22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

1993年12月

中先生とともに、全国各地の悪所へ。

●飛田新地

●五条楽園

●北海道

●北陸の温泉地

●渡鹿野島

●石垣島

などなど。

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■1993年12月25日(土)

931224九州周遊券


931224九州周遊券A


東京   9:07 ひかり39号 食堂車
博多  15:19
    15:34 赤い快速14号
長者原 15:43
    15:55
宇美  16:11 旧式DC
    16:22
西戸崎 17:20
    17:31
香椎  17:57
    17:58
博多  18:08
    18:21
博多南 18:31

931225博多南駅


    18:38
博多  18:48
    18:48 有明23号
(二日市)19:06
基山  19:19
    19:42
甘木  20:07

931225甘木駅


    20:11
基山  20:36
    20:45
鳥栖  20:51
    21:17 ハイパーかもめ40号
博多  21:38

■26(日)

博多   6:33
原田   7:02
     7:08 DD51牽引4両客車
若松   9:14
     9:30
折尾   9:48
     9:53
門司  10:21
    10:38 快速日田
天ヶ瀬 13:00
    13:27 ゆふ3号
別府  14:47 →竹瓦温泉
    16:23 にちりん40号
小倉  17:46
    18:03
門司港 18:17

931226門司港駅


    18:23
小倉  18:36 *菊池氏合流

■27(月)

小倉   6:40 にちりん1号
行橋   6:58
     7:04
直方   8:21

931227直方駅


     8:26
田川後藤寺 9:00
      9:07
新飯塚  9:27
     9:28 赤い快速1号
博多  10:09
    10:51 かもめ1号
諫早  12:36
    12:46
長崎  13:46 →グラバー園、唐人屋敷、オランダ坂他
    17:51 シーサイドライナー24号
早岐  19:31
    19:47 みどり26号
博多  21:22

■28(火)

博多   8:00 つばめ5号
二日市  8:11 →太宰府天満宮
    10:35 有明81号
熊本  11:59
    12:40 えびの3号
吉松  14:58
    15:19 えびの4号
人吉  16:08
    16:13
湯前  16:58

931228湯前駅


    17:19
人吉  18:04
    18:10 くまがわ8号
熊本  19:34

■29(水)

熊本  11:25 →熊本城
三角  12:12
    12:16
熊本  13:03
    13:05 有明20号
博多  14:33
    14:40 ハイパーにちりん35号
小倉  15:31
    15:48
下関  16:07
    16:10
宇部  16:53
    16:56
小郡  17:51
    17:58
徳山  18:38
    18:45 ひかり164号
広島  19:13

■30(木)

931230広島駅・津山駅青春18きっぷ


広島   8:44 みよし2号
備後落合11:12
    11:50
新見  13:10
    13:19
津山  14:56
    15:57 快速
姫路  17:50
    17:58
京都  19:29

■31(金)

京都  11:10 のぞみ8号
東京  13:24

「津軽」という夜行列車がある。上野を夜の一○時三七分に発ち、翌日の午前十一時二六分に青森に着くという急行列車だ。北海道へ行く旅行者から、東北からの季節労働者、さらには網走刑務所に服役する受刑者までが、この列車で夜を明かした。その「津軽」が今度のダイヤ改正で廃止されることになった。
それならばと、平泉、龍泉洞、遠野を見物する二泊三日の日程を組み立てて、
中先生に打診してみると、「面白そうですね。行きましょう」とすぐに話に乗ってくれたので、さっそく切符と宮古に旅館を手配した。かくして、「津軽」に乗るために東北に行くことになった。
ところが、出発の前日から気が塞いでならない。金曜日ということもあって全国の鉄道ファン(以下、テツ)が、いっせいにこの「津軽」で旅に出て大混雑するのではないかという不安が私を欝屈とさせるのだ。シートに横になるどころか乗れないのではないかと不安はますますつのる。乗れないことを念頭においてあれこれ善後策も講じてみた。早く駅に行って並べば済むことなのだけれど、それも億劫なので、気を揉みながら夕方まで本を読んでいた。
廃止五日前の十一月二六日の夜九時過ぎ、上野駅の一五番ホームに小走りに駈け降りた。
 しかし、予想に反し、乗車位置には十人ほどの列ができているにすぎなかった。所々にカメラを手にしたテツが散見されるだけで、その閑散ぶりは多少興醒めだ。座席に関する不安は杞憂に終わった。こうなると、「盛り上がりに欠けるねえ」などと言ったりしてふてぶてしくなる。
時間もたっぷりあることだし、駅構内を散策することにした。「津軽」同様、今度の改正で廃止が決まっている急行「八甲田」を見に行こうと思う。「八甲田」の発車する番線を調べてみると、我々の裏手に当たる一三番ホームだった。振り返ると、すでに列車は入線していた。定員の半分くらい席が埋まっているようだ。 プラットホームの付け根がつながっているので階段を登らなくても、向こうのホームに簡単に行ける。
 やはり、彼らは裏切らなかった。プラットホームのところかしこに三脚が林立し、どれにもごついカメラが備え付けられている。小型のビデオカメラをのぞき込んでいる奴もいる。ノートに何か書き込みながら、列車沿いを歩いている奴もいる。車両番号とかを記入しているのだ。
 最前部までゆっくりと歩いてみた。
 発車数分前になり、フラッシュがけたたましくたかれ始めた。先頭車に行くまでに二○枚近くの被写体になったことだろう。
九時四五分になった。発車ベルがなり止むと「八甲田」はゴトリと重い腰を上げた。手をふっている奴もいれば拍手をしている奴もいる。乗客もそれに応え手をふっている。
呆然とする私の前を列車はゆっくりと通り過ぎ、暗闇の中に赤いテールランプが吸い込まれていった。「三○日は熱くなりますよ。ウェイブが起こるかもしれません」と、中先生は言った。

車内に戻り、さっそく一献始めた。
「津軽」は四人向い合わせの、いわゆるボックスシートの列車である。我々はふたりだから、混んできたら見ず知らずの人と席を共有しなければならない。一時間くらいなら、何ともないが、明日の朝までとなれば話が違う。「眠れないのはこいつのせいだ」と憎悪さえ抱きかねない。私のためにも、その第三者のためにもこれ以上混まないことを祈る。
発車二○分前の時点で、ひとつのボックスにひとグループ程の乗車状況である。上野以外から乗る人は殆どいないので、もう少しで快適な列車の旅が始められる。 通路をはさんで向いの席には、一見してそれとわかる大学生らしい青年が一人で座っている。彼はノートを開き、何かもくもくと書き込んでいる。窓の外には、さっきまで「八甲田」にこびりついていたテツたちが、大移動してきて、こちらにカメラを向けているのが見える。
発車十分前になり、車内放送が始まった。
 放送が始まるブチというノイズが出た瞬間、隣の青年は座席から身を起こし、すっくと立ち上がった。彼は二、三歩車両の中央部に踏み込み、天井のスピーカーに小型のマイクを右手に高だかと掲げた。
「長らく皆様に愛されてきた急行津軽も今月をもちまして廃止されることになりました。この急行津軽は急行八甲田とともに・・・」
彼の脇にいるのは、まさに中先生であった。中先生は故意にではないが、その時、「大宮のピンサロは凄い」といった種類の話をしていた。懸命に音を拾っているその青年は中先生に露骨にいやな顔をして、さらに向こうのスピーカーに移動した。
放送は延々と続いた。大宮に着く間際まで三十分近くやっていた。車内放送はその導入と終わりにちょっとしたメロデイをながす。先ほどの青年は、そのメロデイ に頭をバンギングさせリズムをとっていた。
リズム氏はようやく仕事を終え、ひとり座席で車窓を見やりながら、ふたたび、ノートに何事か書き込み始めた。
そうこうするうちに、中先生は上体をだらしなく倒して眠りこけていた。
大宮を過ぎて車掌が検札にきた。中先生はびっくりして起きあがり、切符を提示した。いっぽうのリズム氏は気障に切符を手渡し、「ご苦労様です」と、つけ加えた。
明日は早朝6時に、新庄で降りる。目覚し時計をセットして、私も通路に足を投げ出した。


中先生も来ると言っていたが、連絡はない。ダシというカメラマンも直前になって行けないと言ってきた。仕方がないので、私はひとりで、上野駅に向かった。
十一月三○日火曜日の夜のことである。
 午後七時前に自宅を出たので、八時過ぎには上野駅に到着した。つい四日前に来たばかりなので、案内の表示を見なくても東北本線の乗り場はわかる。
この日は何度も触れているように、JR東日本のダイヤ改正の前日、つまり今日から明日にかけて列車の時刻が変更になる、そういう日なのだ。
今回のダイヤ改正は、様々な点で我々鉄道ファンを悲しませた。まず、青森や秋田に行く夜行列車を中心に五つも廃止になった。発車時間順に列挙すると、急行「八甲田」、寝台特急「出羽」、急行「津軽」、寝台特急「ゆうづる」、中央本線夜行列車松本行きの五本の列車が今日限りで廃止される。(厳密に言えば、臨時列車などで時々運転される)
 もうひとつは、秋田近辺の客車列車(四人掛けシートの車両を、機関車が引っ張る列車)が全て、山手線や中央線のような横長シート電車に置き換えられてしまうということだ。私は列車の中でよく飲み喰いするが、あの横長の座席では照れくさくてできない。もっとも地元の人にしてみれば真新しい最新型の電車の方いいのだろうけど。
ともかく今日は、鉄道ファンにとって、きわめて特別な日なのである。

「八甲田」の発車するホームに降りてみた。たいへんな人いきれで、とっさに居場所を見つけられない。人の流れに身を任せ、たまたま来あわせた売店で新聞を買ってしまった。私は手ぶらで来たので、お荷物な新聞は簡単に目を通すと捨ててしまった。その夕刊にも、廃止される列車の記事が載っていた。
二六日の夜も大勢いたが、今夜はそれとは比較にならないくらいの人出だ。カメラを携えた鉄道ファンは言うまでもなく、テレビ局の取材も余すことなく来ているようだ。所々で照明を使って乗客にインタビューしたりしている。腕に新聞社の腕章をしたカメラマンは、脚立に乗り入線する列車に備えている。
つね日頃から思っていることだが、テツにはデブが多い。眼鏡をかけている人の割合も世間レベルより高いように思う。独り言が多く、そこはかとなく危ない人が多い。私はそうならないように、ふだんからウェイトトレーニングを欠かさないし、口元も不用意に緩まないよう心がけている。

「いつかお会いしませんでしたかー、ひょひょひょ」
とてつもなく高い声で私に話しかけた人物がいる。私は振り向くまでもなく、S川氏だとわかった。彼は浦和の郵便局で働いている。昨年の冬、山形のあたりをうろうろしていた時に知り合ったのだ。上背は六尺、目方は三○貫もあろうかという大男だが、声が信じられないほど高く、口調は限りなく怪しい。さらに、頻繁に大笑いし、それが同行者にとって周りとの関係上、とても恥ずかしい。
「すごい人だかりですね」
 と私。
「そう!最後だもん。みんな来なくちゃ!前に行きましょうね!」
「いいですよ」
私は十歩も歩かないうちに、人ごみのなかに紛れ込んで行方を眩ました。

列車の入線時刻は九時三○分との放送があり、それに次いで「津軽おけさ」が駅構内に流れた。
「八甲田」入線の放送があり、あたりに緊張感がみなぎった。私も使い捨てカメラのストロボの準備をし、彼方の暗闇に目を凝らした。
歓声とともに、「八甲田」はゆっくりと上野駅一三番線にすべりこんできた。コンサートの始まりによく似たぞくぞく感で、首筋に鳥肌がたった。お恥ずかしい話だが、それだけテンションの高い瞬間だったのだ。
列車の先頭部には、機関士がステップに片足をかけ、旗を振りながら、こちらに徐行して来る。胸にvの線の入った作業服に、黄色いヘルメットを着用している。言うまでもなく、彼は列車がホームにぶつからないように運転士に合図を送っているのだ。
 壮絶なまでのフラッシュによって、彼はホームの薄ぐらい中に浮かび上がっている。浴びたフラッシュの数を時間で割った数字を何というか知らないし、おそらく、そんなものに名前もないだろうが、彼は今年度最高値を記録したに違いない。
キーッという金属音で列車は停止した。
そこかしこでばしゃばしゃとシャッターがきられている。みんないいカメラを持っているなあ。ビデオカメラで車内を撮っている奴もいる。あんなのもう一度見る機会なんてあるのかなあ。
 私も負けじと、持参の使い捨てカメラで写真を撮るのだが、これがほとんど列車を撮るふりをして、テツの愉快な様ばかり撮っていたので、いろいろと気疲れがした。
車内には思ったほど乗客はなく、ホームの熱狂ぶりをよそに閑散としている。おじさんやおばあさんが多く、お弁当を広げたり、缶入りのお茶やカップ酒をすすっている。この列車が廃止されることを本当に切実に感じているのはこの人たちなんだろうなと思うと、外の馬鹿騒ぎに嫌気がさす。
見物人は帰宅中のサラリーマンやイラン人を加えてふくれあがり、二千人近くになった。乗客の十倍以上の人がホームで見送る。さながら出征兵士の壮行会だ。
時間になった。発車ベルがなり止み、扉がゆっくりと閉まった。車掌が進行方向を左手で確認した。
拍手が起こり、万歳も起こった。「ありがとお、はっこうだあ!」の声も上がる。ホームの我々は手を振る。乗客もそれに応える。(ちなみに、ウェイブは起こらなかった。手がカメラでふさがっていたのだ。)
 「八甲田」は上野駅を名残り惜しむかのように、ふだんよりもゆっくりとホームを滑って行く。といえば、聞こえはいいが、実際はテツたちが写真を撮るためにホームから身を乗り出して列車の行く手を遮っているのだ。
闇に吸い込まれて行くはずのテールランプは今夜は見えない。感傷にひたっている私をよそに、テツたちはそそくさと三脚をたたみ、大移動を始めた。つぎは「出羽」だ。

少し疲れたので、ベンチにかけてビールを飲んだ。私は十一時ちょうど発の「ゆうづる」まで見送って帰る予定だ。すると都合のいいことに、新宿発○時二分の普通列車にちょうどよく乗れる。ちなみに、この列車も今日で廃止される。
しばらくすると「津軽」が入ってきた。テツたちはまた大騒ぎしているが、私はその都度敏感に反応するほど車両には興味がない。
さらに十分ほどすると、「津軽」の向い側のホームに「出羽」が入ってきた。「津軽」は臨時でたまに運転されるが、「出羽」はこれきりになってしまう公算が高いので、せめてヘッドマークでも写真に残そうと先頭車に向かった。
ホームでは「八甲田」の時と同じような光景が繰り広げられていたが、群衆はふたつに分散された恰好になり、その分移動は容易になった。
私は人をかき分け、ひょいと身を乗り出し、ぱちりと一枚ものにした。そして、そのまま、「出羽」の発車を見送ろうとその場にとどまった。すると後ろから「おめーら、写真撮ったら後ろに下がれよ!」「おれたちは一枚も撮ってねーんだ」「いい加減にしろ」といった怒号をお受けした。そういう物言いは失礼だろう。私はなんと言われようとその場から動くまいと決心した。

「出羽」「津軽」と行ってしまった。
残る「ゆうづる」も十一時きっかりに上野駅を発車した。
私は家路についた。テツたちも四散した・・かに見える。しかし、彼らは、ふたたび新宿に集結することは明かである。先にも触れたように、新宿発○時二分の松本行きも今日限りなのである。
新宿に着くと案の定、彼らは来ていた。上野から新宿へのコースは三通りあるので若干の時間差はあるものの、発車十分前には、上野駅さながらの状態になった。私はこの列車で帰るので、シートに腰を掛けた。窓外にテツを見やる。

四十分ばかりで、八王子に着いた。列車が行き過ぎて、階段を通り過ぎたのできびすを返した。私の掛けていた席の後ろに、見知った人物がいた。リズム氏だった。四日前と同じ服を着ていたのですぐわかった。彼はまた四日前と同じように、ノートに何かもくもくと書き込んでいた。
列車は明朝六時三四分に松本に着く。調べてみると、長野、日本海側、名古屋と何処に行くにも、接続はすばらしくいい。

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