22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2001年06月

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平成7年9月、私はオホーツク海沿岸の廃止ローカル線跡を訪ねた。湧網線、興浜南線、名寄本線--どれも乗ることなく廃止されてしまった。今になって悔やんでも悔やみきれないが、廃線跡をたどることでいくらか癒されるのではないかと考えたのである。

しかし、失われた鉄道の跡は、あまりにも露骨に時の流れの儚さを見せつけただけで、有効なセラピーとはならなかった。この悔恨は生涯負い続けるのだろう。

この旅の終わりに、深名線を訪ねた。最終運転の前夜である。今回はまず、当時の思い出話を聞いていただきたい。そして今回、11年ぶりに、朱鞠内駅跡、幌加内駅跡を訪ねたのだが、その際に、現地で伺った話をまとめてみた。私たちが知っている深名線とはまた違った一面が浮かび上がってくることだろう。ぜひ、ご覧いただきたい。

                               

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①■19時30分、朱鞠内駅にて

平成■年9月2日、午後7時半、私は廃止前夜の朱鞠内駅にいた。すっかり日は落ち、あたりがすっかり暮色に包まれているなか、駅一体だけは異様な熱気に包まれていた。
待合室は鉄道ファンでいっぱいで、窓口は、入場券や記念オレンジカードを買う人で賑わっていた。なかには、定期券を買う人までもいた。

数年前、この駅に来たことを思い出す。冬の寒い日で、おそらく氷点下10度くらいを記録していたことだろう。同じように、列車の乗り継ぎを行う鉄道ファンもいて、ストーブを囲んでいた。
駅前を歩いていると、すぐに耳がチリチリとしてくる。立ち止まると、「シーン」という音が聞こえてくるようであった。

ぼんやりと往時の思い出に耽っていると、周囲がざわめきだした。列車が到着するようだ。私もホームに出て、出迎えた。

②■21時48分、幌加内にて

朱鞠内で列車を見送った後、クルマで幌加内に向かった。線路と平行する道路を走りながら、暗闇を走る深名線のディーゼルカーを眺めた。

幌加内駅に着いて間もなくすると、列車が到着した。廃止前夜ということもあり、地元の人も駅に来ていた。列車が走り去るのを見送ってから駅を出た。駅前に食堂があったので入った。
奥の座敷では、鉄道ファンが数人写真の撮影ポイントをめぐって話し合っていた。私はテーブル席に腰を掛け、天ざるを注文した。幌加内は言わずとしれたそばの産地だ。

テーブルは相席だった。向かい側には、同じくらいの年格好の人がそばをすすっているので話しかけてみた。彼=T君もも同じ悩みを抱えていた。明日の行程に関してである。深名線最終列車にどの駅から乗るか、ポイントはこの一点であった。私とT君は結論を保留したまま別れた。

③■9:48発名寄行き列車

深川駅前の駐車場で目が覚めた。秋の青空がクルマのウィンドウ越しに見えて、美しい。
駅にはいると、既に多くの鉄道ファンで構内はいっぱいであった。9時48分発の名寄行き列車は通路が立ち客で埋まるほどの混みようであったが、幸いにして座席にありつけた。

全開にされた窓から、北海道の涼しい風が車内を吹き抜けた。ボックスシートには、本州から来た学生と社会人、知床から来た中学教師が同居した。目的は同じなので、早々に打ち解けた。

幌加内に着いた。列車はしばらく停車する。駅前には、「幌加内そば」の屋台が出ていたので、私もそばをすすっていると、急に大粒の雨が降り始めた。駅の中に避難していると、傍らにいたお婆さんが「涙雨だ」と呟いた。

④■最後のローカル線

深名線の歴史は昭和■年に遡る。雨竜川の源流に計画された朱鞠内湖ダムの建設がきっかけとなった。ダム建設のほか、近隣から伐採される木材や農作物の運搬にも大きな働きをした深名線だが、その建設の裏側は血塗られたものであった。

<竹内殿 要調査>


その朱鞠内駅に列車は到着した。駅から外に出ると、若い男性がチラシを配っていた。見ると、深名線工事による犠牲者を弔う法要の案内であった。

⑤■駅が「駅」として

列車が終着駅・名寄に到着して間もなくすると「深名線お別れ会」が始まった。私はそのまま折り返すので、車内からセレモニーを眺めた。たすきを掛けた一日駅長が「出発進行!」と叫ぶと、ブラスバンドが「蛍の光」を奏で始めた。ホームに詰めかけた人たちが列車に手を振る。私たち乗客もそれに応える。

列車は来た道をたどり、深川駅に戻ってきた。すでに1往復■キロ乗ったことになる。乗務員からもらった「乗車証明書」も2枚になった。
さて、私はこれからふたたび朱鞠内まで行く。そして、この駅で、名寄からやって来る深名線最後の列車に乗るのだ。
列車は静かに深川駅を出発した。

停車する小さな駅のひとつひとつには、近所のおじさんやおばさんが集まっていて、名残を惜しんでいる。ハンカチを目にあて、手を振っているおばさんを見ると、私の目頭も熱くなる。

おじさんやおばさんは、いまでは停留所のひとつに過ぎないこの駅が、本来の「駅」として機能していた時代をよく知っているのだ。

⑥■3日、19時43分、朱鞠内駅

沿線に陣取る鉄道ファンのカメラは、だいぶ西に傾いた陽を受けてきらきらと輝いている。自転車に乗る子どもたちが、一生懸命ペダルを踏んで列車を追うが、みるみる話されてゆく。のんびりとした風景が車窓に移ろう。さっきまでの喧噪が嘘のようだ。

朱鞠内に到着したのは、午後7時近かった。冷たい雨が降っていた。すでにファンは各方面から集結しつつあった。朱鞠内に「最終列車」が到着するまでに1時間以上ある。

--列車は今、どこを走っているのだろうか。その列車の走り過ぎたレールの上を、二度と列車が走ることはない。二日か三日もすれば、七十年もの間、輝きを失うことのなかったレールは、赤く錆で曇ることだろう。

私は折り返して深川行きとなる列車の座席に腰を掛けながら感傷に耽っていると、にわかにあたりが騒然としてきた。名寄からの列車が到着するらしい。私は窓から顔を出し、遠い暗闇に目を凝らした。暗闇のなかに一点、ポツンと灯が見える。

⑦■3日、20時38分、幌加内駅

名寄からの5両編成の列車は満員であった。列車は私の乗る2両と連結されて、7両という長大編成になった。

間もなく列車は名残を惜しむかのように、ゆっくりと動き始めた。警笛が淋しく闇夜にこだました。ファンたちが焚くフラッシュが一段と強まった。

沿道には併走するクルマのライトが見え隠れする。踏切で足止めを食っているクルマに、我々は窓から身を乗り出し、「がんばれよー」と手を振る。クルマはライトをパッシングさせたりしてそれに応える。

幌加内に着いた。駅には、強い雨にもかかわらず、大勢の人が集まっていた。報道陣も来ているのだろう、ホームには煌々とライトが灯されている。列車はここでさらに3両増結されて、10両で深川に向かう。この10両の列車が深川に着いたとき、深名線のレールからすべての列車が消え去るのだ。

⑧■3日、21時55分、深川駅

町の人たちは、紙テープの準備をしていた。ひとりのおばさんが、私のところにテープの端を持ってきてくれた。色とりどりのテープが車窓とホームを繋いでいる。いよいよだな、と思い、テープを握っていると、連結のため列車が後ろに向かって走り始めた。残念なことに、テープは思いもよらぬことで切れてしまった。

やがて、連結作業が終わると、大きな喚声のなか、列車はホームをゆっくりとすべり始めた。ホームで見送る人たちとハイタッチしながら廃線を悼んだ。来てよかったと思う。

**

深川に着いたのは、午後10時近かった。朝から12時間も乗り続けていたことになる。乗客は列車から降りても、深名線ホームに佇んでいる。
列車が回送される時間となった。

「ありがとうー、しんめいせーん」「深名線、お疲れさまー」

喚声、拍手、万歳で見送った。

駅を出ると、冷たい雨は相変わらずで、私は頭からびっしょり濡れていた。ぶるぶると震えがいつまでもとまらなかった。

⑨■朱鞠内駅のいま…

谷川昇さんは現在74歳、朱鞠内に住んで60年以上になる。元々は、幌加内町添牛内の出身であるが、朱鞠内の好況を見て、移転してきたのである。
谷川さんは呉服屋のほか、旅館、新聞取次店など手広く経営しながら、朱鞠内の盛衰を見てきた。

「朱鞠内大火前は、このあたりには飲み屋がそれこそ10軒以上、中華料理屋、写真屋、旅館など--それは賑やかなものでした」

「当時は、ここだけでも2000人はいたんじゃないの?」

石川鉄一さんが口を挟む。石川さんは生まれも育ちも朱鞠内という76歳。今では数十人を数える朱鞠内の住人の中でも最古参に入る。

「こんなふうになるとは、思っても見なかったなあ」

石川さんは、朱鞠内駅の跡地を指差しながら、谷川さんに同意を求めた。廃止から■年、跡形もなくなった駅跡には、真新しいバスターミナルが建設されていた。

⑩■幌加内駅のいま…

松屋食堂の主人・松本一夫さんは二代目。食堂は母親が昭和34年に始めたものだ。父親は、幌加内駅前の日通に勤務しており、駅に届いた荷物を馬車で近隣へ運ぶ仕事に就いていた。
幌加内町は一時12000人もの人口があったが現在はわずか2000人。駅周辺にも飲食店が14、5軒あったが今はたった2軒--。松屋食堂はその一軒だ。

「幌加内には役場、病院があったので、汽車を待つお客さんが多かったね。夜になると、近所の人がやって来る。冬場は、周辺が橇と馬でいっぱいになったっけなぁ」

当時を懐かしむ松本さんは自慢のそばを湯がきながら回想する。深名線廃止後、しばらくバスの待合所として機能していた旧幌加内駅も昨年原因不明の出火で焼失。現在は跡形もない。

「鉄道ファン? 来ますよ。あまりの変わりように皆さん、驚いているね。でも、毎日、こうしていると、なかなかその変化に気付かなくなってしまってね…」

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■6(水)
神楽坂のオフィスを出て、オペラで関越(竹内を送った記憶がある)。

■7(木)

11:00新潟港

■8(金)

4:30小樽港

函館本線 小樽~長万部取材 札幌泊

■9(土)

宗谷本線 名寄~稚内取材

010609幌延駅


■10(日)

稚内

興部

紋別

網走

標茶 各駅取材 中標津泊

■11(月)

標茶

釧路

■12(火)

■13(水)

11:00小樽港?

■14(木)

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