22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

先日のNHKスペシャルで、サーカスをいとなむ大家族のドキュメンタリーを放送していた。
主人公の小学生の少年は、興行にあわせて2ヶ月ごとに転校を繰り返し、トレーラーハウスに暮らし、日々鍛錬に明け暮れ、観客を前に危険な曲芸を披露する。
いわゆる「理想の教育環境」とはとうてい言えないが、子供たちの目は輝き、表情は溌剌としていた。それは、誇りと余裕すら感じさせた。
人生の主題に出会い、それに意欲的に取り組む。これが教育目標の最たるものではないか。
その点、この少年を取り巻く環境は成功しているように思える。
緊張感と責任感がともなう「主題」をみずから据え、これを家庭がサポートし、学校は見守る。
いかにも子供の教育環境など念頭になさそうな、それでいて元気溌剌としている両親が、結果的に子供の自立を現出し意欲を引き出している。
こと人生の主題を発見するという点においては「理想の教育環境」などさほど関係ないようだ。
むしろ、親による過度な整備と干渉が、子供の「人生の主題」との邂逅を妨げるほうが問題だ。自戒したい。

子供がうんこ好きなのはなぜなのか。ちょっと前に「うんこドリル」がバカ売れした。あれなど、いい例だ。
結論から言えば、「うんこ!」と言うと、緊張感がほぐれるからだ。
我々大人にしても、シリアスな状況になったとき、「うんこ! うんこ!」と叫んでみれは、リラックスできるはずだ。
子供たちは、我々が想像している以上に緊張している。純粋無垢で、日々伸びやかな心で生きているなどと思ったら大間違いだ。
学校に遅刻したらたいへんだ。ハンカチやティッシュを忘れたら怒られる。お巡りさんや駅員さんは怖い。こんな緊張感のなかで暮らしている。だから、時には「うんこ!」と叫びたくなる。
だから、うんこと叫んだときには、眉をしかめるのではなく、あたたかく見守ってやってほしい。できれば、唱和してやってほしい。
うちの子もさんざん「うんこ! うんこ!」と叫んでいたが、わたしがそれ以上に「うんこ‼︎ うんこ‼︎」と絶叫したので、最近はあまり言わなくなってきた。
それでも、すこし緊張しているようなときは、「うんこ!」と叫ばせて、リラックスさせている。

ろくに確認もせずに購入し、気に入らぬと即返品する。子供の習い事で代理コーチがついたからと即クレームを入れる。グルメサイトで理不尽な論評を書きまくる。
そんな「犯罪歴」は、生涯一人一人に紐付き共有される。ブロックチェーンの技術と思想は、そんな時代をもたらすであろう。
これまでは、アマゾンや食べログなどに見られるように、商品や店が矢面にさらされてきたが、これが個人に向いていくのである。
ここ十年で、ヤクザなど、いわゆる反社会的勢力が締め出され、クルマも買えない時代になった。これと同じ網が、クレーマーやモンスターといった厄介者に対しても掛けられることになるのは必至だ。
ひとたび厄介者フラグが立てられてしまうと、ネットショップは販売を拒み(あるいは、価格が吊り上げられ)、診察も拒否され、飲食店にも出禁になる。そんな時代もそう遠くはあるまい。
防犯カメラやドライブレコーダーの設置が犯罪抑止に効果を発揮しているように、サービスの提供者側にとっては、効果的な自衛策となろう。
一方で、個人に対する「評価」は、一人一人の人生において死活問題となってくる(むろん、高評価を得られている人には歓迎すべき時代になる)。
主張すべきことを主張するーーこれはだいじなことだが、度を過ぎるとクレームになり難癖になる。
旧時代の価値観に染まった家庭教育を施していると、その子供たちは苦しむことになる。なぜなら「低文化家庭」の出身者という烙印を押されることになるからだ。
そんな時代を迎えるにあたり、われわれ親たちが心がけるべきは平穏無事主義だ。
「波風を立てない」という一時は唾棄された生き方がいま復権しようとしている。いい時代になったものだ。

「こんな奇妙な読み方する人おるんやなァ」
 司馬遼太郎先生は、こう苦笑いされることだろう。
 私は司馬遼太郎作品を「自己啓発書」として読んできた。おのれの至らなさ不甲斐なさを少しでもよきものにするために必死で食らいついてきたのである。
 英雄は寡黙。議論などしない。
 英雄は温和で、言葉遣いが丁寧。
 英雄はなりふりかまわない。必要なら媚びへつらう。
 英雄は臆病。だから周到緻密に準備する。
 英雄はかっこつけない。阿呆を装う。
 司馬が描く英雄たちは、世間一般の英雄像とはだいぶ異なる。異なるというより、むしろ真逆だろう。
 武田信玄や上杉謙信に猫なで声を出す織田信長。
 家に居場所がなく、すぐ寝てしまう西郷隆盛。
 維新前夜、風雲急を告げるなか、お琴の先生を探させられる坂本竜馬。
 英雄といえども、目の前の現実にあがく一個の男にすぎない。ただし、彼らが凡夫と一線を画すのは「自己教育」――自分を躾け、戒め、教育することの威力を知っていて、それを実践したという一点に尽きる。
 英雄は生まれながらにして、「英雄」であったわけではない。自分を鍛錬することで、臆病者は勇者となり、小心者は大気者となったのだ。気魄の自己改革者――これが英雄の実像であるといえる。
 議論するな。断定するな。激語をつかうな。論評するな。詮索するな。差別するな。隙をみせよ。気楽にさせよ。不快感を与えるな。ゆっくり話せ。はしゃぐな。損得勘定するな。分際をわきまえよ――こうした戒めは、元来、議論好きで怒りっぽく、自己肥大して虚勢を張り、詮索好きで口が軽いという英雄的資質が欠落した私にとって受け入れがたいものであった。
 だが、直面する問題はこうした徳目の実践によって解決し、日々自戒することで、あきらかに人生の質が改善することを、私は身をもって体験した。この感動体験を悩めるオヤジたちと共有したい――私はそう奮い立った。
 そこで二年前、司馬遼太郎の全作品(『司馬遼太郎全仕事』に準拠した約三〇〇冊)を読み返し、独自に叡智を抽出し始めた。その数は三千三百項目にも及んだ。つぎにそれらを八つの切り口で整理し、「塾長」と「少壮」という二人の対話形式でまとめ上げたのが本書である。
 登場する「塾長」は現在の私である。いまだ多弁癖が抜けず、折々「誇りたがり」なところが顔を出す五十歳手前の中年男だ。
 一方の「少壮」は過去の私で、三十三歳のときを想定している。
 当時の私はラジオでインタビュアーをつとめていた。そこで本書では、塾長をゲストに迎えてインタビューするという設定にしてみた。
 当時の私は、気概も行動力も責任感もある男だった。会社を経営し、結婚して所帯を持ち、「いよいよこれから」という元気の盛りであったが不徳の致すところ、その後、離婚や事業失敗など、数々の失敗に見舞われることになった。
 私の失敗の原因は、今にして思えば明らかである。それは「ダンディズム」の欠落である。
 あの頃、司馬作品を「自己啓発書」として読めていたら、失敗のいくつかは防げたのではないか。無謀な〃戦争〃に突入する前の「少壮」に、本書の叡智を授けておきたかった。

 さて、本書の内容は、すべて司馬遼太郎作品に立脚している。したがって史実かどうかは問題にしていない。
 たとえば、正確には坂本「龍馬」であるが、司馬に倣って「竜馬」とし、じっさいは親子二代で国を盗ったとされる斎藤道三にしても、一代で国を盗ったものとして語っている。人物の紹介などについても、自己啓発書ということで最小限にとどめ流れを重視した。詳細は、ぜひ司馬遼太郎作品を紐解いてもらいたい。
 修行するオヤジが英雄になる――ともに学びともに鍛錬して、「おやじ受難の時代」を元気溌剌に生き抜いていこう。

「国語」という教科にずっと違和感があった。それは「実用」と「芸術」という二つの異質なジャンルが混在しているからである。
たとえば書道。これはあきらかに芸術分野であろう。
たしかに「国語」を成す日本語を書くわけだが、ワープロの文字と顔真卿の書を同列にするのはいくらなんでも変だ。
つぎに古典、そして小説。これらも日本語で構成されているとはいえ、論説文や小論文と同列に扱うわけにはいかない。
漢文についてはなおさらだ。「歴史」に区分されてもいいくらいだ。
では、そもそも「国語」とは何なのか? 
一般的に「国語力」とは、日本語による文語および口語のコミュニケーション能力を指す。
以前、「国語力に欠ける人はすぐキレる」というエントリーを書いたが、ここでいう国語力もそういう定義に基づいた。
論説文を読むことは、相手の言いたいことを論理的に汲み取り、小論文を書くことは、自分の言いたいことをわかりやすく表現するという訓練だ。それらが「国語」教科に組み込まれていることは理解できる。
しかし、古文、漢文、小説、さらには短歌、俳句、詩などが「論理的な言語操作」を旨とする「国語」に含まれるのはどうにも納得がゆかない。やはり、「芸術」にカテゴライズされるべきではないか。
このような国語をめぐる混同は、我々の生き方にも少なからぬ影響を与えているのではないだろうか。これについては、次回述べることにする。〈つづく〉

収録後のタクシーの車中。グロービスの堀義人さんが「まもなく4人めの男の子が産まれるんだよ」とおっしゃった。
3人の男児は(記憶が曖昧だが)、健人とか治人とか、「コンセプト+人」というパターンの名前だった。堀さんはそれぞれの命名に、政治家、経営者、アスリートになって欲しいという想いを込めたという。
次の子供の名前をいま考え中だというので「アートはどうですか?」とふってみた。
「アートか、芸術家。いいね。でも、どんな字をあてるの?」
「『噫』とかどうですか。噫人」
「うーん…」
こんにち芸術家がもてはやされるのは、その自由さゆえではなかろうか。
一方、銀行員をはじめとする、サラリーマンの人気がガタ落ちだが、その背景には「カネやステータスよりも自由気まま」という価値観の高まりがあるのではないか。
起業ブームについても同じことがいえる。起業家は自由気ままで楽しそう。嫌な上司もいないし、時間も自由。カネに不自由しないし、モテそう。
これらは多分に誤解なのだが、そんな上っ面のイメージだけで行動に移してしまうおっちょこちょいも少なくない。
最近の学生はしっかりしているが、それでも、30年前なら銀行員や広告代理店を目指したような面々がいま、芸術やら起業やらに流入しようとしている。
彼らがその道で成功するかどうかは微妙だ。なぜなら、芸術やら起業というものは、スキルとか経験というものではなく「体質」だからだ。
暑がり、酒飲み、肥満などと同様に、芸術家体質があり起業家体質がある。サラリーマン体質というと抵抗があるのなら、御家中体質というべきものもあり、それはそれで尊い。
それを変えようというのは、血液型を変えるくらい困難なことだ。その時間と労力は、自分の得意分野を伸長させる方につかうべきではないか。
さんざん事業失敗を繰り返してきたわたしであるが、じつは安定志向の権化である。安定するために起業を繰り返し、不安定にならないために勤め人になろうとしないだけのことだ。
これは、どちらがいい悪いという話ではない。体質なのである。受け入れた上で、戦略を立てる他ない。
さて、起業体質者の行動癖の一つに「逆張り」がある。
今こそ、サラリーマンになって、銀行に勤めるタイミングなのではないか――そんな妄想がふと頭をよぎることもある。だが、急激な体質改善は大病の元。もう、ジジイだ。ここは自重しておこう。

太宰治は津軽の名門・津島家の面汚しであった。
あの時代、文学にうつつを抜かし、挙げ句の果て、女と入水自殺をはかるなど、勘当されても当然の愚か者だった。
もっとも、その逆境との対峙が、太宰を芸術家たらしめているわけで、親が全面的にバックアップしていたら、彼はアーターに堕ちていたであろう。
こんにち「芸術」に興味を持った子供に困惑する親はほとんどいない。むしろ将来有望と小躍りするのではないか。
わたしはこの風潮を揶揄したり侮蔑するつもりはない。ただ、アーターへと道を踏み外さぬよう注意を喚起したいだけだ。
アーターはアートをファッションとして身にまとう。「学歴はもう古い。これからはアートぜよ」
流行に敏感なアート家庭の熱気は、ひと昔前のお受験家庭を想起させる。早々と「アート」に舵を切った彼らの嗅覚には感嘆するが、アート戦略は偏差値戦略とは事情がだいぶ違うということをわきまえておきたい。それは、教わって育まれる能力ではないからだ。
北京で現代アートのギャラリーを営んでいる旧友がこんなことを言っていた。
「中国の若手アーティストにはメッセージがある。日本の若手にはそれがない。小手先の技術の人が多いのよね」
芸術は技術ではない。技術には職人という道もあり、それは尊い。だがそれと芸術家を一緒くたにしてはならない。
両者を隔てるものは、内なる情動だ。訴えたいこと、伝えたいことなくして、芸術は成り立たない。魂なき真似事は、本来の芸術から一番遠い所に漂着させることになる。
芸術の時代は到来する。物質的に満たされた我々が、精神的な豊かさを充足させようとするのは自然の流れだ。
そのためには、たしかに芸術はうってつけだ。創作であれ、趣味であれ、研究であれ、没頭できる対象を追い求められる者は、大ヒマ時代の成功者とされるだろう。
そんな直感から、世の親たちは我が子を「芸術」方面に向けようとしているのだろう。その気持ちもわかる。
それなら、道は二つしかない。一つは、芸術教育に身を捧げ、それを教える教師になることだ。
受験勉強体験を生かして、教師になるようなものだ(だが、これは芸術家ではなく、芸術系教師ということになる)。
だが、これを望む親はごく少数だろう。やはり、“真性芸術家”になってもらいたいと願うはずだ。
では、どうすればいいのか。それは、親自身が自分の天命や使命、つまり「物語」に生きることだ。
おのれの物語に覚醒した者は、自然とメッセージがほとばしる。その姿を目の当たりにしたら、子供が自分の物語に出会う道筋を見出す可能性は高まる。
そのためにまずやるべきは、ジャンクなアート消費を慎むことだ。
週末に展覧会に行ったついでに買い物して食事を楽しむ。家族でアートイベントにお出かけ。温泉旅行ついでに、ゆかりの芸術家の記念館に立ち寄る。そんなアート消費者=アーターは、アーター産業のカモでしかない。
そんな消費活動にうつつを抜かすくらいなら、自分の仕事に渾身でのぞむことだ。どんな仕事でもいい。全身全霊で打ち込むことだ。
そうするうちに、その仕事は、芸術の芳香を漂わせるようになる。
おのれの天命、自分の物語に出会えるのは、そんな瞬間なのである。

わたしほどPTAに向いている男はいないのではないか。日ごとにその思いを強くしている。
まず、PTAはヒマ人でなければつとまらない。
つぎに、男であることも大きい。坊やの学校のPTAは、わたし以外全員女だ。
だから、男のわたしがいることは、必要以上にありがたがられる。ちなみに、「PTA会長は男性が望ましい」という暗黙の了解もあるらしい。
極めつけは、わたし自身がPTA活動に意欲的なことである。元来、なんでも体験してやろうという気持ちが強いものだから、PTAという”魔境”への潜入にも心ときめくものがある。
わたしはいま、PTA広報委員長をつとめている。ぐいぐいとチームを引っ張るものだから、及び腰のお母さんたちからは感謝され、主体的に取り組んでいるお母さんたちからは信望を得ている。
これだけありがたがられることなんて、これまであっただろうか。すっかりのぼせあがっている。
今後の社会動向を展望すれば、わたしのように、PTAに関わらざるを得ないお父さんが激増することだろう。
そんなヒマ人父さんに、わたしは「PTA=忌避すべきもの」という思い込みからいったん離れて、あえて踏み込むことをお勧めする。
中年以降、男たちを襲う無力感と諦念がくつがえされ、さらには、思いがけぬロマンスにめぐりあえるかもしれない。
ユングのいう「中年の危機」を救うのは、じつはPTA活動なのかもしれない。ヒマ人父さん諸君、PTA活動で青春を取り戻そう。

風呂の掃除30円、買い物50円、レシートの経理処理1件5円、いとこの子守は時給200円。帰ったらすぐに宿題すれば30円。わたしの背中の足踏みマッサージが1分10円w
これらの累計が、4月は7000円になった。坊やはこれを携えて、ゴールデンウィークに出向いた旅先の神社で、新しい御朱印帳を購入し、サービスエリアでソフトクリームをなめた。
小1になった、この4月から報酬制になった坊やは、仕事に勉強に意欲的だ。自分の努力やがんばりがその場でかたちになるのだから当然だ。
いかなる動機であれ、よき習慣と勤勉さが身につけばしめたものだ。それは一生の宝となる。わたし相手にどんどん商売をしてもらいたい(周囲に手を広げれば、さらによい)。
その点、小遣い制は退屈だ。一定額の「収入」で毎月やり繰りするのは、後ろ向きの努力に思えてならない。
決まった収入でやりくりするよりも、みずから稼ぎ出す技術を体得するほうがワクワクする。これは、社会人人生のほとんどを自営でやってきた父の実感だ。
ところが、「お金でつるのはいかがなものか。子供のうちから金銭を絡ませるのは、教育上よくない」という声も聞こえてくる。たいていは、サラリーマン家庭の母親からだ。
それも無理もない。一定の収入の中でやり繰りすることは、彼女らの仕事の中核だからだ。
だが、自営業家庭はちがう。節制や倹約はだいじだが、限られた収入でやり繰りするという発想はあまりない。過度な節約に励むより、実入りを増やす工夫や努力に励むだろう。
創意工夫で、豊かな生活が獲得でき、望ましい環境を築くことができる。この確信こそが、元気ハツラツの原動力となる。
親にとっては小遣い制のが面倒は少ないし、統治もしやすい。だが、その手抜きと従属関係の強制は、我が子の社会への期待と意欲を失わせることになるだろう。

私はたいへんな思い違いをしていたのかもしれない。
坊やはこの春、小学校に入学した。さんざん迷った挙句、地元の公立にした。隣の学区に、少人数の小中一貫校が数年前にできたので、そこにしたのだ。
坊やを入学させることは、私にとって息子を徴兵にとられるようなものだった。これによって、肉体的はともかく心理的な傷を負い、ともすれば、致命傷すら負いかねない。そんな危機感をつねに持ってきた。
だから入学式の日は、あたかも入営する息子を送り出すような緊張感を強いられた。ところが、こんな気負いは、入学式当日、瞬時に吹き飛んだ。
立派な校長先生、経験豊富な担任の先生は、私などよりよっぽど成熟した大人という印象を受けた。私はこういう人には、まったく頭が上がらない。事あらば一戦交えようと意気込んでいたが、あっさり旗を巻くこととなった。
当初坊やが進学しようとしていた学校には、なにかとコードが多く、「自由」を標榜するわりには息苦しさが感じられた。その付属校然とした幼稚園での体験で、私の学校観が硬化していたこともあったかもしれない。
その点、入学校の自由な雰囲気と成熟した運営には心打たれた。私が小学生だったころより、公立校は打たれて揉まれて、ブラッシュアップしたのではないか。
根っからの杞憂人。私は「学校」というものに対して過度・過剰な向き合い方をしてきたようである。私はいま、そんな反省を余儀なくされている。

リクルートの大先輩たる藤原和博さんと並んで歩いていたとき、「ガタイいいねえ。お前、(リクルート)シーガルズ?」と言われたことがある。これには閉口した。
体格がいいとよく言われるが、じつは、わたしはかなり華奢なのである。
たしかに背は高い。181センチある。体重は72キロくらい。これもBMI的にはちょうどいい。
だが、腕も足も細く、肩幅も狭い。筋肉がつきにくい体格にもかかわらず、腹まわりには贅肉がつく。
そんなみじめな肉体であるが、顔つきが精悍で、押し出しが強いせいか、よくこんな勘違いをされる。
エレベーターに乗り合わせたおばあさんからは、きまって「うわぁ、身長はどのくらい?」と感嘆され、出入り業者からは「(体格いいですね)スポーツは何をやっていたんですか?」と話をふられる。
そのたびに、わたしは動揺する。それは、わたしの弱点に他ならないからだ。
スポーツといえば、わたしは体育会系どころか、部活すらろくにやったことがない。
あの集団教練だけはどうにもなじめない。教わる立場だと、わたしはラジオ体操すらろくにできない。なぜなのかわからないが、とにかく教わるのが苦手なのだ。
だが、身体を動かすことは好きだ。毎日のようにランニングしているし、機会があれば、野球やサッカーなどもやってみたい。
こういうタイプは、学校の「体育」のどこに居場所を見出せばいいのだろうか。
昨今、部活の見直しが喧伝されているが、その前にやるべきは体育の授業の見直しだろう。
軍事教練感に満ちあふれた、あの雰囲気。できない子が公開処刑され、(子供たちの前途をあやまらせる)スポーツ礼賛思想が叩き込まれる。あれで運動嫌いになった人は少なくないはずだ。
身体を動かすよろこびを知り、みずから運動を楽しめるようになるーーこれが「体育」の本質ではないのか。
藤原和博さんはその後、民間人初の公立中学校校長に就任した。
ユニークな授業導入で名を馳せた藤原校長、体育にはどんなメスを入れたのかな。

わたしが主宰するサロンは盛況だ。「サロン」とはメッセンジャーを用いたチャットグループで、メンバーは十数人。
「一般財団法人盛池育英会 臨時役員会」と称しているように、サロンのメンバーの多くは同団体の役員である。
わたしと博覧強記の高橋御山人評議員のセッションを軸に、気のおけない仲間たちが日夜会話を楽しんでいる。
1日あたりのチャット総数は300はくだらないだろう。
教育、先端技術、投資(ときにはオナニー)まで、あらゆるテーマでの情報提供や問題提起。日常のひとコマや旅行中の画像まで多岐にわたる。
専門家も多いので、転職相談に活用されたり、急病のSOSで威力を発揮したこともある。
ここでの交流が充実しているので、フェイスブックはさっぱり見なくなってしまった。
いくら知り合いで構成されているとはいえ、フェイスブックはいわば「外海」。ツイッターほどの「大海原」ではないにしても、余計なひと言で“難破”しかねない。
その点、サロンは安心だ。気心の知れた仲間同士なので、波風立つことはまずない。「外海」では危険な発言であっても、ここでは対話の起爆剤でしかない。
こうした安心感と信頼感は「外海」、ましてや「大海原」では、とうてい得られるものではない。そう、サロンは「湊」なのだ。
最近、坊やがサロンに出没するようになった。自分のiPadで、わたしのアカウントでいきなり画像をアップしたり就寝前の挨拶をしたりし始めた。
気のいい仲間たちは、これに当意即妙のリアクションするものだから、坊やにとっても楽しいものになってきた。
内容はわからなくても、大人の会話(文章語)に聞き耳を立てているうちに、門前の小僧習わぬ経を読む。坊やの言葉に磨きがかかってきたようでもある。
ふだんとは違う父を見ることができたことも大きい。
身辺には話が合う相手もおらず、家では憮然としているわたしが、嬉々としてしゃべり散らしている。この様は、坊やにある確信をもたらしたようだ。
「そうか、合う人とつきあっていればいいのか」彼の気づきを代弁すればこんな感じだろうか。
坊やは今春小学校に入学する。
学校社会には、「友達100人できるかな」という同調圧力が依然として蔓延しているが、無理して友達など作らないほうがいい。友達は「作る」のではなく「惹き合う」ものだからだ。
よき友を持つことは大事だ。だが、「100人」というよけいな煽りは、子供を惑わせ迷わせるだけだ。
たくさんの友達がいることが至上価値。その昔、わたしはそう勘違いして、SNSでむやみに友達を増やすような愚行を繰り返した。
無理して接触を試みれば、それは侮りや拒絶にもつながりかねない。いじめの温床には、友達100人主義があるのではないか。
みずから近づくのは、惚れた女だけでいい。友達とは、本来は、おのれの磁力に共鳴する者のはずだ。
愛想笑いを浮かべながら擦り寄る必要はない。おのれの磁力(=関心領域や専門性)を強め、おのれの磁場(=たとえば、わたしのサロン)を築いていくだけでいい。
我々はSNSにいかに向き合うかが問われている。使いようによっては、「外海」に彷徨う藻屑ともなるし、殷賑極める「湊」のあるじにもなるからだ。

戦前までは、いわゆる義務教育ではなく、子供を家庭で教育するホームスクールは合法とされていた。
司馬遼太郎の祖父は、日露戦争に勝利するまでチョンマゲを結っていたという傑物である。
彼は、娘はともかく、息子は学校に行かせることはまかりならぬと、みずから教育をほどこした。おのれの力量が満たない語学などについては、別に師匠を見つけてきたという。
息子を学校にやりたくないという気持ちはよくわかる。わたしも坊やの教育はみずから手掛けたい。
先日、ホームスクールを実践している家庭を訪ねた。
小学校1年生にあたる少年を父親が指導している。わたしがインタビューしていた2時間あまり、彼は機械仕掛けの模型を作っていた。
周囲には、さまざまな工作道具や材料がたくさんあり、ちょっとした研究所の風情だ。エジソンもホームスクーラーだったが、こんな子供だったのかもしれない。
少年はドローンに興味を持っていた。もともとヘリコプターが好きで、そこから派生したようだ。いずれドローンからロボットに展開して、それこそエジソンのような発明家になるかもしれない。
わたしが感心したのは、息子の興味や行動に寄り添う父親の姿だ。彼は元来、機械や科学的な知識や関心は必ずしも高くないという。しかし、息子の興味や意欲にあわせて、知識や技術を深めようと努力されている。
うちの坊やは、市町村合併の研究や全国一宮の御朱印集めが趣味で、これなら、わたしもよろこんで指導しつきあえるが、もし、ドローンに興味を持ってしまったら、たぶんつきあいきれない。
じっさい、最近将棋に入れ込んでいて、朝な夕なに勝負を挑まれるのに、いささか辟易としているくらいなのだから。
ホームスクールは日本では合法違法の狭間、いわばグレーゾーンである。学校行政的には不登校として扱われるようだ。
だが、欧米にかぎらず中国やロシアでも合法化されているように、日本でも早晩“解禁”となるだろう。
我が子に理想の教育を施したい。そんな親はホームスクールを選択するかもしれないが、そこで問われるのは、指導者たる親の柔軟性と忍耐力だ。
子供の関心や興味、ときには衝動につきあいながら、彼らの学びを手助けできるか。これは、いま、わたし自身が突きつけられた問いでもある。

坊やは率直に言って運動神経がよくない。これはわたし譲りだ。責任を感じているので、運動については全力で向き合ってきた。
最難関の水泳は克服した。いま取り組んでいるのは跳び箱と鉄棒だ。
最初は自転車をやっていたのだが、河川敷は大雪後の凍結で、当分練習できなくなってしまった。
それではということで、家の中に跳び箱と鉄棒、そして跳躍リズムを体得するためにトランポリンを設えた。跳び箱が6万円もしたので、しめて10万円の支出だ。
幼稚園から帰ってくると、これらを繰り返しやらせている。
わたしの指導法はシンプルだ。
「いいからやれ」
「100回やれ」
ひたすら反復練習させるだけだ。
わたしは運動オンチだからよくわかる。世の中のコーチは言葉で説明するから伝わらないのだ。
「脇を締めて」とか「両足で跳ね上げて」なんて言ったところで無意味だ。
そんな説明は、コーチ自身が理解するためには便利であろうが、年端もいかない子供、それも運動が苦手な子供に通じるはずがない。
運動音痴少年は、できない上に、わけのわからない言葉を浴びながらさらにパニクる。
挙げ句の果て、「なんで、できないんだ‥」なんてため息をつかれようものなら、運動嫌いに拍車がかかるだけだ。
これは勉強をはじめあらゆる技能習得においても同様だ。いくら説明を受けたところで、実践なくしてできるようになることはない。
クルマの運転法を10万時間説明されたところで運転できるようにはなるとは思えない。
世の指導者は、「言葉」で説明しすぎなのである。そんなことより、ひたすら反復練習させる技術に習熟すべきである。
おだてるもよし。おどすもよし。モノやカネで釣るもよし。「できれば、女の子にモテるよ」とそそのかすもよし。
何度も何度もトライしたい、あるいはトライしてしまう。そういう気持ちを維持向上させるコーチこそがよき指導者なのである。👺

働き方改革が叫ばれる背景にあるのは、クレーマーやモンスターたちの跳梁跋扈である。めんどくさい連中が、 地道に働いている人たちにいきなり襲いかかる御時世だ。
駅員に詰め寄る爺さん、医者に絡むオバハン、教師を脅すおっさん、役所の窓口で騒ぐ女。
そんな厄介者が一人出現するだけで、組織は機能停止に追い込まれ、当事者は深く傷つき、病むことになる。
医師には応召義務というものがあり、医療サービスの供与は原則拒めないとされている。だが、それもそろそろ限界に差し掛かっていると、先日の読売新聞にあった。
こうした流れを受けてか、クロネコヤマトは宅配サービスの見直しを、ファミレスやファーストフードは時短を、スーパーは正月に休業するようになった。
のちの歴史教科書は、こんにちの動きを「健康がカネの価値を凌駕した転換点だった」と記すかもしれない。
カネごときのために、心身を犠牲にはできない。これはもはや同時代人の共通認識と言っていいのではないか。
だが、そう頭では理解できていても、いざ行動に移すとなると、依然としてカネ時代の様式に囚われてしまう。そんな人も少なくなかろう。
カネ時代の呪縛と陥穽からいかに逃れるか。これは、防災訓練のごとく、日頃から反復訓練していなければ、いざというとき逃げ遅れて煙りに巻かれてしまう。
危険から積極的に逃げること。これは、人間性や職業意識とは別の話だ。危機管理という責務と言っていいかもしれない。
いま、子供を持つ親たちには、この現実を咀嚼し、行動レベルで鍛錬し直すことが求められている。
家族ーーというより食わせるためのカネのために、心身の危険をかえりみず踏みとどまったお父さんが英雄だったのは、もはや過去の話。
クレーマーやモンスターなどという化け物を回避し、出くわしたら一目散に逃れるしかない。そんな時代になった。
こんにちの父親の背中は、行く先を予見し、危機を巧みに回避してゆくことの大切さを語らなければならない。
そんな逃亡父さんが、家族の平和と繁栄をもたらすのである。

泳げるようになった坊やであるが、通っているスイミングスクールでは「無級」という段階で、毎回水に顔をつける程度の取り組みばかりである。
坊やも飽きてきたので、飛び級できないかと相談したところ、ふた月に1度の検定を通らなければ、より高度な課程には進めないという。受付嬢は申し訳なさそうに、「なにぶんスクールなものですから」と詫びた。
そうか、ここはスクール、すなわち「学校」なのだ。
より高い段階まで習熟していたとしても、所定のプロセスを経なければ先に進めない。
いくら退屈していようと、いくら不毛であろうと、決まりは決まり。それが学校というものなのだ。
だが、学級崩壊やいじめ、あるいは発達障害対策といった学校をめぐる諸般の問題の淵源はこのあたりにあるのではないか。
これだけ多様かつ高度、それでいて安価な教育機会が得られる時代だ。
それにもかかわらず、画一的で護送船団的な手法を堅持しようという学校というシステム。これは変わらざるを得ない。
とはいえ、くだんのスイミングスクールには通いつづけている。そこでの交友関係を、坊やが喜んでいるからだ。効果だけで測れないところも、教育の難しいところなのである。

坊やは運動が苦手だ。だが、当人は人並みにはできたいと思っている。そのあたりは、わたし譲りなので、心情はよくわかる。
この秋、水泳教室に入れてみた。嫌ならすぐにやめていいという条件で、渋々通いはじめた。
顔に水が二、三滴垂れただけで大騒ぎする坊やにとって、水泳はとてつもない荒行だ。
それに、スクールに週に一度通った程度で泳げるようにはならない。むしろ、坊やのような自意識の強い男は、周囲のできる子をみて、劣等感にさいなまれることになりかねない。
そこで、スクールとはべつに近くの温泉施設にあるプールに毎日のように出向いて、特訓を行った。
しだいに寒さがつのるなか、泳がずにぬるま湯に浸かっているのも老骨にこたえる。だが、その甲斐あって、すっかり水を恐れなくなり、今では10メートル近く泳げるようになった。
わたし「できないことが、できるようになることを何という?」
坊や(6歳)「進化」
わたし「進化するとどうなる?」
坊や「自信がつく」
わたし「自信がつくとどうなる?」
坊や「元気になる」
行き来で、こんなやりとりをしながら、進化の威力を刷り込んでいる。
子供時代に勉強も運動もできる、いわゆる「神童」が失速するのは、こうした進化体験が少ないことが原因だ。
最初から何事もできてしまうような子供は、周囲の大人がより高い目標を設定し続けてあげなければならない。でなければ、気づけば、しょぼくれた凡夫になってしまうからだ。
できないことを、反復して、できるようにしていく。この積み重ねが自信にほかならない。
自信をつけた坊やは、今度はアスレチックに挑戦している。こちらもおぼつかない動きであるが、ひとたび進化のプロセスを体験した坊やは元気ハツラツだ。

「週5日、朝6時半に家を出て、夜は10時帰宅。時々土日出勤で年収3000万円」こんな仕事やる?ーー友人とこんな話になった。
私の答えは明快だ。「やらない」
「ユダヤ人大富豪の教え」シリーズで知られる本田健さんにラジオでインタビューしたことがある。
ちょうど、お子さんが生まれたばかりの時期で、これから長野県に引っ込み、最低5年間は育児に専念するとおっしゃっていた。
当時の私は、それがとても奇異に聞こえたが、今はそうではない。
幼少期の子供との時間は、生涯においてただ一度、それもほんの一時期である。そんな貴重な時間を、(いつでもできる)仕事ごときに費消するわけにはいかない。
もっとも本田さんはベストセラーを連発しており、経済的基盤が安泰だから、それが可能であったともいえる。
私にしても、本田健さんの足元にも及ばないが、あまり時間をかけずに得られる収入がいくらかある(家賃、著作権使用料、印税、配当など。ちなみにこれらは自力で構築した)。
「それが、子供への全力投球を可能にしている。そんな恵まれた経済状況だからできるんだよ」という声が上がるかもしれない。
だが、当面の生活に不自由しない稼ぎがあるにもかかわらず、さらなる所得増に精を出している面々も見受けられるのが現実だ。
そこで冒頭の問いを再度投げかけたい。
あなたの日々の経済的活動は、「ユダヤ人大富豪」的損得勘定に見合っているのであろうか。一度胸に手を当てて考えてみてもいいかもしれない。

エリートたちが「安定」を求めた金融機関や役所には、いまやメンタル失調者があふれている。電通事件に見られるように、それはもはや組織の存亡が問われる事態ともいえる。
一方、起業家や芸術家(アーターではない)など、安定に頓着しなかった面々は目下、元気ハツラツだ。
このパラドックスを解くカギは、いったいどこにあるのか。それは「学校」と「母親」であると考える。
学校の教えと母親の願い。その交わるところは「安定」である。
それは当然だろう。おおかたの教師は安定を求めて教師になったのだろうし、多くの母親も安定を打算で伴侶を選んでいるからである。
ともに、おのれの理想とする状況を知恵と努力で勝ちとったという点では、評価に値する。
だが、そこで機能した叡智は、その時代ならではのものであり、潮流が変われば、ものの役に立たないことを忘れてはならない。
安定第二世代の失調は、時代の変化に対応仕切れなかった、先代の意識の投影であるといえよう。(つづく)

実直で果敢で折り目正しい。そんな好漢にかぎって、鬱病などのメンタルを病むのはなぜか。
うちに出入りしていた金融機関担当者は三十代半ば。学生時代、野球部でならした彼はリトルリーグのコーチでもあり、二人の息子の指導もしていた。
そんな彼が自殺した。死因は職場でのパワハラであるともいわれたが、どうやら鬱を病んでいたようである。
子供たちは大泣きしたことだろう。それを思うと、胸が締めつけられる。死んでいった父にしても無念だったことであろう。こんな不幸はなくならないものか。
もうひとり、出入りしている金融機関担当者も、部下5人のうち2人がメンタルの失調で病欠気味。彼らのフォローがたいへんだとこぼしていた。
彼も私もバブル(最終)世代だ。銀行に入るというだけで、人生の勝利者とされた時代に社会に出た。一浪二留した私にとって、彼らはとても眩しく思われ、ずいぶん妬んだものだ。
それはともかく、あれから四半世紀、世の中はずいぶん変わった。その変化の最たるものは、「安定」ではないだろうか。
彼ら銀行員はあの時代、もっとも安定したポジションを手に入れた(と思われた)。
一方の私は学生時代に起業して失敗。もっとも不安定な身の上に陥っていた。
時は90年代半ばのバブルは崩壊直後。すでに歴史的転換点を迎えていたが、それは一時的な「不景気」と思われていた時代のことである。(つづく)

↑このページのトップヘ