「今『ドラえもん』という言葉が聞こえてきましたが?(まさか、ドラえもんを読んでいるのじゃないでしょうね)」と先生。
漏れ伝え聞いた、シュタイナー学校でのひとコマである。
「ドラえもん」はシュタイナー教育では御法度だ。キャラクターものは衣類を含め、接することは禁じられている。
一方、うちの坊やはいま「ドラえもん」にのめり込んでいる。
「書籍代は青天井」という父以来の方針にのっとり、毎日のようにドラえもんを買い与えているので、全45巻のコンプリートも目前だ。
ドラえもんは私も読破した。少年に行動を促し意欲を高めてくれる最高のマンガといえる。坊やが「日記を書きたい」などと言い出したのもドラえもん効果だ。
マンガを否定するのは簡単だ。「絵でイメージが固定されやすい」とかなんとか御託を並べればよい。だが、教育というものはそういうものではあるまい。
エデュケーションはラテン語の「educatus(引き出す)」を語源とする。意欲や行動の起点を引き出し、育むことが教育の本質なのだ。
その点、意欲や行動の芽を摘んでしまうシュタイナー教育には首をかしげざるを得ない。
やりたいことはことごとく弾圧され「心身によいこと」ばかり強要される。これはもはやパワハラだ。
パワハラにさらされた子供は、パワハラを平気でやる人間になりやすい。なぜなら、それは彼にとって「普通のこと」だからだ。
「ブラック」の連鎖がいま藤野で始まろうとしている。これを地元民として傍観することはできない。