伯父の葬儀に藤野の親戚も駆けつけた。そのなかの2人からそれぞれ、こう切り出されて驚いた。
「息子さん、シュタイナーだったよね?」
「ええ幼稚園までは。小学校から都内にしました(汗)」と答えると、安心したように顔をほころばせた。
私と違って、我が縁類は控えめで穏やかだ(私の気質は父方の九州系だ)。そんな藤野ネイティブが「自称芸術家」という言葉を使っていたのは印象的だった。
話を聞いてみると、自称芸術家は不気味。新藤野民とその「カルチャー」に言いしれぬ違和感があるというのである。
以前、アートギャラリー経営者と直島に行った。
私は現代アートというものに懐疑的なので、いくつか意地悪な質問を投げつけた。
彼女曰く、現代アートそのものの価値はよくわからない。今は投資先として盛り上がっているから、いいビジネスになる。
作品そのものというより、アーティストのイメージをつくりあげて、計画的に価値を生み出してビジネスにしているところもある。
「霊感商法みたいだね」と向けると、彼女は「そんな面もあるね」と笑っていた。
自称芸術家は霊感商法の詐欺師。市井の人びとは、こんなふうに認識しているのかもしれない。関わるとへんな宗教に入れられて、へんな物を買わされると。
そういえば、藤野にはその昔、とある宗教団体の拠点が築かれそうになった(住民運動で撃退した)。
当時の忌まわしい記憶が「自称芸術家」によって思い起こされるのかもしれない。
むろん、先祖代々藤野で生きてきたネイティブにとって、これがきわめて正常な感覚であることは言うまでもない。
むしろ芸術に酔い、アートにラリっている新藤野民のほうに危うさはある。芸術やアートというだけでひざまずき、両手を振り上げてひれ伏してしまうからだ。
もしここに、強烈なアートカリスマが降臨したら、藤野は一大カルト王国になってしまうんじゃないか。
マンガ「20世紀少年」を読んでいたら、そんなことを夢想してしまったw