家内がさんざん延滞した本を、藤野図書館に返却しに行った。そこには懐かしい顔。幼稚園のパパ友A氏だ。
A氏は私と年齢的には変わらない。だが、見た目は若づくりの私よりずいぶん上に見える。この日もお疲れのご様子。
A氏の顔を見て、以下のエントリーを思い出した。これも藤野の一相貌だ。
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ある親が、子供にお金を「見せない」よう四苦八苦しているという話を聞いた。信奉するシュタイナー教育に則った取り組みだということだ。
大学時代、シュタイナー教育をかじったわたしには、その解釈は飛躍が過ぎるように思える。シュタイナー教育というより、主導する母親独自の考え方なのだろう。
それはともかく、その子供は小学校高学年になるが、いまだに「お金」を手にするどころか、見たこともないという。ここに至る当事者たちの苦労は想像するにあまりある。
母親はもちろん、父親や縁類、そして周囲の人たちもお金を見せないように神経をとがらせ、テレビはもちろん見せない。買い物もひっそりと。そんなストレスフルな暮らしが目に浮かぶ。
しかし誰よりもストレスをためているのは子供当人だろう。
さすがにその時期まで、お金を見たことがないとは思えない。親の気持ちを汲んで、見ていないことにしてあげていたのではないか。
子供は親思いだ。親を喜ばせよう、親を悲しませまいと、そんな演技もいとわない。
だが、そんな気遣いを子供にさせるのはいかがなものか。「のびのび」というのは、こんな忖度をさせない気楽さのことではないか。
相手の意を汲むという技法は、社会に出れば、いやでも学ばざるを得ない。必要な時期に体得すべきだ。
私見ではあるが、幼少期から忖度を強いられている子女は一見成熟して見えるが、内実は疲弊していて元気を感じない。一様に目が虚ろなのである。
だが、最後にその「虚構」にもがき苦しむのは親自身なのかもしれない。みずからしつらえた蟻地獄に落ちて這い上がれなくなるのだ。やがて家全体が疲弊し、活力が失われてゆく。
過激なことはしないほうがいい。自戒したい。