「藤野」を論じる上で、わたしほどの適任者はいないだろう。
まず第一に、当事者であることだ。母方の実家は藤野だ。親戚も多いし、隣町ゆえ少年時代からの友垣も多い。藤野は我がふるさとなのだ。
第二は縁だ。坊やの幼稚園(うち以外、全員移住組だ)時代に、藤野にかなり深く関係した。
ヒマで詮索好きなので、どんどん踏み込んでいくから、ディープ藤野を目にしてしまう。そこで目撃した「少年受難」を、わたしは教育者として看過できない。
第三は、弁が立つことだ。男は総じて口下手だし、考えをしゃあしゃあと述べないものだ。ましてや田舎の人はなおさらだ。
その点、恥知らずのわたしはラジオで自論を語り、講義で学生諸君を煽ってきた。それなりに筆も立つ。
ロジカルでクリティカルな豪傑・藤野婦人とタイマンを張れるのは、わたしくらいだろう。
妹のいとなむ歯科医院も大繁盛で、客足を気づかう必要もなければ、家内も藤野系ではない。その上、わたしの言論活動に超絶無関心だ(わたしの本の前書きすら読んでいないww)。
こんな条件が重なって、日夜「藤野」を論じられる環境が成立した。
書き始めてから10日あまり、寝ても覚めても、このテーマが頭から離れない。切り口が見つかると、夜中でも飛び起きてスマホで綴り始める。
何がここまでわたしを駆り立てるのだろうか。ひょっとしたら、これが噂の「自動書記」というやつなのかもしれない。父祖の魂魄がわたしをして語らしめているのか。
西部邁は「死者の民主主義」を唱えた。いま、生きている人だけで「多数決」するのではなく、かつてそこに生きた人たちの「死者の声」もカウントせよというのである。
わたしも是非とも、この地に生きて死んでいった膨大な数の「死者」の想いを受け止めたい。しかし残念ながら、今のところ、死者の声をキャッチできているという実感はない。
だが、いま藤野に生きる男たちの「声なき声」は汲み取れているのではないかと自負している。
過激な藤野婦人に振りまわされて、日々消耗する藤野紳士、そして藤野少年たちの想いだ。
渦中にいるため、我が身の置かれている状況も五里霧中。声をあげようにも、うまく言葉が出てこないもどかしさ。そして充満する同調圧力。わたしの記事に「いいね」しようものなら即座に孤立することは必至だ。
郷土そして同朋を守るため、今ここに宣言する。わたし自身を公器となし、彼らの「声なき声」をこれからも代弁してゆく。論戦上等、どこからでもかかってこい👺