね。

そうですね。私が高校の頃――昭和20年代の後半ぐらいかな――その頃からだいぶ乗客が増えて、電車が賑やかになりましたね。私も網代から熱海まで電車に乗っていましたけど、もう人が乗りきれないぐらいでした。

まだ車もあまりなかったから、電車には観光客もたくさん乗っていた。また、その頃は、団体旅行が全盛でしたから何両も団体客で埋まっていてね。そして、駅もずいぶん賑わったね。

駅には、新婚さんや団体客が大勢いてね。やっぱり当時の熱海は何といっても駅――つまり鉄道が非常に重要な位置を占めていましたね。それは今でも変わりませんが。

明治時代の熱海っていうのは、人車鉄道とか軽便鉄道とか、そういうものはあったけど、これには一般の人はあまり乗れなかったんですね。上層階級の人たちしか乗れなかった。

熱海という土地は、来るための交通手段が限られていて、なかなか来られないというような、そんな高級感のある観光地でしたね。それが、丹那トンネル、東海道新幹線の開通とともに、誰もが来ることができるようになった。それで爆発的に熱海のお客さんが増えたんですね。

─ 熱海の海岸線は、埋め立てによって大分変わってきたようですが、新婚旅行のメッカと言われていた時代の熱海の街や海岸線はどんな様子でしたか?

人がどんどん来るのに合わせるように、海岸線の埋め立てもどんどん進んでいったね。砂浜を全部埋め立てたから、どんどん土地ができた。しかし、素晴らしい熱海の海岸が埋め立てられたのは大変残念です。今、失われた海岸を人工的に取り戻しています。

海岸線にはホテルや旅館が次々に立って、そこに次から次へと人がやってくる。だから、そうなる前――お客さんがたくさん来る前――の方が温泉情緒があったかもしれませんね。今と違って、大きなホテルもなかったし。

大型ホテル全盛期だったころは、ホテルの中にはレストランやお店があるから、夜、街に出るお客さんが少なくなったね。今は、だんだんと外の好きなお店で食事をするという人も増えてきたみたいですけれど。

─ 新婚旅行のメッカ、男性の団体客の観光地だったというイメージが大変強い熱海ですが、今の熱海のイメージというと何でしょうか?

今、熱海は文化の香り高い街づくりを目指しています。そして、花と光のイメージチェンジをしているんですよ。昔は、新婚さんや団体さん。でも今は、個人や家族で出かけることが多くなり、会社の慰安旅行も少なくなりました。

ですから、今度は花や光であふれる街、そして家族連れや女性にも愛される街を目指しています。実際、サンビーチでは砂浜として日本初のライトアップも行っております。また、熱海は早咲きの桜と梅園が有名です。花をテーマにしたイベントもたくさんやっていこうと思っています。これから、どんどんと女性たちにも訪れていただける街にしたいと思っています。

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