「なにこれ?(こんなもんが、なんであるの?)」と藤野婦人が冷たい視線を向けた先にあったのは日の丸だ。
我が家の応接室には日章旗がある。大統領執務室みたいな感じで、ソファの横に屹立している。
ずいぶん前、その方面の方からもらった。気に入っていて、忘れなければ、旗日には玄関先に掲げている。
だからといって、もちろん私は右翼ではない。右っぽいところもあれば、左っぽいところもある。選挙では、頼まれた人に投票してしまう意識低い系だ。
右だろうと左だろうと、私のような「観客」がヤジったところで世の中は変わることはない。歴史とはそういうものだ。
それに、この時代に、右やら左やら陣営を分けて考えるのもしっくりこない。
変わりゆく時勢を見据えながら、心静かに自分の打つべき手を考えることが、生活者としての爽やかな物腰なのではないかな。
冒頭の藤野婦人に見られるように、藤野では「反原発」「アベ政治を許さない」的なサヨク論調が支配的だ。
その点、私は「原発はイヤ」だが、「株上がったし、有効求人倍率もいいし、アベ政治なかなかいいじゃん」というノンポリだ(今後、変わるかもしれないけど)。
「一貫性がない」と、物分かりの悪い人から難詰されそうだが、そんなことはない。
むしろ「一貫性のある、それもお仕着せのイデオロギー」に縛られているほうが面倒くさい存在になっているんじゃないのかな。
イデオロギーに盲従していては「自由」は謳歌できない。仲間内で酔っ払って楽しいかもしれないが、そのぶん、言動に制約がかかるからだ。
成熟した紳士が政治と宗教を語らないのは、そんなタコツボに入りたくないからであろう。
語ったとたん、わらわらと面倒くさい「仲間」ができて、しがらみは増える一方。それに、一度関わると、足抜けは容易なことでない。
こんなこと、自由と多様性を標榜する藤野人なら先刻承知かと思いきや、意外とそうでもないようだ。あるいは、その「タコツボ」こそが藤野の実態なのかもしれないが。