藤野少年に、豚肉抜きで豚汁を供したことがある。もちろん彼はイスラム教徒というわけでない。菜食主義者の母親がそう願い出たのである。
わたしは野菜はうまいのでよく食べる。だが菜食主義、ましてやヴィーガンともなると引いてしまう。それはもはやイデオロギーだからだ。
好きで食っているぶんには、野菜も心身のためになるだろうが、思想信条のために食っているというのは、どうなのかな。
むしろストレスの原因になって、心身の健康(というより元気)を損ねるのではないか。
ましてや、それにつきあわされるほうはたまったものではない。先の藤野少年は今の反動で、将来ジャンクフード好きにならないか心配だ。
かくなる暴走婦人の存在も藤野の特徴の一つとして挙げられよう。
坊やがシュタイナー幼稚園時代、父母会で就寝時間の話題が出た。わたしは自慢げに「8時までには寝ています」と言うと、園長先生が顔をしかめた。遅くとも7時までに寝かしつけるべきだということだ。
じっさい、我が家以外の家庭では、6時くらいから寝床に入るという。放課後まっすぐ帰宅すると、寝巻きに着替えて、寝る準備に取り掛かる。子供は寝るのを嫌がるので、それをなだめすかし、時には怒りで弾圧しながら寝床に送り込む。
ここまでして長時間寝たところで、どんな意味があるのだろうか。いい夢見られるのだろうか。
食生活にしても、生活リズムにしても大事なことだと思うが、あまり規律に縛られていると、かえって元気を損なうのではないか。かりに「健康」になっても「元気」でなければ意味がない。
その点、先の藤野婦人も菜食やヴィーガンで家族の「健康」を実現できても、主唱する当人だけハイテンションで、周りがみんなグッタリでは本末転倒もいいところだ。
偏食の妹がジャンクフードを食っているのを見かけると、健康食好きのわたしは「おいおい」となる。
だが、彼女は健康かつ元気だ。体型もいいし、表情も凛々しい。そんな妹にヴィーガンを強いたら、身体を壊してしまうどころか死んでしまうかもしれない。
何が心身に合うかは百人百様。それぞれ自分が元気はつらつになれる物を食えばいいのである。
家族の食をつかさどる母親たちよ、求道の道づれを家族に求めるな。ひとり精進せよ。