多様性を言うのなら、ヒモや妾もひとつの生き方として認めてはどうだろうか。LGBT同様、それは一種の性的かつ社会的マイノリティーだからである。
女に面倒をみてもらうヒモは、社会的通念からすれば肩身の狭い存在だ。
だが、男は経済的に自立なければならないという考えも、もはや古めかしい。ヒモは男のあり方の一つとして認知されてもよいだろう。
妾にしても同様だ。夫と共に家を経営するのが正妻だとすれば、バイトのように気楽な妾のほうがいいという人もいるはずだ(それも、けっこう多いはず)。
わたしの父は妾の子である。川を挟んで本宅と妾宅があり、酔っ払っては、夜な夜なふんどし一丁で川をザブザブと行き来していたと聞く。
亡き祖母といえば、プロレスを観ながら、酒を飲みタバコを吸っている姿が思い出される。
だらしない印象の人であったが、彼女には分限者の二号さんが似合っていたように思う。
何事においても折り目正しい母方の祖母とは、拠って立つところが根本的に異なると、子供の目にも映った。
じっさい、わたし自身、最初の結婚をしているとき、「妾(愛人ではなく妾と言われたw)にしてほしい」と言われたことがある。
相手が多少エキセントリックな人であり、また、そんな甲斐性もないのでとぼけて逃げた。
そういえば、「そのへんの男の妻になるくらいなら、アラブの王様の第三婦人になりたい」という美女もいた。
昨今の生涯独身者の増加の背景には、こんな事情があるのかもしれない。
つまり、家庭を共同経営する正妻は荷が重い。気楽な妾だったら、なってもいいけど、浮気男はたくさんいても、丸ごと面倒みてくれるような旦那衆は見た当たらない…
批判を承知でいえば、動物としての人間は、一夫四妻くらいがちょうどいいのではないか。
結婚にあぶれた男は、お茶を引いている女房のところに裏口から現れる。
間男する馬喰や夜這いする若衆こそ、ナチュラルでサステイナブルな生態系を現出するのではないか。
ヒモ諸君、妾諸君、いまがチャンスだ。LGBTを突破口にして社会的地位を確立しよう。

追記 ただし、妾やヒモの元に生まれた子供がハッピーかどうかは微妙だ。我が父は、おのれの境遇をよしとはしていなかったからだ。