22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2001年02月

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①■珠洲駅とともに

#1-1:ふるさと列車「おくのと」
#1-2:大歓迎の珠洲市民

私が生まれたのは昭和39年10月9日、珠洲駅開業が同じ39年の9月21日--。私の人生は、珠洲駅とともに歩んできたといってもよい。

小学校に上がる前、父に連れられてよく珠洲駅に遊びに行った。毎朝、8時30分頃、ディーゼル機関車に牽引された貨物列車が到着するのだが、その入換え作業を見るためである。その帰り道、近くの本屋さんで汽車の絵本を買ってもらうこともあった。

私は貨物列車は好きだったが、なぜかSLは苦手だった。ふるさと列車「おくのと」というSL観光列車が運転し始めた時、喜ぶだろうと珠洲駅へ連れて行ってもらったのだが、あの黒い塊と煙を見た途端びっくりして、汽笛で飛び上がって泣いたそうだ。

②■貨物列車を追って

#2-1:米、レンガ、能登瓦が運ばれていった
#2-2:お手製ヘッドマークと貨物列車

貨物列車が好きだった私は、小学校、中学校、高校になっても暇さえあれば貨物列車の入換えを見に行った。どこから貨物が発送されてくるかには、とりわけ関心を持った。鉄道で全国が繋がっているのだと、実感したものだ。

ちょうど、高度成長期の頃で、貨物列車もたくさん連結されていた。しかし、トラック輸送などの伸びにともない、年を追うごとに貨物取扱量は減少し、昭和56年11月19日、ついに国鉄は珠洲駅の貨物取り扱いを廃止した。

高校に入学してから、鉄道同好会を設立したが、その当時の出来事であった。私たちは、皆でヘッドマークを作成し、機関車に取り付け、別れを惜しんだ。
③■押し寄せるモータリゼーションの波

#3-1:賑わう駅改札
#3-2:急行「能登路」

貨物取り扱いが廃止され、「国鉄再建法」が国会で成立するなど、鉄道の時代の衰退を告げるような出来事が続いたが、珠洲駅は、地域の玄関口として、観光の拠点として賑わっていた。

昭和55年10月のダイヤ改正では、急行「能登路」は20号まで運転されていた。お盆を迎える頃には、4両編成の列車は満員で、珠洲駅はたいへんな賑わいであった。

しかし、ちょうどその頃、北陸鉄道による奥能登特急バスの運転開始、能登有料道路の全線開通など、モータリゼーションの波がひたひたと奥能登を侵しつつあったのである。

④■「能登線」はこれから・・・

#4-1:JRからのと鉄道へ
#4-2:のと鉄道のディーゼルカー
#4-3:珠洲駅
※「4-3」は、撮影:西崎さいき氏
※上記以外写真はすべて、巽好弘氏

昭和62年4月1日、国鉄は分割・民営化され、能登線はJR西日本に移管された。しかし、そのときにはすでに、「能登線」は第三セクター化されることが決まっていたのだ。
JRに移行した翌年の昭和63年3月25日、穴水・蛸島間は「のと鉄道」に移管された。「廃止」という最悪の事態を免れたが、全国を網羅する交通網から切り離されたような寂しい気持ちにさせられた。

こうして発足したのと鉄道であるが、当初の黒字経営もつかの間、ここ数年、利用客は年々減少にともなう苦しい経営状態にさらされている。
この3月末、穴水・輪島間が廃止されるが、今後、のと鉄道・能登線もどのような運命をたどるか予断を許さない状況である。今後も、のと鉄道を見守り続けていきたい。

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--朝の10時過ぎに到着した列車のお客さんが、全員バスに乗りきるのは、午後3時になることもあったのですよ。

輪島駅前で土産物屋を営む岡田尚史さんは、閑散とした駅に目をやりながらこう振り返る。

開業以来じつに66年--地域コミュニティの中心として、そして能登の玄関口として活躍してきた輪島駅は、この3月、その役目を終える。

今月の「あの駅はいま・・・」は、のと鉄道・輪島駅を取り上げる。語り手は、小原修さん--輪島に縁の深い方だ。小原さんは、北陸の鉄道に関して、たんねんな記録、資料をウェブ上に公開している。あわせてご覧いただけたらと思う。

石川の鉄道 http://www2.nsknet.or.jp/~ohara216/isitetu.index.html

第2部では、珠洲駅を取り上げる。奥能登の中心・珠洲も近年、高規格道路が延び、鉄道はいよいよ凋落の一途をたどっている。のと鉄道職員で、能登鉄道友の会の巽好弘さんに珠洲駅を紹介していただく。
巽さんは、自らのホームページで、のと鉄道の紹介をしている。のと鉄道の準公式サイトでもある。ぜひ、ご覧いただきたい。

能登鉄道友の会ホームページ http://www.suzu.or.jp/pub/tatsumi/
                                 
                        
①■昭和41年3月、輪島に着任

昭和41年3月25日、名古屋での1年間の研修を終え、私は最初の赴任地・輪島に降り立った。輪島駅を出て、冷たいみぞれ混じりの雨が降るなか、ひとけの少ない輪島の町を歩いた。

根雪の残る細い路地を抜けると、突然、海原が現れた。そこで見た日本海は今でも忘れない。そこには、水平線が曖昧で、空と海の境目が判然としない、どんよりとした日本海特有の濃い灰色が視界に広がっていたのだ。
押し寄せては岩に砕け散る荒波を眺めながら「これが最果てか、遠くへ来たものだな・・・」と、しみじみ感じ入ったのを思い出す。そういえば、輪島駅ホームの駅名標に、次の駅は「シベリア」と書いてあった。

②■能登観光ブーム

遅い春が終わり、初夏を迎える頃、駅や町は若い旅行客でしだいに賑わい始め、輪島の町はにわかに活気づく。
当時の輪島は、映画「忘却の花びら」や松本清張の小説『ゼロの焦点』をきっかけとした秘境能登観光ブームの絶頂期であった。

金沢からの4両や6両編成の急行列車が到着すると、若者のグループがホームにどっと下り立ち、曽々木海岸をはじめとした”秘境”へと旅立っていった。駅前は観光バスが引きも切らず、輪島の町は降って湧いたような観光特需に沸き立っていた。

③■汽車の思い出

輪島の町にも、そして仕事にも慣れ始めると、出張で珠洲方面に出向くこともあった。ふだんならそれほど込み合うことのない列車も、夏場は混雑して座れないこともしばしばであった。しかし、車内で、同年代の観光客の女性と仲良くなったりと、けっして悪いことばかりでもなかった。今では懐かしい思い出である。

また、途中の穴水駅では輪島から来る列車と珠洲から来る列車が同時に駅に進入することがよくあった。鉄道ファンの私は、並行して走る列車を見ては、「東京の複々線のようだ」と、心躍らせていた。

④■駅の風格

当時、七尾線は旅客列車はすべて気動車になっていたが、貨物列車は依然として蒸気機関車が活躍しており、七尾・輪島間は小型のC56が受け持っていた。そのため、輪島駅には、終着駅にふさわしく、じつにさまざまな設備が整っていた。
転車台、給水塔、給炭台、機関庫があり、駅構内には、数多くの側線が敷かれ、鉄道駅としての風格をいやおうなく誇示していた。木材やチップそして米などを載積した貨物列車は、動輪を響かせながら穴水方面へ走って行った。今では見ることのできない懐かしい風景である。

私は、時間をみては、輪島駅に繰り出し、購入したばかりのカメラを蒸気機関車に向けるのであった。

⑤■輪島駅、開業

昭和10年7月30日、輪島駅が開業した。一番列車は、午前5時25分発。客車3両に貨車1両の編成であった。輪島に鉄路が通ったまさに記念すべき日である。しかし、ここに至るまでに、どれだけ先人の苦労があったかを想像するに余りある。
明治31年に七尾まで伸びた鉄道は、その後、大正14年に和倉、昭和7年に穴水に到達という具合に遅々として進まず、輪島に伸びたのは昭和10年。じつに37年もの歳月を要しているのである。

私は当時のことを直接知りようもないが、輪島の人々がこの日をどれだけ待ちわびていたのか、当時の写真はそれを物語る。鉄道はまさに地域住民の期待と希望の星だったのである。

⑥■漆器と朝市の町--輪島

輪島といえば、輪島塗--漆器と連想される人がほとんどであろう。その昔、北前船が活躍していた頃、輪島から全国各地へ出荷されたそうである。輪島塗は高価なこともあり、なかなか我々庶民の手には入らないが、その製造工程を見学し、じっさいに手に取ってみると、漆職人の息吹が伝わってくるようで、その価値の高さに驚かされるだろう。

一方の朝市も輪島を代表する名所である。漁師のおかみさんたちが、近海の新鮮な魚介類や民芸品を道端にならべて元気な声をあげる。

--こうてくだ!

近年、観光化が著しいという批判もあるが、おばさんたちの元気な声は、時々急に懐かしくなる。そういうとき、私は朝市に足を運んでみるのだ。

⑦■鉄道の凋落

高度経済成長期を経て、日本は大きく変わった。その変化の最たるものの一つは、モータリゼーションだろう。移動も輸送も、この時期に、鉄道利用から自動車利用へと移り変わるなか、この北陸の地の鉄道も次々と姿を消していった。北陸鉄道金石線、同加南線、同能登線は、いずれも昭和40年代に廃止された。

七尾線輪島駅も、昭和50年代に入ると乗降客数が減少の一途をたどった。乗客の減少にともない、列車本数も間引きされるという悪循環に陥っていたのである。
その後、平成3年、それまでJR七尾線であった輪島・和倉温泉間が、第3セクター「のと鉄道」に移管された。一部では、津幡・和倉温泉間の電化と取り引きされたという声もあがっていた。

⑧■再び輪島へ

平成12年7月、私は再び輪島の地を踏んだ。最初の赴任地として着任した時以来、じつに30年ぶりである。
私自身も変わったが、輪島駅もずいぶん変わった。かつてあれだけ賑わった駅構内も閑散とし、側線のレールも剥がされ、今ではホームに1本残るのみである。一時は、金沢方面からの急行列車が1日4往復あったのだが、今では、わずかに1往復を残すのみである。時間の経過とはいえ、その変わりように私は少なからず衝撃を受けた。そしてまさにこの時、輪島駅は存続の危機にさらされていたのだ。

その後、地元の反対運動も実らず、この3月末でいよいよ輪島・穴水間は廃止されることになった。

⑨■「能登はやさしや土までも」

輪島駅は私にとって、人生の道標であったと思う。まだまだ人間としても幼いまま、輪島に着任し、地元の方々の暖かい思いやりによって、社会人として人生の第一歩を記した輪島--。
「能登はやさしや土までも」という言葉があるが、その意味を実感したのを思い出す。

その後、結婚し、子どもたちを育て上げ、仕事の上でも一つの境地に差しかかろうとしていたときに、おそらく最後の仕事場として、再び輪島に来ることになったことに不思議な因縁を感じる。
輪島駅は間もなくなくなるが、この駅のあったことを後世に伝えていくことが、私のささやかな恩返しだと考えている。


●横川駅

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●三滝駅

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●安芸長束駅

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●下祇園駅

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●古市橋駅

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●大町駅

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●緑井駅

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●七軒茶屋駅

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●梅林駅

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●上八木駅

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●中島駅

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●可部駅

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●河戸駅

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●今井田駅

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●安芸亀山駅

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●毛木駅

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●安芸飯室駅

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●布駅

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●小河内駅

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●安野駅

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●水内駅

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●坪野駅

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●田之尻駅

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●津浪駅

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●香草駅

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●加計駅

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●木坂駅

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●殿賀駅

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●上殿駅

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●筒賀駅

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●土居駅

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●戸河内駅

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●三段峡駅

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■2(金)

可部線調査

■3(土)

加計にて、小田氏面会。
井原鉄道乗車。
岡山・西崎氏面会。
蛸島にて、巽氏面会。

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