「僕たち、ゲームとかスマホとかやらないけど、不幸じゃありません」
シュタイナー学校(藤野ではない)の説明会で登壇した在校生の弁だ。
申し訳ないが、額面通り受け取れなかった。本心とはほど遠い、強弁に聞こえてしまったのだ。
若い頃の強がりは大事だ。意地を張ることは、血気のあかしだ。強がって強くなる。そんなこともままある。
だがそれも度を過ぎると、憐れみを惹起してしまうから怖い。
女性諸氏にはわかりにくいであろうが、男にとって最もつらいのは同情されることだ。
「本当は羨ましいのでしょうね。かわいそうだから、優しくしてあげましょうね」こういう眼差しが、いちばんこたえる。
「おれ、めちゃくちゃゲームとかやりたいんですけど、うちの学校はだめなんですよね。卒業したら、ソッコーでスマホとか買います」くらい吹っ切れていればいうことはない。
だが、シュタイナー少年たちは賢いので周囲を慮る。冒頭の弁には、その忸怩たる思いがにじみ出ていた。
ゲームに通じて友情を育み、好きな女の子とLINEして心ときめく年頃だ。ふつうに青春を謳歌させてあげたいと思うのは、私だけではあるまい。
また不足体験は、いずれ過剰なかたちで帳尻を合わせられることになる。
「欲しがりません勝つまでは」と我慢を強いられた日本国民は敗戦後、物欲にまみれた。
幼少期に不足を感じたものを生涯追い求めるのが人間のさがであるともいう。
そのあたり、シュタイナー翁はどのように考えていたのだろうか。もう一度学び直す必要がありそうだ。