「藤野婦人」と十把一絡げにしているが、むろん例外は少なくない。むしろ、ほとんどの藤野移住女性は、きわめてまともな社会人である(心底敬服する女史もいる)。わたしがあげつらっているのは、一部の過激婦人である。
だが過激人の存在率において、やはり藤野は突出していて、その跳梁が藤野のみならず、近隣のネイティブ生活者に悪しき影響を与えている。
そんな事例をいくつか見聞し体験したことが、この「藤野論」執筆の動機となった。
もっとも胸糞悪い話を聞いたのは、もう一年以上前になる。ここでは明かせないが、藤野名物「排除スクラム」が発動したのである。
当事者は例に漏れず、超高学歴婦人であり、ロジカルでクリティカル(これは褒め言葉ではないw)な方である。
さらに、そのおぞましきロジックのやいばが、郷土にて堅実な生活をいとなむ善男善女者に対してまで向けられたことを知るにおよび、さすがのわたしも「ダメだこりゃ」と吐き捨てざるを得なかった(この件も明かせないが)。
それまでは過激系藤野婦人をコミカルなものとしてとらえていたが、「これは、我がふるさとの危機である」との義憤に駆られたのは、この時である。
とはいえ、長らく逡巡していたのは、わたし自身もロジカルでクリティカルな阿呆者なので、かの藤野婦人同様、無辜の民に災いをなすのではないかと懸念がぬぐいきれなかったからである。
こんなとき、わたしの話に真摯に耳を傾けて、冷静に生活を整え直した藤野移住希望者が現れた。
その方から「事前に知ることができて本当によかった」とのお言葉をいただいたのである。このひと言に励まされ、わたしの知る藤野、わたしの見る藤野を白日のもとに晒そうと腹を括った。
わたしの論旨の軸足は、あくまでも「藤野は大人のパラダイス。されど、その言行不一致空間は、少年が過ごす場所としてはいかがなものか」にある。
だが、あわせて、藤野生活者あるいは移住を検討している人への情報提供という役割も果たせたら最高だ。
藤野礼賛ムード花ざかりのいま、本稿は藤野との向き合い方を冷静で洗練されたものにするものと確信している。