藤野婦人の多くはユニークな衣装を身にまとう。うまく説明できないので、わたしは原宿の竹の子族みたいな服と言っている。近所の工務店のおやじさんは「ゾロっとしたかっこう」と表現していて、これには笑ってしまった。
「せいけ、あれはガイア系っていうんだよ」
そう教えてくれたのは、中学高校の先輩だ。彼は農学部を出て山梨県庁に入り、ずっと山の仕事をしている。暮らしも、見惚れるようなロハスぶりで、とても刺激を受ける。
「藤野」の存在を教わったのも彼からだ。それまで藤野なんて、小学校の遠足で芋掘りに行く所という程度の認識だった。
その先輩と昨夜、甲府で飲んだ。
わたしは先輩を「本格ロハス家」として持ち上げようとするのだが、どうも「ロハス」扱いされるのは嫌そうなご様子。恥ずかしい、くすぐったい。ロハスとは今や、そんなイタい呼称になっていたのだ(この変遷は、往時の「フリーター」を彷彿とさせる)。
ライフ オブ ヘルシー アンド サステナビリティでLOHAS。健康で持続可能な生活者ということで、本来なら、なにも恥ずべきことはないのに、これはどうしたことか。
平成に入ってから、ロハスはブームになった。バブルに至る都市型経済一辺倒の時代への反動なのだろう。2000年ころから田舎暮らしや農業がもてはやされるようになった。
また、30代も半ばを迎えると、どういうわけか「田舎」への希求心も高まるものらしい。わたしもじっさい、新潟や京都に古民家を探しに行ったことがある。
今の暮らしぶりも、健康と持続可能を心がけているから、わたしもロハス生活者の一員なのであるが、わたしのような「なんちゃってロハス」と先輩のような本格派では格が違う。
当財団の理事は、山梨の古民家に親と暮らす。
少年時代から、いやいやながら農作業を手伝ううちに腕が磨かれ、今ではみごとな野菜をつくる。
相伝の味噌を醸し、漬け物を仕込む。地域の祭礼や行事には顔を出し、年相応の役目を果たす。
そんな彼に「ロハスだねえ」とふっても「は?」と目を丸くするだろう。それは、彼の日常だからだ。
だんだんわかってきたぞ。ロハスという言葉には、カルチャースクール、あるいは日曜大工といった手すさび的な響きがあるのだな。もっといえば、創造的というより消費的という軽佻浮薄なイメージが。
週末に空手を習っているおじさんが「私は空手家です」なんて、本物の前で言ったらボコられる。
先祖伝来の田畑を耕す人の前で「私は農のある暮らしを始めました」なんて言ったら、「それは、たいへんですねえ(=奇特なことですねえ)」と同情されるかもしれない。
新参者の大量流入を前に、「お前らのロハスはファッション。俺たちと一緒にしないでくれ」というのが本格派の本音なのじゃないかな。
でも、本格ロハス者は慎ましいので、ロハスの称号を週末耕作者やロハス消費者に譲ったのではないか。かくして「ロハス」の地位は凋落していった。これがわたしの推理である。
世の美食家は「おいしんぼ」と揶揄される。同様に、「ロハスくん」と言われて赤面してしまう日も遠くなさそうである。