戦時中、藤野に画家・藤田嗣治が疎開していたことは藤野民なら誰でも知っている。それが「藤野=芸術の里」というイメージに大きく寄与しているのだが、調べてみると、実情はずいぶんと違ったものであることがわかった。
藤田嗣治という男は面白い。戦時中は陸軍美術協会理事長として戦争画を手がけた。これによって、戦後GHQから「戦争協力者」として追求されることとなり、千葉の醤油屋などに身を潜めたという。戦犯扱いに嫌気がさしたのか、それからまもなく、以前暮らしていたフランスに「亡命」している。
そんなおっちょこちょいな藤田は5回も結婚している。3回のわたしにとっては大先輩である。
無軌道な色恋沙汰を繰り返し、おだてられると、すぐのってしまう。創りたいものだけ渾身で創る。好き放題で自由気まま。ゆえに白眼視され、しばしば排撃される。藤田嗣治の姿は、なんだか自分を見るようで面映ゆい。
そんな藤田であるが、今もし藤野にいたら、どうだったかと夢想する。 藤田のような男は、藤野婦人のもっとも嫌うタイプだ(藤野婦人が「ステキ〜!」とする芸術家は「葉加瀬太郎」みたいな感じかw)。
ともかく、藤田のような過激で行儀の悪い男は藤野では、まずお目にかかれない。品行方正、お行儀がよいのが藤野紳士なのだ。
当時と今ではまったく違うが、藤田のような男がいつまでも藤野にいるはずがない。経歴から算出すれば、藤野疎開はせいぜい数ヶ月。藤田嗣治は、藤野から早々に立ち去ったようである(それどころか、ウィキペディアには藤野疎開の記録すらない!)。
かくして、芸術の里・藤野は、芸術家・藤田嗣治を定住させることはかなわなかった。 だが、そんな「藤田嗣治」をして、藤野の御当地有名人にしてしまったのだからすごい。それを手がけた人びとこそ、じつは藤野の英雄なのではないか。
PR=パブリックリレーションズに、じつは藤野の本領はあるのかもしれない。藤野はPRのまちでもあるのだ。