「夫婦いいね」は藤野独特の風習だ。学生時代の友人や仕事仲間では、夫婦でおたがいに「いいね」しあうなんて、まずお目にかかることはない。
家内もフェイスブックを始めたばかりの頃は、私の記事にいいねしていた。悪い気はしなかったが、すこし息苦しく感じた。
その後、家内がフェイスブック離れしたからいいものの、あのままだったら、私のほうが離脱していたことだろう。
いずれ坊やもSNSを始めることになる。その時、私は「友達」になるべきだろうか。答えは明快だ。なるべきではない。
行動や考え、交友関係が親に筒抜けで、それらが「いいね」か否かの評価が下され、さらには折々コメントを入れられる。そんなの、私だったらまっぴら御免だからだ。
以前、藤野は「ラブラブ夫婦のまち」であると述べた(藤野論25)。「ラブラブ」とは夫婦円満というわけではなく、その実態は、妻主導・夫追従のカカア天下だと指摘した。
そんな藤野のご婦人にとって、SNSは最強の制御システムだ。そこに書かれない行動は「秘密」となり、そこで綴られた言葉は「言質」となる。
「なんで私が、いいねしなかったかわかる?」という藤野婦人のジロリに、藤野紳士はゾゾォーと顔面蒼白。こんな様子が目に浮かぶw
一度取り込まれたら最後、「交流権」と「自己表現権」は生涯、妻の監督下に置かれてしまうのだから、たまったものではない。
夫婦でも親子でも「距離=プライバシー」は大事だ。藤野ベタベタ家族は、強者たる母親にとっては楽園だろうが、従属する弱者(おもに少年)にとっては魂の牢獄に他ならないのだ。