経営者でなくもない。教師でなくもない。投資家でなくもない。作家でなくもない。政治家でなくもない。職業を尋ねられると、毎回困惑する。
ただこの困惑は、私が22世紀型人間であることの証拠なのかもしれないw
いま第一線で活躍する人たち、たとえばホリエモンや落合陽一といった人たちは、一つの肩書きでは括りれない活動をしている。
たとえば、今をときめく落合陽一は科学者、芸術家、経営者、作家、大学教師という顔を持つ。だが、それはむしろ「落合陽一」というタレントが科学、芸術、経営、文筆、教育を手がけているといったほうが的確だろう。
こんなダヴィンチ人間が今後増えていくことは確実だ。
医者の誰それ、東大卒の誰それ、なんとか銀行の誰それ。そんな肩書きは旧時代のアイデンティティとなるのだ。
とはいえ、いまだ世の中は、肩書きで相手を理解しようとする人が大半だから、わたしのような小ダヴィンチは胡散臭い目で見られる。
落合陽一やホリエモンのように、今後、わたしのブランドが確立されるかどうかは微妙だ。生涯、すわりの悪い思いをしながら、名声を博する日を夢見たい。
さて、視点を家庭文化に向けると、今後「ブランド確立」は自立や個性に替わる教育の基軸となるだろう。
これにともない、稼ぐ力から投資(期待)される力へと、求められる力もシフトせざるを得ない。
投資されるような人物になるには、よりよい未来をつくるためのビジョンやそのためのよき人間関係を語る必要がある。おのれ一個の損得で生きる者は見向きもされないからだ。
利己の時代から利他の時代へーー人間社会は着実に進化してゆく。世の中はどんどんよくなっていくようにできているようである。