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1■起死回生の一策

昭和63年の瀬戸大橋の開通にあわせて、下津井電鉄は勝負に出た。それまでモータリゼーションの進展のなか、営業面で苦戦を強いられていたが、起死回生の一策を講じたのである。

それまでも沿線を「コーストライン」と名付け、イメージアップを図り、ミニSL、ついには、落書き自由の通称「落書き列車」を走らせるなどの工夫を続けてきたが、なかなか効果が上がらなかった。そこに来て、この僥倖である。凋落のローカル私鉄は新造車両を投入した。その名も「メリーベル号」。真っ赤な車体は斬新で周囲にインパクトを与えたが、わずか【2年:調査!】の運転で終わることになった。

努力実らず、平成3年1月1日、下津井電鉄は【82年:調査!】年の営業に幕を閉じた。

#「メリーベル号」の写真
#「落書き列車」の写真

2■下津井電鉄の歴史

下津井電鉄の前身・下津井軽便鉄道(その後、下津井鉄道に改称)は茶屋町・味野(現在の児島)間で開業した。大正2年のことである。その翌年、大正3年に下津井まで延伸した。

762ミリという軌間のナローゲージを走る電車の車内は当然狭く、立ち上がって車内を歩こうとすれば、他の座っている乗客の膝や体にすぐにぶつかってしまうくらいである。

その後、昭和47年3月31日、営業不振のため、茶屋町・児島間が廃止され、児島・下津井間のみの営業となった。この間が残ったのは、平行道路が未整備だったためだが、これによって両端が鉄道に接続していないきわめて珍しい鉄道線となった。

#下津井電鉄の古い写真
#狭い車内の様子

3■瀬戸内の要衝・下津井

下津井は、今でこそ静かな瀬戸内海の漁港という風情であるが、明治に入るまで北前船の寄港地として賑わった。

岡山県を代表する民謡「下津井節」は、往時の殷賑ぶりを今に伝えている。

  下津井港はョ 入りよて出よてョ
    まともまきよてョー まぎりてョ
  下津井港にョ 碇を入れりゃョ
    街の行燈のョ 灯が招くョ
  船が着く着くョ 下津井港ョ
    三十五丁艫のョ 御座船がョ

北でとれた昆布、ニシン粕、かずのこなどを満載した船がやって来るころ、町はにわかに活気づいた。町はずれの女郎屋では近隣の盛り場に応援を頼むほどであったという。

#写真は、下津井のいい風景。俯瞰図など
#港町としての風情ある写真を

4■下津井の見どころ

古くから下津井は四国へ渡る玄関口でもあった。対岸の丸亀へ就航する船は引きも切らず、金比羅参りの観光客で賑わったという。

<現在の下津井>

タコ料理、下津井城址、古い町並みなど

#「むかし下津井回船問屋」
#干しタコ

5■下津井駅の今

下津井電鉄が廃止されてから、早いもので十年が経過した。今も下津井の駅舎は残っているが、身の丈もあるような鉄条網に覆われていて中に入ることはできない。

駅周辺にはかつての賑わいを感じさせるものは何もなく、駅を出てすぐのところにある漁港のたたずまいもじつにのどかである。

遠くに瀬戸大橋が見える。かつての交通の要衝も時代のなかで役割を終えたようだ。