家内と娘は広島の実家に帰省。息子は妹家族や祖父母と旅行。私はひとりお留守番。男に不可欠な「孤独」を満喫している。
こんな時も、ほぼ全ての藤野家庭は一人欠けることなく、家族で行動していることだろう。
帰省したり旅行したり様々だろうが、男にとって、常に誰かといることは苦痛でしかない。「孤独」は男にとって、かけがいのないものなのである。
尾籠な話になるが、男は「溜まる」生き物である。五十近くになっても、まだまだ溜まる(私の祖父など、七十になってから二人の子をなしたw)。
ひとたび溜まったら、自分でいじるか嫁を御すくらいしか発散の方法はない。
むろん手近なのは「ひとり遊び」であるのだが、それには個室が必要だ。
昨今の個室否定ムードが蔓延しているせいか、藤野家屋を見ると「みんなのスペース」ばかりが重視され、個室は少ない。これには、男として胸が痛む。
中学生にもなれば、男は大いにさかんになるものだ。健康で野生的であればあるほど溜まる。しかし、出さなければ次第に溜まらなくなる。そんな話を以前、太平洋戦争から帰還した古老から聞いた。
つまり、発散しにくい環境に身を置いていると、胤が減ってくるのである。ここにも、藤野のサステナビリティの危機が見て取れる。
その点、私はまだいい。いよいよ妻と没交渉となれば、浮気するとか風俗に行くという手もあるからだ(もっとも、そんな甲斐性も衝動もなくなってしまったのだがww)。だが謹厳なる藤野紳士に、そんなオプションはない。
となると残るは、嫁との交渉ということになるのだが、司馬遼太郎が言うように「男の性衝動は、数千年来、弱き者に対してのみ能力を発揮する。強きをくじくようにはできていない」。
これまで述べてきたように、藤野婦人は最強だ。「強き」を前にして「能力を発揮」できるか、藤野紳士の真価が問われることになる。
ついでながら藤野婦人は白髪を放置し、ざっくりとした自然素材に覆われているせいか、体の線には無頓着のようでもある。これはあるいは、夫を欲情させないための「武装」なのかもしれない。
子をなすという使命をまっとうした男たちは用済みなのか。藤野紳士の目がうつろになるのも無理もない。