22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

1996年08月

宇和島の闘牛、高知の闘犬、日和佐のウミガメの産卵を見ようと。

ウミガメも幸運なことに見ることができました。

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 歴史に詳しい友人Sから松代の地下壕のことを初めて聞いたときは少なからず驚いた。私も受験で日本史を勉強していたのだが、どの参考書にもそんな話は載っていなかったからだ。
 私が興味を示したのに気をよくしたSは、自らの歴史認識を交えながら滔々と語りあげた。その話の主旨は次のようなものだった。
戦局がにわかに厳しさを増してきた太平洋戦争末期、本土決戦を叫ぶ陸軍を中心に、首都機能を「疎開」させようという動きが盛り上がった。その疎開地候補としては、東京八王子などの名も上がったが、最終的に長野県松代に決定した。
地下壕建設のための岩盤が強固であることや国土の中心に位置するその地理的側面、そして何よりも「神州」を連想させる響きがその決定を促したという。
 八割がた完成した地下壕の総延長は十三キロにも及び、その工事には強制的に連行されてきた朝鮮人などが充てられた。この地下壕は食料倉庫や武器倉庫という名目で工事が遂行されていたが、じつは皇室、陸軍大本営、日本放送協会、官省庁といったまさに日本の中枢の疎開地なのであった。
 Sは自分の言葉に酔っている様子であったが、実際じゅうぶん魅きつけられる話であった。
「まあ、いってみればこれは紛れもない遷都計画だったんだ」
 彼はこう結び、得意そうに私の顔を見た。

松代を訪れたのは、その二ヶ月後の夏の暑い日であった。七月の上旬ということもあって、行きの列車は空いていた。
 松代駅から観光地図を頼りに地下壕入口を目指すのだが、この辺りはじつに見所が多い。武田信玄と上杉謙信で有名な川中島、佐久間象山の関連史跡、そして彼の出仕していた真田家の旧跡は、町の方々に散らばっている。
水量の豊富な小川に沿った道を汗を拭いながら歩くと、古い武家屋敷の前に出た。もう間もなくである。途中で道を尋ねたおばさんがそう教えてくれた。
 象山の麓にある入壕口には、市が管理するプレハブが一棟と三枚の案内板があるだけでひどく簡素だ。夏の日差しが辺りを真っ白に照らしだすのと対象的に、ぽっかりと開いた穴の中には、うす暗い空気がこんもりとたゆたんでいる。
 入口は縦横二メートルほどの木組でかたどられ、ひんやりとした空気がそこからもれてくる。なかに足を踏み入れると、黴びたような、それでいて乾いたようなにおいがした。
 坑道には規則的に投光機が吊されていて、むき出しになった硬そうな岩の壁面に濃い影を刻んでいる。
 しばらく歩くと、一本の坑道と交差した。だが、柵で塞がれていて進入することはできない。掘削された大きな石がこちらからの明りをぼんやりたたえながらいくつも転がっている。それより先は闇におおわれ、うかがい知ることはできない。どうやら見学用の坑道は整備されているようだ。
 こうして立ち止まると、すべての物音が消え去る。シーンという音が聞こえてきそうである。
 このように公開されているのは、縦横碁盤目状に掘り巡らされたなかの一部で、L字型をしている。私は左に折れた。ここにも投光機は吊されているので、前方の見通しはよい。歩いている人はどこにも見あたらない。夏休み前の平日では訪れる人もほとんどないのだろう。
 左右から交差してくる坑道を見ながら歩いていると、遠く向こうに道いっぱいの鉄条網が見えてきた。そのたもとに人影がある。
 背は低いが筋骨隆々としたおっさんであった。地元のボランティアの人なのだろう。少し時代がかった服、見方によっては軍服のようにもみえる服を着ていた。かつて姫路城を訪れたとき、鎧兜の名物おじさんがいたが、そういった類いであろう。
「こんにちは」
私が声をかけると、おじさんは頬を少し崩して深々と頭を下げた。手に鍵の束を持っている。
「未公開部分を見ることはできないでしょうか」
 私はその鍵の束を当て込んで、こう尋ねた。
「いいですよ。ついてらっしゃい、足元に気をつけて」
すんなりと話がまとまったのに面食らいながらも、私はおじさんの後から柵のなかへと続いた。
 さっきまでの公開部分と違って、こちらは足元に大小さまざまな岩石が無造作に転がっている。慣れた足取りのおじさんはカンテラの灯をユラユラさせながら進んでゆく。
「これをごらんなさい」
 明りの先には、炭のようなもので文字が書かれているが、私には何と書かれているかわからない。この地下壕建設に当たった労働者の落書きなのだろう。
「こういう物もあるよ」
 赤く錆びたシャベルが放置してある。柄は黒く垢光りしていた。その近くには、同じく赤く錆びた箕や、何に使うものなのか、鉄のパイプが数本散乱している。
「これはどうかな・・」
おじさんは岩の間にかがみ込むようにして明りをあて、今し方拾った錆びた鉄パイプを向けた先には、何やら塗料を垂らしたような染みがあった。
「ひょっとして血痕じゃないですか?」
「そうだよ。生々しいねえ」
 この地下壕に刻まれた痛恨の歴史がそこにあった。私は何ともやりきれない気持ちになると同時に、体になにやらまとわりつくものを感じた。この暗闇がそうさせるのだろう。振り返ると、柵の明りはすでに見えなくなっていた。
しばらく歩くと、おじさんは再びしゃがみ込み、ここを見ろという仕草をしている。そこにも血痕があった。Sからここで行われていた残虐な物語を聞いていたが、これほど酷いものだとは思わなかった。それにしても、この血痕はさっきのものよりいくらか新しく見えるのは気のせいだろうか。
「先に行きなよ。好きな方に行っていいんだよ」
 おじさんはこう言って、カンテラを私の方へ掲げた。顔の皺に濃い影が刻まれた。
「いや、僕は道がわかりませんから・・」
「いいからいいから。俺が付いているから安心しなよ」
 彼は私に無理やりカンテラを持たせ、私の背を小突いて前へと促す。私はどうしていいのかわからず、足元を照らしながら歩き始めた。
 大きな坑道はカンテラのおぼろな明りを壁面にたたえながら闇の中へと延びている。背後からは彼がぴったりつけて来る。鉄パイプを杖代わりに突きながら。
 ときどき壁面に灯を向けたりして平常心を装うが、耳殻と目の端に神経を集中させて、ぴりぴりとした緊張感を背後に向けている。
 奴はいつどう仕掛けてくるのか。いっそのことカンテラを岩に投げつけて灯を消してしまうべきか。同じような「武器」を見つけて立ち向かうべきか。しかし、奴の敏捷そうな立ち振舞いを見ると、それには少なからず危険がともなう。
 曲がり角にさしかかったとき私は左に折れようとしたとき、
「そこ、右」
 と一言、抵抗することを許さないといった低い声で奴は言った。いよいよ来るかと私は身構えた。右に曲がった瞬間勝負をかけようと心に決めた。振り返りざまにカンテラを奴に投げつけてひたすら逃げるんだ。奴が背後に接近して来た。
 さあそこだ。ささくれ立った岩を右に折れると、向こうに明りが見えた。
「そこで終わりだ」
柵を出ると、奴は手を差し出した。
「はい、案内料で五百円」
私は財布から震える手で千円札を渡し、五百円玉のお釣りをもらった。

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