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6■「マラソン桟橋」

昭和56年以降、宇野駅はよく利用した。当時は、岡山駅から快速列車が約1時間おきに運行され、宇野駅では8分の待ち合わせで高松への宇高航路が連絡していた。

快速列車が宇野駅に着くと、乗り継ぎ客が我れ先にと跨線橋を駆け上がり、連絡船へと乗り込む光景が見られた。私はこうした混雑に巻き込まれないように、快速の1本前の各停電車に乗り、ひと足先に宇野桟橋の待合所で乗船を待つことにしていた。しばらくすると、快速列車からの乗り継ぎ客がどっと乗り込んで来て、座席は大方埋まった。

昭和35年に改善されたとはいえ、宇野駅から乗船口までは400メートルに及ぶ長い桟橋があった。お盆・正月の帰省ピーク時には、連絡船からの乗客が我先に列車に駆け込む「マラソン桟橋」の光景がテレビでよく映されたものだ。ある時には心臓発作で死亡する人も出たということである。

7■本四連絡の要衝として

宇野駅は、本四連絡の玄関口として、特別な存在感があった。昭和60年頃、岡山付近の列車の短編成化が進むなかで、宇野線は12両という頂長大編成の列車が運行されていた。

なかなか新車の導入されなかった岡山地区において、昭和62年3月改正で新車の213系が導入されたのが宇野線である。ステンレスボディの転換クロスシートで「備讃ライナー」と命名された。その後、瀬戸大橋線開業後は「マリンライナー」と改称され、展望グリーン車を連結し現在に至っている。

寝台特急「瀬戸」は、宇野駅の名を全国区にした。中学生の頃のブルトレブームで、構内に留置されている「瀬戸」を時々見に宇野駅に行ったものだ。ピカピカの車体をみては「いつか乗ってみたいなあ」とホームから眺めていたのを思い出す。

8■連絡船の思い出

連絡船内にはテレビがあり、売店では土産物や酒、おつまみ、高松駅の駅弁などを売っていた。
私にとって特に思い出深いのが、讃岐うどん。出港後しばらくすると甲板にある店が開くが、いつも一番乗りで「てんぷらうどん」を注文していた。とにかく味は絶品であった。

瀬戸大橋の完成を間近にした時期、夏場にかき氷を売ったり、甲板にパターゴルフを設置したりと営業努力をしていたが、かえってもの悲しさをかこつだけであった。

瀬戸大橋線開通半年前の昭和62年11月15日、連絡船に乗るのもこれが最後かもしれないとグリーン券を購入。初めて購入した「自由席グリーン券」は500円也--。廃止ブームにはまだ少し早かったとはいえ、グリーン船室はガラガラであった。

9■宇野駅、取り壊し

昭和63年4月10日、瀬戸大橋が開通した。この瞬間、宇野駅は手に入れて間もない本四連絡メインルートの座を明け渡すことになった。

瀬戸大橋線開通に先駆けて、地元では、宇野線の茶屋町・宇野間が廃止という噂はあったが、それは杞憂に終わった。
しかし、「宇野線=長編成」というイメージを持っていただけに、茶屋町・宇野間でマッチ箱のような単行電車が登場したのはショックだった。

瀬戸大橋線開業後もしばらくは高速艇が運行していたが、全便休止、そして平成3年3月、宇高航路正式廃止--。駅はますます寂しくなった。

長いホームは不要となり、駅改札より奥はロープが張られ、連絡船乗り場へ続いていた跨線橋も閉鎖された。そして駅舎も取り壊されることになった。現在の駅舎は、平成6年に改築されたものである。




■12(木)

神戸
岡山 岡山シティホテル

■13(金)

下津井、玉野、小松島?