22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

2001年01月

●和倉温泉駅

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●田鶴浜駅

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●笠師保駅

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●能登中島駅

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●西岸駅

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●能登鹿島駅

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●能登三井駅

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●能登市ノ瀬駅

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●輪島駅

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■23(火)

上野 〓 寝台特急北陸

■24(水)

和倉温泉 レンタカー

のと鉄道、輪島泊

■25(木)

のと鉄道 ランプの宿

■26(金)

千里浜→加賀温泉

急行能登

■27(土)

上野

●穴水駅

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●中居駅

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●比良駅

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●鹿波駅

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●甲駅

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●沖波駅

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●前波駅

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●古君駅

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●鵜川駅

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●七見駅

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●矢波駅

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●波並駅

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●藤波駅

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●宇出津駅

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●羽根駅

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●小浦駅

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●縄文真脇駅

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●九十九湾小木駅

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●白丸駅

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●九里川尻駅

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●松波駅

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●恋路駅

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●鵜島駅

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●南黒丸駅

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●鵜飼駅

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●上戸駅

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●飯田駅

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●珠洲駅

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●正院駅

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●蛸島駅

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清水キン子さん(山梨県上野原町)
あつ子
正月を迎えるにあたって

年末は、和服の仕立てや、正月の準備のため、てんてこまいであった。
正月用の和服を31日にギリギリ間に合わせるのを、傍らからみていても大変な様子であった。
年末には、私たち子供の正月用の衣類を買ってもらう。学校から帰ると洋服ダンスの中に新しい紺色のボックスがつるしてあった。とてもうれかった、店子の佐藤洋品店から、家賃と棒引きに衣類をもらった。 食器などは、越前屋で買い揃える。
お松飾りは諸角青果店で買い揃える。
明けて正月、三が日はお雑煮は神々に供える。これは男の役目、長兄がしたと思う。私は朝の日の光が障子ごしに、新年がきたように感じた。
日常、母は、朝食の前に仏様や大神宮さまに、お茶とご飯を供えて、長いことお祈りをしていた。私の子供たちが泊りにいき、その母の拝む姿の脇で朝ご飯をおあずけにくっていた。母は長いお祈りの合間に「仏様が先だよ!」と子供たちに声をかけ、再びお祈りを続けた。)

日常、母が和服を仕立てている、祖母は手がすくと、母の仕立てをしている部屋の一段差がついているところに座って、母と話しをしていた。その部屋は父の歯科医院をしていた時の治療室であった。)
朝は、祖母と母は、手分けして、座敷の掃除をしていた。

母は仕立て代を請求しずらいらしく、相手がくれるまにもらい、相手が持ってくる日まで、何ヶ月も待っていた。
和服を知り合いの家の娘さんが嫁入り前に習いに来ていた。
最近になって母から聞いたところ、月謝をもらわずに、ただで教えていたと言うことです。


佐藤洋品店から、家賃を棒引きで私たち子供の新しい衣類を手に入れた。
9月の牛倉神社の祭りの時、御輿を担ぐのに、新しいシャツとパンツと白足袋を、岡部 大工の7人の男の子達にもあげていた。
岡部大工の私と同級のアキラさんが後年、同級会のとき、あの時のシャツはうれしかった、と述懐していた。


あつ子
日常の想い出

夜なべで、コタツで和服を縫っている母、私は傍で一緒に宿題をする。
火の番のチリンチリんという鈴の音が蔵の前まで入ってくる。母は夜なべの電気の光あを気にしてか、電灯に布をかぶせていた。

祖母の前で、昼寝などした事の母、夜になると、コックリコックリが出てくる。
祖母が亡くなってからも、昼にうたた寝をしている時、私などの足音がすると、跳ね起きた母、 何年にも渡ってその習慣は消えなかった。

祖母の五能がきかなくなり、私と母とで祖母がトイレの前のおマルにいきたくて、モゾモゾしている気配がする。私は気がつくが母は寝込んでいる。私は母にぶつかるようにして、祖母のことを知らせる。母はハネおきて祖母をトイレにつれていく。



祖母の晩年

コタツに座らせて、テレビを見させる。母は祖母の好きな塩饅頭を毎日、近所の永井饅頭屋まで買いに行く。
祖母は、若い頃,近所の人たちのお産の介助をしたり、その他、いろいろと面倒をみてやったので、70才の時近所の人たちに浅田屋に招待され紫色の布団を贈られた。
気丈な祖母のかげにかくれていた母も、祖母がなくなってからは、近所の人に,人柄のよさがすこしずつ分かってきたようだ。近所の植松のおじいさんは、母のことを仏様のような人、と言ってくれた。これは兄の縁談で様子を聞きに来た人に伝えたこと。

祖母が亡くなったあと

四十九日までは、母と毎日墓参りに行った。土葬であった。棺に結わえられた縄が地上に出ていた。その縄を握って、「おばあさん来たよ」と言って揺すった。



あつ子

祖母も、母も勉強には真面目であった。
兄の入試に際して、牛倉神社や天神様へ、お百度を踏んだ。私はいつも一緒だった。
祖母は勉強している孫たちに、りんごを坂本八百屋から買ってきて、机の上にひとつずつおいた。八百屋のおばさんが感心してそのことを語った。
後年、母も孫たちに同じようなことをしていた。
幼稚園の坂から園の中にいる孫の姿を毎日見ていた。
孫が好きだと言ったお菓子は、毎日毎日10個位買ってきた。この事は孫である、陽子や暁子が言っていた。私の家に泊まった母は、翌朝、孫娘たちと登校途中にある自分の家まで一緒に行った。
ある時、孫の宿題のアサガオの鉢を持ってやる、と言って、それを持ってころんでしまい、困ったことを、孫の暁子は話していた。
孫の雄歩が1~2才の頃、吉田屋、木村時計店、大黒屋と雄歩が寄り込む店につれていかされ、ウルトラマンと同じ物を3個も買ってきて、雄ちゃんは、~と困っていた。
小学校時代の雄歩は、三村屋、大黒屋で毎日プラモデルを母から買ってもらった。



女学校時代の母

藤沢のおばさん(父の姉)と川崎の祖母の妹のクラおばさんの嫁ぎ先である伊東病院に川崎高等女学校に通うため下宿をしていた。
川崎高等女学校には、1年上に、作家の中里恒子さんが在学していたという。
お金がなくなると、沢井の父親にマルを送って下さいと、手紙をかいた。
晩年まで川崎駅から蒲田方面の駅の名前を順々に言えることに暁子は驚いていた。娘時代の行動半径だと思う。
父親が町の市に出かけると、「着物、帯などを買ってきて」と言うと、父親は買ってきたらしい。 甘えっ子だった。



健二

○ 明治43年神奈川県の西北部、東京都と山梨県に隣接する神奈川県津久井郡沢井村(現在藤野町沢井)に三男二女の末っ子として生まれる。
生家は素封家で物質的に何不自由ない家庭に育つ。
3歳の時、母親と死別、以降12歳年上の姉が嫁ぐまで母親の役割をする。

親が決めた嫁ぐ準備のため、村として初めて女学校に進学する。
近くの女学校ではなく、川崎市の川崎高等女学校である。
下宿先は嫁ぎ先の山梨県上野原町の清水の親戚である医者の家であった。
○ 大正12年、関東大震災にあう。そのご地震ある度に余程恐かったとみえて、大震災のことを口にし「あん時はおっかなかったーよ」が口癖であった。

○ 鋼管会社(現在のNKK)、高津、宮前、溝口、等川崎の事をよく口に出していた。
○ 嫁ぎ先の清水の跡取りである正男が歯科医となり、間もなく結婚する。
清水の家は義父が教師、義母(しっかり者のおばあさん)が質屋経営、夫が歯科医、資産もあり裕福であった。

これからは義母を「おばあさん」本人を「ばあちゃん」と言うことにする。

○ 長男が幼稚園6才、次男が2才11ヶ月、長女が腹の中にある時、夫である正男が31歳で脳出血で帰らぬ人となる。昭和19年12月のことであった。翌年昭和20年5月に長女が生まれる。

昭和18年義父の死亡、昭和19年夫の死亡と、たて続けに大黒柱を失う。まさに泣きっ面に蜂そのものであった。
これを境に、“ばあちゃん”の人生は大きく変わり、ただひたすらに子供の成長を楽しみにするだけの人生が始まる。



健二

○ 清水の家は、教育熱心で、親戚には医者が多く、学者、官僚等もおり、親戚つきあい、地域のつきあい等、当時のことでは、男のいない家を“おばあさん”と“ばあちゃん”で守っていくのは大変なことであったと思う。
○ おばあさんは明治18年生まれの、いわゆるイメージは“明治の女”そのものであった。
“ばあちゃん”の“おばあさん”に対する印象は「おっかねえ人だったが情のある人だったよ~」と言っていた。
○ ばあちゃんに化粧ひとつさせなかった。ばあちゃんはお風呂のあと顔にクリームを塗る程度であった。


この後はおばあさんが死んだ後のことである

ばあちゃんは口癖のように「おばあさんがいたから子供が育った」と言っていた。

昼寝をする時は襖を閉めて寝ることよくあった。
さぜなら、居間にあるおばさんの写真がから見えないように昼寝をしていた。

寝ていても、人が来ると、さっと飛び起きる習慣があった。余程おばあさんが恐かったと様子。

奇麗好きで、健康には神経をつかっていたばあやんは、出入りの多いあったが、ちょっと弱そうな人等が来ると、帰ったあと、湯飲み茶碗を熱湯消毒していた。これも、家族が健康であって欲しいことからと思った。

子供が受験勉強していても、10時を回るころには「早く寝ろよ」と健康に気をつかった。
お陰でノー天気な次男の私は助かった。

長兄と妹は、11時以降勉強していたことは希のような気がした。
次男の私は11まではもちろんのこと、学校以外での勉強が希であった。
次男の私は、試験は一夜漬けの勉強が多かった。ばあちゃんは「次から前以ってちゃんとやれよ」言ってくれた。優しいのか、それとも厳しさがないのか~。
いまになれば私も後悔している。あまりにも遅すぎた、後悔先にたたずとは、この事である。



健二

我々兄弟は中学校から八王子の学校に越境入学していた。
高校は長兄が立川、次男の私が荻窪、妹は八王子であった。
電気釜のない時代、ばあちゃんは夜中と夜明の間ぐらいに起き“かまど”でご飯を炊き、食べさせ、私が見えなくなるまで送り出していた。

健康に敏感なばあちゃんは、医者は良い職業と思っているも、“きたないものを扱う、弱いものを扱う”という先入観があった様子。
長兄が国立の東京医科歯科大学に合格するも、おとうちゃん(夫)の早死にがいつも頭にあり、当時の国立一期校、二期校を断念させ、私立大学にいかせた。

毎日、お茶とご飯を神棚、仏壇にそなえ、手を合わせ、かなり長い時間拝んでいた。何を心の中で言っていたのか、もらいものは、まず仏壇へ、ご先祖様のお陰、感謝の行為箪笥には、いい着物があるも、いつもモンペ姿であった。

孫たちの強い印象の一つに“おいしいコーンスープをよく作ってくれた”ことである。

夏の炎天下、よく畑のくさむしりをしていた。おばあさん(姑)が何かと面倒を見た畑の近くのおばさんが、お茶を入れたり、手伝ってくれていた。そのおばさんは“ばあちゃん”のことを「姉さん、姉さん」と呼んでいた。
お父ちゃんが生きていたら、こんな草むしりなどしなくてもよかったのだがと私は思った。
だが、“ばあちゃん”は、そうは思っていない様子であった。
“生きていれば”という,IF(もしも)を言わない人であった。

ばあちゃんのえらいところは、自分の身内の者でなく義父、義母の親戚、また、他人を受け入れる、いわゆる自分以外を大切にする人であった。社交性はなかったが、心、気持ちが寛大であった。

年一回、実家の地域のお祭りの時、泊りがけで行くのが楽しみの様子であった。

ばあちゃんの“きらいなタイプ”
○自慢話を一方的にしゃべる人 ○ずうずうしい人



健二

息子、娘の誕生日には赤飯をふかした。クリスマスは息子、娘の子供の頃、その後の孫たちにも関心がなく、プレゼントはなかったと、記憶している。

神様、仏様の行事にはうるさかった。年末、年始の飾り付けの準備、彼岸、盆の仏様へのお供え、飾り付け、またお寺さんへのご挨拶、他人を拒絶しない、誰でも受け入れる。長居をするお客に対し、体調が悪く横になりたい時にも我慢している。
自己犠牲が強い、もっと自分を主張してもいいのではないかと思ったが、それが、ばあちゃんのいいところ。

和服の仕立てがうまかった。一時仕立ての仕事をいていたが、納期の迫った時は徹夜であった。その時電球の笠に布をかけ、灯りが漏れないように手元だけ明るくしていた。
仕立ての部屋に我々の勉強机があった。

仕立てのお弟子さんが2人いたが、楽しそうに話しをしていたのが印象に残っている。

朝早くから夜遅くまで、田んぼ、畑の仕事、洗濯、炊事なだの家事、和服の仕立、良く働いていた。 昼間のこっくり(居眠り)をよく見たことがあった。眠いのも無理がない。


○この後は息子、娘の結婚そして孫たちの話になる。

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 一月五日、午後八時過ぎ、親父から電話が入った。
「雄歩、ばあちゃんが危篤だぞ。痙攣している、すぐに来て」
 昨年暮れ、病院に担ぎ込まれて以来、あるていど覚悟はできていたが、すーっと力が抜けていくような気がした。膝から下が寒くなった。
 身支度を整え、神楽坂を出発したのが、九時半過ぎ。どこか力の入らないまま、代官町から首都高速に入った。
 おれは正直なところ、間に合いたくなかった。苦しんでいるところを見たくなかった。時速九〇キロほどで混み気味の中央道を走る。前回、全速力で走り抜けたのは、わずか一週間前である。
 運転するときはきまってイライラするおれではあるが、この夜ばかりは、気も立たず、静かに暗闇の中を滑っていくのだった。
 上野原インターに差しかかったとき、親父から電話が入った。
「雄歩、いまどこにいる。早く来い」
 いよいよか――尻のあたりがひんやりとする。
 静まりかえった上野原の町を走り抜け、池の畔の病院へ。裏口を開けると、見慣れた宿直のおっさんが神妙な表情でおれの顔をのぞき込む。
 健さんが階段からおれを大声で呼ぶ。
「雄歩、早く、早く!」
 おれは踊り場で待っている叔父を走ってやり過ごし、四階の病室まで一気に走り上がった。
 明るく赤っぽい病室には、妹たち、親父、お袋、健さん、おばさんがいた。妹たちがしきりに声をかける。
「ばあちゃん、がんばって! 大丈夫だよ」
「お兄ちゃんが来たよ。わかる? ばあちゃん、お兄ちゃんが来たよ!」
「お兄ちゃん、早く、早く! ばあちゃん、わかる?」
 妹たちに囲まれてシロがいた。目を白黒させながら、胸を痙攣させている。傍らの計数機は警報を連打している。
 見るに耐えない。おれの瞼に一気に涙がこみ上げた。
 血圧は二十九――。心拍数は百五十台――。もうおしまいか――。
「シロ、おれだ、わかるか?」
 おれはシロの手を握った。握りのクセがついて開かなくなった手だ。十年前には、よく腕相撲をした骨太の手も、衰弱して骨張っている。
 おれは手を握りながら、“念”を送った。“念”で生命力を吹き込むことができる――誰かが言っていた。
 妹たちがしきりに呼びかける。
「ばあちゃん、正夫さんの処へ行くだあよ」
「怖くないよ、ばあちゃん!」
 おれはひとり、黙って念を送り続けた。おれは大汗をかいていた。
 間もなくして、いとこの綾子と裕史が到着した。連絡を受け、運良く特急に乗ることができたというのだ。
 裕史はおよそ十年も会っていなかったのだが、つい一週間ほど前に、この病室で会った。十二月三〇日、おれが見舞いに来たときに、出くわしたのだ。しばらく会わないうちに、じつに立派な青年に成長していた。病床を見舞った後、いっしょにクルマで新宿まで帰ったのだが、深い感銘に打たれた。人間は変わるものだ、と。
 裕史は来るなり、体育会で鍛えた声援をシロに送った。
「がんばれ、ファイト! ファイト、ばあちゃん!」
「大丈夫! OK、ばあちゃん、がんばれ!」
 裕史に先導されて、みんなが声援を送る。
「ばあちゃん、がんばれ! 大丈夫だよ!」
「みんなついているからね、大丈夫だよ、ばあちゃん!」
 夜十一時をまわった病室は、一気に熱気を帯びる。しかし、シロの容態は変わることなく、あいかわらず痙攣を続けている。
「すでに脳梗塞を起こしているらしい…」
 親父がぽつりと耳元でもらした。おれは――これで終わった――と思った。もう、このままここで死ぬのがいいのだろう――と思った。シロのためには、それがいいのだろう、みんながいるときに、みんなが見守っているときに、みんなに送られるのが、シロの願いなのではないか――。しかし、おれはそう考えている自分を嫌悪した。
 
 しばらくこうした時間が続いた。すると――シロの血圧が上昇した。ベッドサイドの計数機の数値は、三九になっていた。明らかに、痙攣も収まりつつあった。おれは内心、「よし! 通じてきたな」と一人ほくそ笑んだが、それを言っては効果がなくなってしまうような気がして、言うのを控えた。
 間もなく零時というころ、長男夫婦が到着した。――これについては、何も言うまい。
 このころになると、明らかに小康状態を取り戻していた。おれはセーターで額の汗を拭った。みんなの声援は続いているが、どこか期待が持てるような安堵の空気が流れた。
 午前一時近くなると、今夜は持ち越せそうだ、ということになり、介添えを残して、今夜はいったん帰宅することになった。
 おれは妹二人を指名し、残りの者を帰した。
 痙攣も止み、シロは静かに寝息を立てている。
 妹二人を先に寝かせ、今夜はおれが不寝番をすることにした。正直に言えば、、おれは怖かった…。しかし、おれでなければならないような気がした。
――シロ、やはり、おれだよな?
 シロに目をやるが、返すはずもない。
 妹二人――陽子と暁子は、寝ろといわれても眠れるはずもない。ベッドのかたわらにしつらえた簡易ベッドに横になりながら、身じろぎもしないでいる。
 おれは持ってきたノートを開いて、妹たちに話しかけた。
「シロはどんな物を作っていたっけ?」
「トウモロコシのスープ。よく作っていたよね」
「あと、けんちん汁」
「そうだな、おれもあれは好きだった。毎朝、仏壇にご飯とお茶を供えていたな…」
「そうそう、私たちが先に食べようとすると、『仏様が先だあよ』って怒っていたな…」
「そして、三角形に手をつくって拝んで、ごしょごしょつぶやいていたな。あれは、何と言っていたのかな?」
「家族のみんなが健康で幸せになれますように――というようなことを言っていたような……」
 シロの朝は、仏壇に拝むところから始まる。「ほとけさま」「だいじんぐさま」「おいべつさま」――この三者にご飯とお茶を出してから、一日が始まる。おれは高三、浪人の頃とシロと二人で暮らしていたが、この光景の神々しさに気付いたのは、まさにこのときであった。うまく表現できないが、金無垢の歴史の露頭がそこに剥きだしになっていたような気がした。そのときから、おれのなかの何かが大きく変わろうとしていたような気がする。これについては、改めることにする。
 こうして妹たちと、シロの思い出について語り合った。幼稚園にシロが来て、佐藤さんで買ったパンを届けたこと、雷が鳴ると、線香を灯したこと、運動会の席取りのために、午前三時から並んだこと、田んぼの「水見」をしていたときのこと、いつまでも髪を黒く染めていたこと、寝坊のおれを何度も起こしたこと――。
 おれたちにとって、シロは本当にいいお婆さんだったのだ。
 こうした話は引きも切らないが、時々、警報が連打して、ドキリとさせられる。しかし、明らかに状態がよくなっていることを感じさせる。血圧もおれが到着したときの二九から六九まで驚異的な回復を見せている。これはひょっとしたら、回復するのかも――という淡い期待を抱かせた。朝になれば、目を覚まして、「ゆうちゃんか?」と口にするのでは…しかし、二度とシロは言葉を発することはなかった。

 午前三時を回った。妹たちも日ごろの介護の疲れもあり、うとうととし始めた。
 彼女たちは本当によくやってきた。仕事や勉強をしながら、週末になれば決まってやってきて、シロの面倒をみていた。
 おれは元気なときのシロは大好きだが、入院したり、明らかに衰弱したときのシロを見るのは辛かった。おれは時々、逃げをうった。
 陽子は年末年始、毎日、シロの枕元に座って、誠意ある介護を行った。正直なところ、頭が下がる。おれが正月二日に見舞いに来たときもいた。今にして思えば、それがシロとの今生の別れであった。
「おれは誰だ?」
「ゆうちゃん」
 酸素マスク越しに、弱々しいがはっきりと言う。
「五、七」
「三十五」
 掛け算もやった。
 そのときは健さんも来ていた。ひとしきりいて、帰り際に声をかけると、シロがなにやら言っている。「何?」と聞くと、また、なにやら言っている。叔父に、何を言っているのか、尋ねると、「また来てね」と言っているということだった。
「また、来るぞ! じゃあな」
 陽子の話だと、その翌日には、シロはわりあいしっかりしていて、「正月なのに、こんなところにいるのはつまらねえ」というようなことを言っていたそうだ。
 ところが、その翌日になると、にわかに元気がなくなったそうだ。そのとき、シロは陽子にこんなことを言ったそうだ。
「陽子ちゃん、ありがとね」

 妹たちは静かな寝息を立てている。時刻は午前三時過ぎ、静かな病室に時々アラームが鳴り響く。
 血圧は六十九、心拍数は百三十台、酸素は十分--数値はしだいに安定してきた。途中、定期的に、看護婦さんが検診に来たが、問題なさそうであった。

 おれは再びノートを取り出した。ベッドの枠に肘をつき、ペンを手にしてシロの顔を見た。安らかな寝顔である。先ほどからときどき寝言を言っている。何を言っているのか、聞き取れないが、悪夢ではなさそうだ。
 先ほども書いたが、おれは高三から浪人が終わるまで、そして、大学六年の都合三年ほど、シロと二人で暮らした。
 浪人時代はいつも友達を家に招き、よく酒を飲んだりして騒いだものである。高校時代の友人が何人か訪ねてくるときには、シロには親のいる実家に行ってもらった。島崎横町を曲がって、高尾の床屋の角を、妹の誰かに手を引かれて行く姿を思い出す。
 朝寝坊のおれは、
「明日は十時に起こしてくれよ」
 と前夜のうちにシロに言っておいた。翌朝、シロは十時きっかりにおれを呼び、
「ゆうちゃん、十時だあよ! ゆうちゃん!」
 と怒鳴るのだった。
 夜更かしのおれはその時間にも起きることができずに、
「シロ、十一時でいい。十一時に起こしてくれ!」
 と怒鳴る。すると、ひとしきりして、シロが
「ゆうちゃん、十一時だよ! ゆうちゃん!」
 と起こしてくる。
 そうなると、さすがのおれも起きざるを得ない。しかし、寝床から身を起こし、座敷に行くと、敷いてあるシロのふとんに倒れ込み、寝ころんでしまう。そういう時は、
「シロ、肩!」
とやる。すると、シロがやってきて、ぽんぽんとたたき始める。その調子はゆっくりですぐに寝入ってしまう。すると、
「ゆうちゃん、まだかあよ?」
 時計を見ると、もう十二時。一時間もただぽんぽんとたたき続けていたのだ。のんびりした浪人生に、シロは、こう激励した。
「ゆうちゃん、ものになるだあよ」

「そういえば、当時、よく肉うどんを食ったな?」
 シロに話しかける。答えることはない。しかし、シロは長い夢を見ているようで、瞼越しに眼球を動かしている。ときどき、問いかけに答えるように、ゆるやかな寝言を言う。いっしょに住んでいたから、よく知っているのだが、シロはよく悪夢で魘される。魘されているときには、
「シロ、夢を見ているぞ! シロ、夢だよ」
 と教えてあげる。そういうときは、
「ああ、夢だあな。夢はいやだあな」
 と言うのだった。
 今夜の寝言はそうした悪夢とは違うものだ。おれはちょっと嫌な予感がした。
 その後、シロに話しかけながら、過去十数年の思い出について書き綴った。おれが高校を出る頃から現在にいたるまで――こうして年表風にまとめてみると、じつにいろいろなことがあったと実感する。
 当時、住んでいた場所、つきあっていた彼女、打ち込んでいたこと…シロとの思い出を織り糸にしながら、次から次へと想起される。思えば、シロとの十年であった。
 おれが本格的に一人暮らしを始めた年、シロは転んだことをきっかけに歩くことが困難になった。今から五年ほど前のことである。
 以来、シロは年々衰えを見せ始めた。その変化にはその都度驚かされたが、健二おじさんやおれの家族が世話を焼いて、幸せな老後を送っていた。孫たちもしだいに大きくなり、それぞれ進学、仕事を持つようになった。そういう年月の流れを、シロはよくわからないなりに、喜んでいたようすである。

「会社を辞めて、社長になったよ。松川屋書店というのだ」
「そうか、それはよかったな」
 シロは松川屋の人間である。店屋物を頼むときも、ビールを酒屋に注文するときも、「松川屋」で通していた。松川屋などという屋号を使っているのは、シロくらいのものである。この屋号も、間もなく使われなくなってしまうのだろう。おれはなんとか残せないものか、と考えていた。ちょうどそのころ、出版関連で起業しようということになり、その社名に「松川屋」を使おうと思ったのである。しかし、未だにそれは実現できないでいる。そのうちに松川屋の屋号を復活させるつもりだ。
 シロは歴史上の人物なのである。シロは自ら歴史上の人物としての役割を全うするしかない。そして、その当たり前のことが、戦後のいかがわしいゆがんだ価値観のかなで、潰えようとしているのだ。
 シロの寝言がやんだ。すやすやと静かな寝息を立てている。安らかな寝顔だ。額を触ってみる。狭い額はあいかわらずで、血色のいい顔は品格がある。
 メーターも静かである。安定した数値を刻んでいる。
――これで、明日の交代にバトンタッチできる
 おれは安堵した。
 ときどき警報アラームに驚かされながら、おれは黙々とノートに思い出を記した。静かな時間が流れていく。時刻は四時半になろうとしてた。
 シロは静かな寝息を立てている。心拍数も一〇〇近くまでに落ち着いてきた。――いいぞ!
 しかし、そのあと、九〇台、八〇台に落ちるのが早く感じられた。高齢者の心拍数はそのくらいがいいと聞かされたので、「ここで、止まれ」と心の中で祈った、が、数値は七十台に差しかかろうとしていた。
――これはまずい。六〇台になったら、妹たちを起こそう。
 六〇台になるまでは、わけがなかった。――いよいよだ。と、そのとき、看護婦長さんが部屋に入ってきた。
「呼びますか?」
「呼んで下さい」
 おれは陽子と暁子を起こした。そして、家族に連絡するように伝えた。
「清水さん! 清水さん!」
 看護婦長さんが検眼灯で瞳孔を伺いながら、シロに声をかける。シロは熟睡しているように、反応しない。
「今、呼吸が停止しました」
 メーターの曲線は斜めに上がったようないびつな形になった。が、それがどういう意味なのか、よくわからなかった。

 間もなくして親父、お袋、恵子が飛び込んできた。次いで、健二叔父、孝子さん、綾子、裕史が飛び込んできた。健さんは転げそうになるくらい動転していた。
 おれはこの叔父が好きだ。口は悪いし、マナーはなっていないが、人間として自然ななりをしているからだ。健さんは、この夜、痙攣するシロの病室の外で、一人涙していた。健さんは、
「これでいい。ばあちゃんもこれで幸せだ。みんながいるときに死ぬことができて。あとは雄歩が間に合えば、何もいうことはない……」
 と、親父に語ったという。おれは後になってから聞かされて、胸が支えた。
 最後に、長男夫婦がやって来て、それを待っていたように、主治医の先生が宣告した。
「五時二十分。ご愁傷様です――」
 妹たちや綾子、裕史がシロを取り囲む。静かな嗚咽が続く――。
 着物を着せている間、外で待った。
「よく生きたよ、本当に」
「ばあちゃんは、正夫さんのところに行ったんだね」
 おれは口を挟んだ。
「シロは夢を見ていた…。楽しそうな夢だった。それも一時間近く…。話しかけられて、答えているようだった…」
「そうだったの? それはよかった、本当によかった。宇一さんや正夫さんなど、身内全員が迎えに来たんだな――」
「いい夢をみていたんだね、ばあちゃんは……」

 間もなくして、準備が整ったということで、病室に呼ばれた。シロは浅黄の着物に着替えていた。安らかな表情に、下手のいい着物を着て、手を組んでいた。見た瞬間、おれはこらえていたものが吹き出した。どっと涙がこみ上げてきた。
「よく生きたよ、本当に」
 健さんの言葉に肯くしかなかった。
 これから、シロは家路につく。おれのクルマに乗せて帰ることにした。
 凍てつくような真冬の早暁、病院の裏口でシロの降りてくるのを待った。家族に取り囲まれながら、シロが降りてきた。
 毛布を敷いた荷台に、シロを担いで乗せた。――温かい。
 おれは助手席に健さんを乗せ、シロが酔わないように、ゆっくりとクルマを動かした。交通のない甲州街道をハザード・ランプを点滅させながらゆっくりと走る。シロが長年暮らした家の前を通過する。
「ばあちゃん、まずは雄ちゃん家に行くよ。ばあちゃん、言っていたよね。退院したら、どこへ帰るの?って聞いたら、『盛池さん家』と言ってたよね」
 健さんの言葉は、おれを嗚咽させた。
 夜明けを迎え、ほどなくして、朝日が正面から射し込んできた。寒い朝だ、しかし、雲一つない。こんなに清らかな朝もそうそうないだろう。
 実家の駐車場にゆっくりと停車した。おれは、健さん、裕史、親父の力を借りて、シロを持ち上げた。重い――。まだ温もりを残したシロは重かった。おれは頭が揺れないように、上体をしっかりと支えた。
 シロが数年に渡って暮らしていた、我が家の座敷はすでに片づけられ、そこにはすでにふとんが敷かれていた。シロをゆっくりと寝かせた。それにしても、何と穏やかな表情だろうか。死に際に、人格が出るのだな、と思った。
 枕元で線香が焚かれ、ゆるゆると煙が中空にのびていった。
 障子戸は射し込む朝日をしっかりととらえ、清浄な空間が現出した。シロは静かに、中央に横たわっている。周囲を、家族、孫たちが取り囲んだ。
 シロの威徳はわかりにくい。理由は、何もしなかったからである。しかし、そうではない。事実、これだけ多くの人が集まる。そして、その死を悲しんでいる。当然、おれにとってもかけがいのない人であった。その存在、ただそれだけでおれに大きな影響を与えていた。
 おれが今、こうしてあるのもシロのおかげだと思っている。生前、
「おれがいま、こうしてうまくいっているのもシロのおかげだ」
 と言って、寝たきりのシロに仰々しく頭を下げたことがある。シロは、
「そんなことねえよお。でも、そういわれると、嬉しいもんだな」
 と恐縮していた。
 おれのような“教養人”は社会のトレンドや本から得る教養はよく知っている。しかし、それなどは筋の通った精神がなければ、何も意味がない。結局、周りばかりをうかがいながら一生を終える右顧左眄人間である。
 シロはそういうところがなかった。だからといって、なりふりを気にしていたわけではない。むしろ、人一倍、体裁を気にした。しかし、それは「矜持」といってもいいようなものだった。
 自分のためではなく、あくまでも「ご先祖様」のためであるという姿勢を、意識せずに貫き通していた。この姿に打たれたのだ。周囲の「戦後進歩人」が急に安っぽく見え始めたのだ。

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