我が母は「藤野婦人」であった。意識が高く、40年も前、世に先駆けて自然食の店をやっていた。おまけに当時としては高学歴、早稲田大学文学部卒だ。さらには、藤野(津久井郡澤井村)の出自でもある。
教育熱心で、この界隈にしては、かなり早く私立中学受験を企図し、私を小5から毎日都内の進学塾に通わせた。
ランチジャーという、ドカタおじさん常用のデカい保温弁当箱には、健康食が詰め込まれていた。めちゃくちゃ重いし、他の子がハンバーガーやら駅そばを食っているのが羨ましかったが、当時の私は親の想いを忖度して何も言わなかった。
小6に上がるころ、私の通う豊田教室の合格実績が芳しくないと知ると、ほかの母親たちと語らって、八王子教室に転校することになった。
豊田教室は楽しかったので、母親がギャンギャンと騒いだ挙句、勝手に決めて嫌だったが、おとなしくそれに従った。
かくのごとく当時の私は、今では信じられないくらい従順だったのである。
それから数年を経ずして、こんにちに至る決裂を迎えるとは皮肉なものだ。無理な圧力は、どこかで帳尻合わせを強いられるのだ。
こんにちの藤野婦人も、ひと世代前なら先駆的「お受験婦人」だったことだろう。「東大に入れば一生安泰よ」のフレーズが「ロハス東大に入れば一生安泰よ」になっただけで、その実体は今も昔も変わらない。
いまこうして「藤野婦人」に疑義を呈しているのは、過激な母へのアレルギー反応なのかもしれない。
熱狂的、操作的、独善的。過激教育婦人は、あたかも調教師(兼馬主)のごとく、我が競走馬の訓育にあたる。
自分がその時点で到達した価値観を最上のものとして、我が子に授けることに何のためらいもない。
発達段階無視で、育ち盛りの時期に「精進料理」を食わせ、マンガやゲームなど、少年らしい欲求を弾圧する。目的に向かって、ひたすら驀進させることが子供の幸せになると信じて疑わない。
ここで父親が「おいおい、ちょっとやりすぎではないかな」と水を差してくれればよいのだが、沸騰する藤野婦人を前にして、藤野紳士にそれができるかな。
それどころか、藤野夫婦のほとんどは一枚岩に見える。価値観を一様にしているからこそ、移住までできるのであろう。
そんな藤野夫婦が息子の「反乱」に遭遇した時どうするのか? 
その時、ともに鎮圧しようものなら、我が家の悲劇を再現することになる。さらなる反乱か逃亡か、あるいは無力感に打ちひしがれるか。
元気者の私はさんざん抵抗した。出口が見えないとわかると逃亡した。
幸いにして、私には祖母という逃げ場があった。近所に住む祖母の家で5年余り親と距離を置いた。
こういう時の多様性だ。「一様性のまち藤野」に必要なのは、我が祖母のような異なる価値観の持ち主の存在だ。
私のようなおやじがすぐ近くにいる。これが、藤野少年の心の支えになれば幸いである。