bdecb61a.jpg



26601a10.jpg



4923e930.jpg



11cb8f54.jpg



1634228d.jpg



aa8488d9.jpg



3970446d.jpg



68dc05b0.jpg



4225e697.jpg



bd59b3c8.jpg



   薩南紀行

桜島を抱き込む薩摩半島は、いびつな斧のような形をしている。そして、この斧の刃の切っ先に位置する池田湖には、体長二メートルにもおよぶ大ウナギが生息するという。
 二メートルといったら、私の上背を優に越えるわけだ。すると、ウナギの頭も私の頭よりもひと周りも大きいのだろうか?目も人間並みに大きく、こちらに思索的な視線を投げかけるかもしれない。――こんなことを考えていたら、気味が悪くなって、腰の辺りが落ちつかなくなってきた。
 そういえば、小学校のころ、近所の川でウナギを釣ったことがあった。
 夏の夕暮れ時、暮色が濃く辺りをつつみ始めたころだった。竿先に微妙な当たりを感じたので、グイッを合わせると、その瞬間、黒い棒のようなものが水中から飛び出してきた。私は蛇だと思い、咄嗟に後ずさりした。それからしばらく、薄闇のなかでのたうち回る物体を見据えていたが、それがウナギであるとわかるまで、しばらく時間がかかった。勿論、ウナギを釣り上げたのは初めてだった。それまで生きているウナギは、縁日のウナギ釣りの水槽でしか見たことがなかったのだ。
 そのウナギは二○センチほどで、かなり小ぶりであったが、珍しい獲物に満足し、いそいそと帰宅した。そのウナギは蒲焼きになって、私の夕食のお膳に上った。
 私の釣ったウナギはともかくとして、普通ウナギといえば、我々は三、四十センチほどのものを思い浮かべるだろう。それが二メートルというのだから、実際にこの目で見たくもなる。
 それにしても不思議なものだ。なぜ魚ばかりが際限なく大きくなるのだろうか?富士の麓の忍野八海では、一メートルを超えるコイを見たし、琵琶湖には、同じく一メール級のナマズがいるという。利根川のソウギョは一メートル五十センチになるというし、北海道のイトウや朝日岳のタキタロウなど、幻の巨魚伝説は引きも切らない。人間をはじめとする動物は、そういうわけにはいかない。人間などいくら大きい人でも、二メートルほどだろう。多少それを上回るような巨人がいたとしても、ウナギと同じ相似比で拡大した九メートルには、遠く及ばない。水中の浮力が体格のリミッターを解除してしまうのだろうか。ともかく不思議である。

 百科事典や魚の図鑑などを開いてみると、簡単ながら記載があった。調べるうちに、我々が日ごろ目にするウナギとは違う種類のウナギであることがわかった。私はてっきり池田湖に何か仕掛けがあって、それによって巨大化するのではないかと思っていたのだが、どうも違ったようだ。
 またこれらの本のなかには、池田湖の大ウナギがそこで目撃されるイッシーという怪獣の正体ではなかろうか――という記述もあった。
 周知のように、イッシーとは池田湖で目撃される怪獣の愛称である。私は無論イッシーについては、屈斜路湖のクッシーなどとともに、かねてから興味を抱いていたが、どちらも何かの見間違えにすぎず、よもや未確認怪獣であるなんて本気で考えたりしたことはない。眉唾な怪獣の存在を期待値たっぷりに語るより、実在する化け物ウナギのほうがよほど面白いと私は思うのだ。

 七月中旬の平日のよく晴れた日、私はJR指宿駅でレンタカーを借りた。
 午後三時をまわったとはいえ、南国の夏の太陽はまだまだ高く、フェニックスが立ち並ぶ摺ヶ浜のメインストリートを真っ白く照らしあげていた。道の両側には、ホテルや旅館が軒を連ねているが、こう暑くては人通りも少ない。私はまず池田湖を目指した。
 市街地を抜けて、国道二二六号をしばらく走ると、前方に開聞岳の美しい山容が見えてきた。「薩摩富士」とよばれるだけあって、すり鉢をひっくり返したような稜線が見事である。地形図を見ると、杉の年輪のように、等高線が同心円を描いていて、その山となりがよくわかる。
 以前ここを訪れたときは、雲の笠をかぶっていて、その全容を仰ぐことができなかったのだが、今日は雲ひとつなく、西日をうけて青空に黒く際立っている。
 ゆったりした裾野にすうっと延びる道は、信号も交通量も少なく、じつに快適である。走るほどに山はみるみる左にスライドして行く。やがて池田湖に折れる交差点にかかり、今度は開聞岳を背にして走る。
 池田湖は栃木県の中禅寺湖ほどの、それほど大きくない湖なのだが、九州の湖のなかでは最も大きい。湖水はカルデラ湖特有の絶壁で取り囲まれていて、湖畔の狭い道路沿いには、全国どこにでもあるようなみやげ物屋や貸しボート屋が並んでいる。
 どの店にも「大ウナギ見学無料」という大きな看板を掲げていて、大ウナギを売り物にしている。そんな看板を掲げた一軒の貸しボート屋に入った。もちろんボートに乗るつもりはなかった。駐車場が広くて、入りやすかったのである。
 ひとけのない薄暗い店内に入ると、さっそく大きな水槽が目に入った。
「いらっしゃい、ウナギはそこ、見ていってよ」
 カウンターの向こうから声がした。気の良さそうなヒッピー風の男がそこで、釣り道具の手入れをしていた。
 「拝見します」と言って、水槽の中をのぞき込んだ。
――黒い丸太のようなものが沈んでいる。
――微動だにしない。
――水槽の対角線上にじっと身を横たえている。
 黒い巨体の上には、二○センチほどのニジマスが十匹ほど泳いでいる。この化け物の餌なのである。
 大ウナギの悪魔的な巨体に、ニジマスの銀輪がきらめく。精悍で獰猛な清流の王者もここでは、まな板の上の鯉、ならぬニジマスである。いつ訪れるともしれぬ死を恐れるでもなく、まん丸く目を見開きながらキビキビと身をよじっている。
 水槽に見入っている私に、店の人は得意そうに言った。
「それはね、一・五メートルくらい。こっちにもっと大きいのがいるから見てごらん」
 ボートの桟橋の付け根には、もうひとつ大きな水槽があった。
 蓋を外してもらい、中をのぞいた。そこにはさらに大きなウナギが巨体を泰然と横たえていた。こちらは体長一・七メートル、重量は二○キロを超えるという。頭は人間の子どもくらい、胴回りは成人男子のふくら脛ほどもある。
「この湖のウナギだけ、なぜこんなに大きくなるのですかね?」
 私は土地の人ならではの返答を期待した。
「種類が違うんだね、これはゴマウナギっていうの。この辺りにしかいないんだって」
 ゴマウナギ――よく見ると、体表にゴマのような斑点が無数にある。
「このウナギを食べたりするのですか?」
「昔はね。いまは天然記念物に指定されているので、獲っちゃいけないんだけど、ぼくが子どものころはよく食べたよ。ウナギっていったら、こういうものだと思っていたからね」
 天然記念物とは知らなかった。現地に行けば、大ウナギを食わせる店があると思っていたので、残念である。もっとも、この大ウナギは脂身が多すぎて、けっして旨いものではないそうだ。手持ちの百科事典にも、ひとこと「不味」と記してあった。
「ウナギは夜行性といいますから、昼間はずっとこうしておとなしくしているんでしょうね」
「そうだね。だけど、夜になると、大暴れ。蓋を二重にしておかないと、外に飛び出してしまうんだよね」
真の暗闇の密室で、二メートルもの黒い化け物がのたうちまわる。ニジマスなんてひと飲みである。
 桟橋を歩きながら、水中を凝視した。透明度の高い水の奥に、岩がゆらゆら揺れている。
 拝観料がわりに缶ジュースを買って、そこを後にした。他の店には、もっと大きなやつがいるかもしれない。
 次に入ったのは、ひと気のないみやげ物屋であった。私が入るなり、店のおばさんがやって来て、ウナギはこっち、ウナギはこっちと案内する。
 案内された水槽の中には、相変わらず無愛想な大ウナギが横たわっていた。二匹いるうちの一匹が頭を上に擡げていたが、何をするでもなしに茫洋としている。
 それにしても、不思議と見ていて飽きない。物珍しさや動きやしないかという期待感もあるが、それだけではないオーラを発しているのだろう。ガラスの壁にベッタリ張り付いていつまでも見ていられるが、少しでも顔を遠ざけると、得意そうにこっちを見ているおばさんがガラスに映って、うんざりさせられる。さっきから、ウナギの解説にかまけて、店の商品の宣伝をするのである。
 結局、大ウナギは微動だにしなかった。私は根負けし水槽から離れた。店には、池田湖の名を全国区にしたイッシーのキャラクターグッズが売られている。なんでも、この店オリジナルなのだそうだ。Tシャツ、帽子、タオルといろいろある。そのなかからボールペンを買って、拝観料とした。デフォルメされた恐竜のイラストがボールペンにプリントされている。
 このイッシーの正体が大ウナギであろうとは、かねてから囁かれるところである。私もその説に与するひとりだが、古本屋で見つけた『日本の怪獣・幻獣』(平川陽一/廣済堂文庫)という本を読んで、他にもいろいろな説があることを知った。
生き残り恐竜説、蜃気楼説、大蟹説、二○メートルもの大ウナギ説――とまさに
百家争鳴の様相を呈している。果ては、UFO説まで出る始末で、結局のところ何もわからない。
 このイッシー騒動のそもそもの発端は、昭和五三年の近所の小学生の目撃情報に始まるから、もう二○年も前になる。それに前後して目撃者が相次いだため、この地のイッシー熱は一気に高まった。指宿市もこの動きに便乗して、「イッシー賛歌」なるものまでつくって大いにはしゃいだ。しかしその後、目撃情報が途絶え、ブームはどこかへ行ってしまった。
ところがここ数年、ふたたび目撃情報が寄せられるようになり、市は「イッシー対策本部」を急遽設置し、二十四時間体制で湖面を監視するようになった。イッシーの写真には、十万円の賞金が賭けられ、各地から好事家たちがカメラを提げてやって来るようになった。しかし、今のところ賞金を獲得するような写真は撮影されていない。そもそもそんな怪獣なぞいるわけがないのだから、市も町おこしをするのなら、年に何回か、大ウナギを釣ってもいい日を作って、全国から太公望を集めるようにしたほうがいいだろう。そのほうが盛り上がるし、金も落ちる。

 みやげ物屋を出た。平日ということもあって、観光客はほとんどいない。湖畔をノロノロと徐行して、眺めのいい場所に車を止めた。湖をとりまく絶壁の上に、開聞岳がヒョコリと顔をのぞかせている。しばらくここでイッシーの出現を待ってみようというわけだ。
 小波だった湖面もいいけれど、凝視していると、体の軸がぶれるような気分になってくる。だんだん飽きてきた。もとよりイッシーなどいるはずがないと思っているので、一生懸命になれるはずもない。

 今夜の宿は、鰻池の畔の温泉宿にとってある。その名の通りこの鰻池こそが、この大ウナギの本家ともいうべき生息地で、そもそもこの池で大ウナギを釣ろうというのが、今回の旅の最初の動機付けであったといってもいい。私の持っている情報によれば、その宿で釣り道具一式を貸してくれるはずなのだが、当の大ウナギが天然記念物に指定されているのではどうにもならない。こうなれば、宿に早く着く必要もない。もうしばらく周辺を見物してから行こうと思う。
 来た道を戻る途中に「町営唐船峡そうめん流し」の看板が出ていた。小腹が空いてきたので、私はそこに向かった。

 駐車場の先の深く切れ込んだ谷底に、町営のと民間のと二つのそうめん流しが並んでいる。
 こういう場合、私は公営のを好んで利用する。たいてい公営のもののほうが粗雑でサービスも悪いが、そのぶん、安いしこちらも気を使わなくて済む。あまり恭しくされると、かえって恐縮してしまうものだ。ガソリンスタンドなどがいい例だ。ガソリンを入れるだけで、深々と頭を下げられると、かえって恥ずかしくなる。というわけで、私は町営の店に入った。
 唐船峡とは、川上神社の下の渓谷の名称で、一日十トンもの水が湧き出している。いつころからなのか知らないが、この湧水を利用してそうめん流しが始まった。今ではこの土地の名物の一つとなっていて、私もガイドブックでその存在を知っていた。
 渓谷を木板で覆い、その上に燭台のようなそうめん流しのテーブルが置かれている。その数は三、四百もあるだろうか、だが私の他に客は数組しかいない。
 食券を買って、テーブルについた。目の前で循環している水は、唐船峡の湧水である。旨そうなので、一杯飲んでみた。
 旨い――ような気がした。
そうめん流しは初めてなので、珍しくもあり楽しくもあった。でも、一人で来るところではないようだ。いい年した男が、平日の夕方にひとりでそうめん流しをやっている絵は、なかなか救いがたいものがある。
 店を出たのは六時過ぎであったが、まだまだ日が高い。長崎鼻を見てから、宿に向かおうと思う。
 ふたたび国道二二六号を走っていると、「西大山駅入口」という標識を見つけた。鉄道ファンでなければ馴染みがないであろうが、この西大山こそが日本最南端に位置する駅なのである。沖縄の鉄道は先の大戦で失われてしまったから、鹿児島県のこの駅が最南端の座についた。そんな由緒ある駅を私が素通りするはずがない。
 何もない駅前広場に車を止め、これまた何もない片面だけのホームに上がってみた。こんなに簡単なつくりの駅もそうはないだろう。
 短いホームの片隅には、「日本最南端の駅」と書かれた白い塔が建ち、長い影をひいていた。その左には、だいぶ雲がかぶさってきた開聞岳が控えている。鉄道雑誌でお馴染みの光景である。
長崎鼻は外海に突き出した岬である。「鼻」は辞書には載っていなかったが、「端」から同音を引き継いで転化したか、もしくは、人間の鼻のようにちょっとだけ隆起した所という意味から生まれたのかもしれない。おそらくその両方であろう。
 気になったので地図帳をパラパラとめくってみたら、九州だけではなく、本州・四国にも「鼻」がいくつも見つかったが、北海道や沖縄などでは見つからなかった。岬や崎と使われ方に区別はないようだが、この「鼻」という言い方にどこか気取りのない、上代の日本語を見る思いがする。
 車をエンジンをかけっ放しにして止めて、展望台への細い道を歩いた。両側は海で、断崖を見下ろすと、太公望が釣り糸を垂れている。
 岬の突端からは、海の向こうの佐田岬がよく見える。海岸線が果てしなく広がっているのもいいけど、少し大味なきらいがある。遠い島影などが見えたほうがずっと海の広さを体感できるというものだ。そこに開聞岳があり、背後から西日を受け、後光のように山の際を輝かせている。いいところだ。

 時刻は七時に近くなっていた。私は鰻温泉に向かった。
 畑の中の一本道をしばらく走ると、湖の畔に出た。これが鰻池である。
 池――とはいっても、実体は湖である。静かな水面は、西日を受けた山々を映し出している。
 やがて車は湯けむりのあがる小さな集落に入った。道はこの集落のために引かれたようなもので、ここがまさしくどん詰まりの終点である。集落にも終着駅の風情がある。
 私のとった宿は湖畔のすぐ近くにあった。通された座敷は、雑木林越しに湖水が臨める六畳間であった。この宿は初めてだが、玄関口や部屋のつくりなどに見覚えがある。
 私は寅さんフリークで、これまでにすべての映画を見ているが、その第三四作「寅次郎真実一路」で、この宿がロケで使われているからである。
 失踪したサラリーマンを探して鰻温泉にやってきた寅さんと大原麗子扮するマドンナは、ここの宿帳にその手がかりを得るのだが、じっさいは宿帳などなかった。
 また映画のなかで、この宿の入口のガラス戸に「釣り道具貸します」という紙が貼ってあって、私はそれを当て込んできたのだが、じっさいはそのようなサービスはやっていなかった。
 残念がっていると、宿のおばさんは、家で使っていたという釣りセットをどこからか見つけだしてくれた。私はそのセットを持って湖畔におりた。
 振り出し式の竿は三メートル近くもあり、それに古いガタのきた小さなリールが装着してある。そしてリールからのびる道糸の先に接続してある仕掛けには、十グラムほどのナツメ型錘と三本の鯉針が付けてあるだけであった。おまけに糸が竿先に一周分まとわりついていて、キャスティングもままならない。餌も何年も放置してあったのか、パサパサしていてとても魚の食欲をそそりそうにない。これで釣れるとは思わないが、ともかくやってみよう。
 大きく振りかぶって、投げる。
 ――シューッ、ドボン。
 大物やウナギのいそうな葦の陰に上手く放り込めた。竿を立て、当たりを待つ。
 山の端にかかる薄い雲には、うっすらと朱が注した。とりまく緑濃い絶壁からは、蜩が喧しく鳴いている。これでまだ七時半前である。夏の九州は得した気分になる。
 たしかに今日のような暑い日は、魚の喰いが悪いものなのだが、時間的には、この日没時に魚は腹を空かせて活発に動き回る。ウナギの化け物もそろそろユラリと身をよじることだろう。
 この池にも、大ウナギはたくさん生息するので、一匹くらい私の拙い餌に喰いつかないともかぎらない。ウナギでなくとも、一メートル級のコイ――魚拓が宿の食堂に飾ってあった――が釣れる可能性はある。そんなものがかかったところで、この道具で取り込めるかどうか怪しいものだ。
 しかし、そんな緊張感は長続きせず、十分もたつと竿を寝かせて、辺りを徘徊し始めた。釣れないのは折り込み済みだ。それならせめて本物をひと目でも見たい。私はしだいに暗さを増してきた水面を凝視しながら歩いた。
 いた――葦の陰で上体を擡げている。
 大きさはどれくらいであろうか。水中であることを勘案すると、一メートルは優にある。
 いつ動くのかと目が離せない。辺りはしだいに暮色を深め、ウナギの影がしだいに判然としなくなってきた。そんな私の焦燥をよそに、大ウナギは依然として動かない。水面が白くちらちらしてきて見えにくくなった。――まずい。
 苦肉の策として、足下の小石をウナギの影から少し外れるように放った。
 ポチャンと水をうった小石は、じれったいくらい波紋を広げた。そして、水面がふたたび静かになったころには、黒い影は消えていた。湖畔はいちどに暗くなった。すでに午後八時に近かった。

 宿に戻って釣り道具をしまうと、私はふたたび車で出かけるのだった。行き先は指宿である。目的は食事と風呂である。
 何時に着くかわからないと言って、宿の夕食は断っておいたし、せっかく指宿まで来たのに、砂蒸し温泉に行かないのはもったいない。明日は今日以上に慌ただしくなるだろうから、今夜のうちに行くしかない。このように私は旅に出ると、もとを取ってやろうとばかりにせわしく動き回って、貧乏くさいかぎりなのだが、これが性分なのだからしかたがない。東京にいるときも、これくらい精力的ならいいのだが。
 指宿への道は、これが日没直後とは思えないくらい、夜の闇が立ちこめていた。歩行者はおろか対向車もない。点在する民家から、仄かな明かりがわずかに漏れるばかりである。そんな夜道を二十分ばかり走ると、指宿の市街に着いた。

 指宿は一昔前まで新婚旅行のメッカであった。
 ちなみに、わが国で初めて新婚旅行をしたのは、坂本龍馬であるといわれている。内縁の妻おりょうとともに霧島山麓の温泉宿に逗留したのである。当人は新婚旅行をしているという自覚があったかどうか、はなはだ怪しいものだが、当時の社会慣習から鑑みると、男女が手を取り合って温泉旅行をするという発想は、一般人の理解を遠く超えたものであったことは想像に難くない。いずれにせよ、これが新婚旅行のはしりであるらしく、その後、それが定着するのを見ると、いまさらながら竜馬って凄いと思う。
 話を元に戻そう。
 とにかく指宿は、観光地としては超一級であった。ところが海外旅行がしだいに身近なものになるにつれ、指宿への客足は鈍り始めた。指宿はそれに対して、歯止めをかけようと、イッシーを観光の目玉にしたり、駅員がアロハを着たりと、涙ぐましい努力をしてきたが、新婚さんを呼び戻すことはかなわなかった。来るのは、私のような物好きの暇人くらいだ――と思っていた。
 ところが違った。通りには浴衣姿のそぞろ歩きが、意外なほど多く見受けられた。もっとも新婚さんではなく、四、五十年前に新婚さんだったような老夫婦である。その他は、中高年のグループ旅行の人たちで、その主体はおばさんである。日本を旅していて、最も目に留まるのが、中年女性である。私と行動のスタイルが似ているのか、とにかくどこにでもいる。
 それはともかく、指宿は老境をしっとりと楽しむのにいいところなのかもしれない。温泉はあるし、魚は旨い。
 砂蒸し温泉のロビーにも、十人ほどのおばさんのグループがいて、ビールを飲みながら嬌声を上げていた。
 浴衣に着替えて、サンダルを突っかけて砂浜に下りた。私はここは二度目なので、要領を得ている。筵の下にしつらえた砂場に横になると、砂掛けおばさんが両側から手際よくザクザクと砂をかける。砂の重みがズンと体にかかり、そのうち体が脈打ちはじめる。脳は働いているという自覚はあるが、体全体がこうして機能しているとは、ふだんなかなか自覚できないものだ。
 耳元で手持ち無沙汰な砂かけおばさんが、鹿児島弁で盛んにおしゃべりしているが、まったく聞き取れない。すぐ向こうには、さざ波が寄せては返ししている。おしゃべりが聞き取れないぶん、波の音がよく耳にはいる。耳の脇を汗が伝って行く。

 蒸された体に夜風は気持ちいい。これで旨い魚をたらふく食べれば、何もいうことはないのだが、あいにく金がない。今後の日程を考えると、計画的にならざるを得ない。私は駅前のスーパーで、ビールと薩摩揚げを数枚買って宿に戻った。
 十時だというのに、鰻集落はすでに寝静まっていた。集落の中を車で走ることすら気が咎めた。灯の落ちた宿の玄関口をそおっと開け閉めして、忍び足で部屋に入った。
 ちゃぶ台の上にビールとつまみを並べ、バッグから地図とガイドブックを引っぱり出した。
 明日は何処へ行こうか。薩摩揚げを毟りながら地図帳に見入り、グラスを呷りながら思いを巡らす。旅の醍醐味はこんな時間にあるといってもいい。網戸には羽虫がたくさん張り付き、漆黒の闇の向こうからカエルの鳴き声が聞こえる。


64e9c9fd.jpg



2917cfda.jpg



fb89eec3.jpg



3af523dc.jpg