22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2006年02月

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■5(日)

上野 あけぼの

■6(月)

●青森駅

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●木古内駅

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木古内駅前の急行食堂。特急で調理してくれました。

●函館駅

日本海4号(3月で函館乗り入れ廃止)

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●青森駅

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秋田

■7(火)

大曲

横手

新庄

山形

米沢

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福島

東京



■13(月)

札幌


●幌延駅

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幌延 利尻


●音威子府駅

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●名寄駅

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■14(火)

札幌

釧路 SL

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池田

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↓ ちほく線
北見

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網走
↓ オホーツク

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■16(木)
旭川

旭山動物園

札幌
↓ はまなす

■17(金)
青森

東京



■25(土)奈良

■26(日)西大寺→福井

カツレツの店と居酒屋へ。

■27(月)

NHK取材。

●福井鉄道で武生へ

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●敦賀駅

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彦根


■28(火)

彦根

大阪 はまかぜ

香住

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「はまかぜ」を見送り、鈍行列車に。
これから餘部。

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●餘部鉄橋

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●ふたたび香住駅

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●昭和旅館

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●夜、香住駅に「出雲」を見に。

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ケータイだと、暗いと上手に撮れません。。



■1(水)

●「出雲」

香住 7:00

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宍道

●木次駅

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●亀嵩駅

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亀嵩のそば。


大雪のため、出雲横田駅から代行バス。


●出雲坂根駅

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●備後落合駅

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新見

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米子 出雲

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■2(木)

東京 6:57

徳田平八朗さんは昭和5年2月23日生まれ。

生まれも育ちも上野です。お父様が創業された履物屋「丸徳履物店」の2代目として、今も上野の町で活躍されています。
上野駅は東京北の玄関口として、東北、北陸方面からの人々を受け入れてきました。集団就職を迎え入れる上野の人々、戦後間もない頃の「アメ横」の様子、帰省時の喧噪など、じっさいに自らの目で見てきた徳田さんならではのお話を聴くことができました。

─生まれも育ちも上野ですね。

徳田: 親父が初代で、あたしが二代目。昔、仕事を求めて日本全国から東京に集まったでしょう。あたしの親父もそうだった。富山出身だけれど、関東大震災の翌年に縁があって、ここで履物屋を始めたのがここの店の始まり。そして、あたしがここで生まれた。ということで二代目ね。

親父たちから聞いた話によると、関東大震災の翌年にこのあたりで区画整理が行われて、ここら辺ががらっと変わったようだよ。あたしが生まれるより前の話だけれどもね。震災の時の目印は、上野の山の西郷さん。あそこは木が周りにうっそうと生えていて、そこに西郷隆盛の銅像があったから、逃げるときに目印になった。ここら辺もほとんどが震災でやられちゃったそうだし。尋ね人の張り紙が、その銅像に貼り付けられていたという話も聞いたことがあったね。

─ このあたりはお店が多いですね。昔からですか?

徳田:商売というと、このあたりは呉服屋。需要があったのは呉服だったから、この辺は呉服屋さんが多かった。デパートの発祥は呉服屋さんだからね、松坂屋だって三越だって。ここら辺は古着屋さんも含めて、みんな呉服屋さんだったよ。なかでも特にここの通りは古着屋さんで有名な通りだった。当時はたくさんの古着屋が軒を連ねていたね。

とはいっても、終戦直後なんて何もなかったんだよ。青空市場――俗に言う闇市、今のアメ横ね。あれがばーっと立ち並んで。鍋や茶碗や食器、何でも売っていた。食べ物もいろいろあったね。ふかし芋、落花生、うどん、そば......。大鍋で煮込んだシチューのようなものも売っていた。

日本は企業統制があったから、いろいろと大変だった。靴も新品だと捕まってしまうから、人に履いてもらって「新品じゃありません」といって売っていた時代ですよ(笑)。でも、その統制をすり抜けて売られているものもあってね。天下の上野の「アメ横」という名前だけで売れていた。

うちは履物屋をやっていたから、主に下駄。靴を履くようになったのは戦後なんだよ。それまでは下駄だったから。カランコロンという下駄の音が通りから聞こえてきたね。

当時は復員してきた兵隊もいたね。ここら辺にはいなかったけれど、公園の近くに行くと、傷痍軍人といってね、アコーディオンを弾いている人やらがたくさんいたね。あと浮浪者も多かった。戦争で焼け出されたんだね。みんな寝るところがないでしょう。だから地下道で生活していた。今の銀座線の地下道も含めてね。

喧嘩やかっぱらいも日常茶飯事。上野の山に上がっていったところに公園緑地事務所というのがあるんだけれども、あそこのとなりに、昔はプールだったところがあって、そこを埋めてバラックを建てた。そして、そこにその浮浪者たちを収容していたんだね。

─ 高度経済成長期には、上野駅は集団就職の列車で賑わったそうですね。

徳田: 金の卵だとか言ったよね。「責任を持ってお預かりします」ということで、就職の列車が着く時間になると、受け入れ側の商店街や工場の人たちが出迎えにいく。

それで、列車が着くと、子供たち――ほとんどが中学を卒業したばかりの子供たちだったけれども――を引率して西郷さんの銅像のところまで行く。そして、西郷さんに着くと、プラカードを配る。それで、「このプラカードがあなた方を世話する工場ですよ」ってね。

当時は「責任を持ってお子さんをお預かりします」ということで、上野署にも職警連ていうのが設けられていて、子供たちの面倒を見ていたんだね。それが今でも残っている。これがまだ残っているのは珍しいんだけど。責任持って受け入れているよということでね、そういうものがあった。ともかく、出稼ぎの人なんかも、みんな希望を持って、上野に降り立ったものなんだよね。

─ お盆や暮れの里帰りの様子はいかがでしたか?

徳田:当時は、就業時間のぎりぎりまで働いて、それで上野駅へすっ飛んでいく。お国へのお土産をたくさん持ってね。働いている先のご主人がいろいろと持たせてくれる。それでも、「あ、あれを忘れた」となると、友達に列の場所取りをしてもらって、追加の土産を買ってくる。今の丸井の向かい側の広場、あそこにみんな並んだもんだった。そして、並んで夜行列車に乗って帰っていく。人が集まりすぎて、警官が整理にあたることもあったね。

上野駅は東京の北玄関でしょう。「津軽」だとか「八甲田」だとか、いろいろな夜行列車があったよね。「出世列車」といってね、東北とかから出てきた人が出世して偉くなって田舎に帰る列車だからそういうんだね。今はどんどんなくなって、「北斗星」がかろうじて残っているけれども。当時のそういう思い出を持った人が立派になり、定年になって退職するという時になると、必ず歌うのは「あゝ上野駅」。これは忘れてはならない歌だね。

昔の上野駅は全ての(列車の)終点だったし、もっと人であふれていた。靴磨きや待合室があって。あとは両替屋や赤帽さんね。今、タクシーが並んでいるところには人力車。当時のあたしは中学生だったから乗ることはなかったけれど(笑)。

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