22世紀に生きる君たちへ

「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・偏発達児・臆病児が、英雄児だ。 英雄児育成の盛池塾。塾長・盛池雄峰のブログです。

「週5日、朝6時半に家を出て、夜は10時帰宅。時々土日出勤で年収3000万円」こんな仕事やる?ーー友人とこんな話になった。
私の答えは明快だ。「やらない」
「ユダヤ人大富豪の教え」シリーズで知られる本田健さんにラジオでインタビューしたことがある。
ちょうど、お子さんが生まれたばかりの時期で、これから長野県に引っ込み、最低5年間は育児に専念するとおっしゃっていた。
当時の私は、それがとても奇異に聞こえたが、今はそうではない。
幼少期の子供との時間は、生涯においてただ一度、それもほんの一時期である。そんな貴重な時間を、(いつでもできる)仕事ごときに費消するわけにはいかない。
もっとも本田さんはベストセラーを連発しており、経済的基盤が安泰だから、それが可能であったともいえる。
私にしても、本田健さんの足元にも及ばないが、あまり時間をかけずに得られる収入がいくらかある(家賃、著作権使用料、印税、配当など。ちなみにこれらは自力で構築した)。
「それが、子供への全力投球を可能にしている。そんな恵まれた経済状況だからできるんだよ」という声が上がるかもしれない。
だが、当面の生活に不自由しない稼ぎがあるにもかかわらず、さらなる所得増に精を出している面々も見受けられるのが現実だ。
そこで冒頭の問いを再度投げかけたい。
あなたの日々の経済的活動は、「ユダヤ人大富豪」的損得勘定に見合っているのであろうか。一度胸に手を当てて考えてみてもいいかもしれない。

エリートたちが「安定」を求めた金融機関や役所には、いまやメンタル失調者があふれている。電通事件に見られるように、それはもはや組織の存亡が問われる事態ともいえる。
一方、起業家や芸術家(アーターではない)など、安定に頓着しなかった面々は目下、元気ハツラツだ。
このパラドックスを解くカギは、いったいどこにあるのか。それは「学校」と「母親」であると考える。
学校の教えと母親の願い。その交わるところは「安定」である。
それは当然だろう。おおかたの教師は安定を求めて教師になったのだろうし、多くの母親も安定を打算で伴侶を選んでいるからである。
ともに、おのれの理想とする状況を知恵と努力で勝ちとったという点では、評価に値する。
だが、そこで機能した叡智は、その時代ならではのものであり、潮流が変われば、ものの役に立たないことを忘れてはならない。
安定第二世代の失調は、時代の変化に対応仕切れなかった、先代の意識の投影であるといえよう。(つづく)

実直で果敢で折り目正しい。そんな好漢にかぎって、鬱病などのメンタルを病むのはなぜか。
うちに出入りしていた金融機関担当者は三十代半ば。学生時代、野球部でならした彼はリトルリーグのコーチでもあり、二人の息子の指導もしていた。
そんな彼が自殺した。死因は職場でのパワハラであるともいわれたが、どうやら鬱を病んでいたようである。
子供たちは大泣きしたことだろう。それを思うと、胸が締めつけられる。死んでいった父にしても無念だったことであろう。こんな不幸はなくならないものか。
もうひとり、出入りしている金融機関担当者も、部下5人のうち2人がメンタルの失調で病欠気味。彼らのフォローがたいへんだとこぼしていた。
彼も私もバブル(最終)世代だ。銀行に入るというだけで、人生の勝利者とされた時代に社会に出た。一浪二留した私にとって、彼らはとても眩しく思われ、ずいぶん妬んだものだ。
それはともかく、あれから四半世紀、世の中はずいぶん変わった。その変化の最たるものは、「安定」ではないだろうか。
彼ら銀行員はあの時代、もっとも安定したポジションを手に入れた(と思われた)。
一方の私は学生時代に起業して失敗。もっとも不安定な身の上に陥っていた。
時は90年代半ばのバブルは崩壊直後。すでに歴史的転換点を迎えていたが、それは一時的な「不景気」と思われていた時代のことである。(つづく)

幼稚園でも水泳教室でも落ちこぼれの坊やであるが、卑屈になることなく、泰然としているところがうれしい。
とはいえ、最初からそうだったわけではない。幼稚園の子供たちの挙動にとまどい、振りまわされていた時期もあった。
たとえば、活発な男児が台から飛び降りたり、相撲をしかけてくるので、坊やはすっかり圧倒されてしまった。坊やは無類の怖がりで、おとなしい男なのだ(私もまったく同じタイプだった)。
自信を失いかけているのを見て、私はこう語りかけた。
「いいか、お前は、ああいうことをするなよ。御山人おじさんは屋根から飛び降りたりしないだろ。マスターおじさんは相撲しようとか言ってこないだろ。あの子もいずれおとなしくなる。お前はいち早くおっさんになったということだ。おれはうれしい」
こんな調子で、坊やの態度や心境を一つ一つ正当化し、自分を中心とした磁場を築くように促した。
多少こじつけのきらいもあるが、その結果、坊やの精神が安定し、自信を持ってことに当たれるようになったのは事実である。
すべての子供にこうすべきであるとは思わない。ただ、坊やのような繊細な子供には、かなり強めに肯定する必要があると考える。
子育てノウハウは世に数多あるが、そのなかから見つくろうのではなく、自分で編み出すくらいの気概を持ちたい。
マニュアル本やノウハウ本に盲従したり、学校や塾にアウトソーシングするのでは、子供の味わいが引き立つことはない。問われているのは、われわれ親なのである。

キレる人は、国語力が低いといわれる。胸の内を言語で上手に表現できないと、動物のごとく、吠えたりうなったりすることで、感情を処理せざるを得ないということだ。
怒りをおさめるためには、紙に怒りや恐れの原因を書き出すといいともいわれる。感情は言語によって司られているのである。
司馬遼太郎は、子供には文章語を使わせよと言った。
「水」とか「やだ」という短語ではなく、必ず主語述語を用いた文章語を使わせることで、頭脳は明晰になり、情緒は安定するというのである。
私はこれを取り入れて、幼少期から坊やに文章語をしつけてきた。
たとえば、お菓子を欲しがって泣き叫んだら「ぼくはーーで言いなさい」と要求する。すると坊やは泣きやんで「ぼくはお菓子が欲しいのでください」と言う。そういう時は与えた。
当初はこうしてオペラント条件づけしたが、そのうち「今回はこれこれの理由があるから、やめておけ」と言えば、素直に従うようになった。話が通じる男になったのである。
文章語鍛錬を行わないと、大声で泣き叫べば要求が通ると考えるようになる。
クレーマーやモンスター某という手合いは、この時期、動物から人間になる訓練を受けなかったのではないか。
ちなみに私はこうした訓練を受けていない。それでどれだけ苦しんだことか。
自分が苦しむだけならまだいい。どれだけ人に迷惑をかけ苦しみを与えてきたことか。
こんな苦渋は、これからを生きる子供たちに味合わせたくない。

テレビはよくない。そんなことは自明の理だ。だが、そうした認識が一般的になればなるほど、へそ曲がりの私は擁護論をぶちたくなる。
私は「探偵! ナイトスクープ」とNHKの「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」「72時間」を録画してみている。
大相撲やヒアリといったテーマでも、いったん見始めるととても勉強になることが多いから、興味のあるなしに関係なく全てみることにしている。
「72時間」は丸3日定点観測するドキュメンタリーで、最近、これが気に入っている。
どこがいいかといえば、心やさしくなれるところだ。
ふだん接することのない、たとえば、交通誘導員やマイルドヤンキーという人びとに意外と心なごむ。なんだ、けっこういい人たちじゃいかと。
その点、ネットは心がすさむ。荒々しい言葉と辛辣な言論に疲れを感じたら、テレビをみるのも手だ。精神の平衡に効果があるかもしれない。
ちなみに、番組は笑えるものから先にみるといい。
「探偵! ナイトスクープ」で泣き笑いしてから「Nスペ」をみると、あきらかに映像(特に文字)がよく見える。目の周りの筋肉がほぐされると、視神経の伝達もよくなるのだろうか。

「幼稚園、面白くない」と言いながら、坊やはほぼ皆勤である。
ひところ、行きたくないと本気で意思表示したので、私はこう語りかけた。
「(幼稚園に)行きたくなくて行かないのは赤ちゃん。行きたくて行くのが子供。行きたくなくても行くのがおっさん」
この言葉ひとつで、坊やは淡々と通園しはじめた。坊やは「おっさん」に憧れているのである。
おっさんとは私およびその仲間である。坊やは私の友達が好きだ。
畏友高橋御山人師をはじめ、我が友たちは趣味に仕事に元気ハツラツな英雄豪傑ばかりだ。
こんな憧れを持つことで、どれだけ人生の支えになるだろうか。
いくら言葉を尽くして説得したところで、感情が動かなければ意味がない。道理や損得を説くより、心に「英雄」を持つことが、少年の行動を変えてゆく。
むろん、憧れの存在は父親であることが望ましい。父を畏敬する男児は強靭だ。
ここで問いたい。世の母親は、息子の「英雄」を英雄たらしめているだろうか。
息子の英雄を地に落とすことは、愛する息子の活力を摩滅することになる。
英雄は一人では成り立ち得ない。英雄とはひとつの幻想でもあるからだ。

菅直人元首相と飲んだ。一昨日のことである。というと、いささかもりすぎか。宴席でたまたま隣の席に菅さんが座ったに過ぎず、彼が私を認識していたとは思えない。
菅さんは私の師匠・岳真也先生の盟友であり、この日も一次会から三次会まで、6時間も同席くださった。
じつはこの日、私は気が気ではなかった。というのは、昼過ぎに北朝鮮が核実験を行って、情勢が緊迫していたからである。
歴史懇話会に参加しているさなかから、懇親会は遠慮して、帰路につこうかとそわそわしていた。
そんな不安を払拭してくれたのが元首相であった。隣席で杯を交わしていた間、菅さんのケータイが鳴ったのはわずか2回。それも深刻な連絡ではなさそうだった。それを踏まえ、当座は憂慮すべき状況ではないと確信した。
思えば6年前、かの大震災と原発事故の際、菅さんは首相であった。
家内が菅内閣の法務大臣の秘書をしていたこともあり、結婚式に祝電を頂戴したこともある。
内閣総理大臣 菅直人
この文字をみて、感慨ひとしおであった。というのは、菅さんは私の母校のある国立市を選挙区としていて、若き日の菅さんは毎度毎度落選していたのをよく覚えているからだ。
七転八倒。不撓不屈。弱小政治家が首相になってゆく様は、同時代人として感動的であった。
何度苦難に陥ろうと諦めずめげずに立ち向かう。毀誉褒貶あろうが、現代の英雄の一人といえよう。(尚、私は民主党はどうにも好きになれず、これまで一度も投票したことはない)。
その精神力の在り処を菅さんから聴き出したいと思った。
切り口の一つは、息子さんを「源太郎」と名づけたことだろう。
「源太郎」は、むろん日露戦争の英雄・児玉源太郎にちなむ。菅さんの出身地たる長州の産だ。
リベラル色の強い菅さんと日露戦争の英雄は一見相いれない。だが、そこにこそ、左だとか右とかを超えた一個の英雄の本質が見えてきそうな気がするのだ。
そんな話を伺いたかったが、この場は喧騒に過ぎた。またの機会を探りたい。

Amazonに音声コンテンツを提供しているが、担当者は3代目、もう10年も対面していない(エンドユーザーに至っては誰一人として面識がない)。
コミュニケーション能力というと「対面」という言葉がついてまわるが、これは時代とともに変わらざるを得ないだろう。
これからはリアルのコミュニケーション能力以上に、バーチャルのコミュニケーション能力を磨くべきである。
バーチャルのコミュニケーションで問われるのは、何よりも文章力だ。
文章は書くのも難しいし、読むのも難しい。短文を心がけ、恥ずかしがらずに、顔文字でもなんでも繰り出す。読んでもらえる文章を書く練習は、学校時代に習得すべきことの最たるものといえる。
その点、恋愛はその技術を格段に高めてくれる。それに勉強への意欲も高めてくれる。若者たちには、大いに恋愛に身を焦がしてもらいたい。
いまやネットで知り合って結婚する時代だ。私の友人にも何人もいる。リアルのコミュニケーションは、ともすればノリやムードに流されやすい。そこに冷静な判断をもたらすのが、バーチャルのコミュニケーション能力、すなわち書き言葉だ。
「書くことは人を確かにする」とはベンジャミン・フランクリンの言葉。
「コミュニケーション能力→対面」という図式から親自身が脱却しなければ、子供たちの成長の機会を奪ってしまうことになる。心したい。

子供はよくお皿をひっくり返したり、衣服を食べ物で汚す。そんな不始末は叱らないでやってほしい。
彼らは故意でやっているわけではない。たんに「技量」が足りないのである。
技術的に不可能なことを責めたところで、できるようにはならない。挙げ句の果てには、萎縮して行動を臆する人間になってしまう。だから、私は子供の不始末は叱らない。
ただ、ときには叱ることもある。それは不始末の始末、すなわちフォローをしない時だ(だが、そういうことは滅多にない)。
コップの水をこぼしたときは、自分で拭わせる。食べこぼしたら自分で拾わせる。不始末は、自分で始末すればそれでよい。
不始末をしでかしてパニックになっている時に、叱りつけたり懇々と説教したりしても意味はない。
「ドンマイ。フォローしっかりね」で十分なのである。

たとえば、加熱したヤカンがあったとする。
それに触らないようとするのが「子守り」だ。一方、あえて触らせて学習させようとするのが「子育て」だ。
もし大火傷するようであれば、むろんそんなことはさせないが、そうでない限り、学びの機会は摘むべきではない。
子供を生涯護りつづけられるわけではない。人生体験から得た叡智を、どれだけ子供に授けられるかが、子育ての本質なのだ。
夫婦喧嘩の多くは、子供への向き合い方が発端となる。その多くは、母親の「子守り」対父親の「子育て」という図式ではないか。すくなくとも、我が家ではそうだ。
うちの場合、坊や自身が、みずからの成長を決然と望み、母親からの「子守り」をはねのけてしまった。我が子ながらたいしたものだ。
うちの子に限らず、子供というものは生来的に成長を望んでいる。それが生物としての本能でもある。
だが、母親からの愛情の押しつけをはねのけるタイミングを得られないまま、それを受け入れているうちに、しだいにそれに耽溺してしまう。
世にいうマザコン男というのは、「子守り」を受け入れつづけてしまった、のんびり屋のお人好しなのだろう。
一般的に、母親は自分の子供、とくに男児を「弱いもの」と考える傾向があるらしい。
弱いのだから守ってあげなければという無垢な気持ちが、こうして裏目に出ることは枚挙にいとまがない。
芸能人の息子が問題を起こしたとき、純情な母親による「一生懸命の子守り」が露見する。財力を持った母親が息子をダメにするのは、淀殿と秀頼の時代から変わらない。
本来、子育てという「教育」を担うのは父親なのだが、忙しくて家にいないし、たまにいたところで、母親から教育権を取り戻せるわけがない。
かくして、子守りに馴れきった男児たちが馬齢ばかり重ねてゆくのである。息子に対するなんたる裏切りだろうか。

ひと頃、大学の禄を食んでいたことがある。私の授業は学生にとても評判がよかった。
その理由は明らかである。私ほど、学生の幸せのために全身全霊で尽くした講師はいなかったからである。
こんな不遜な男が、学生たちの幸せのために、憐れなほどの訴えかけをした。もし選挙ならば、悠々と当選していたであろう。
これは冒涜することになるかもしれないが、ほかの先生方には、そこまでの懸命さはなかった。
講義録に目を通すと、目の前の学生たちの幸せに向けてアレンジした形跡はなく、「自分」の切り売りでしかないように思えた。これでは、学生たちの心には響かない。
だがこれは、大学というものが抱える宿痾かもしれない。
経営していたNPO昭和の記憶には、多くの求職者がコンタクトしてきた。それも著名大学の大学院生など、高学歴の人が多かった。
彼らに通底していたのは、それまで自分がやってきた研究や活動を、私のところでやらせて欲しいという態度であった。
NPOのミッション遂行や運営に寄与しようという姿勢はなく、「自分」の一部をそのまま買わせようというのである。
そんな「商品」を買うほど、私はお人よしではない。面接するたびに、うんざりさせられたものだ。
どうやら大学という場は、そんな幼稚な態度が許される気風があるようだ。その傾向は中学や高校以上に濃厚であるように思われる。
高校生のときまでは、毎朝きちんと起きて通学していたのに、大学の4年間を経たら、すっかりだらしない人間に堕ちていたなんてことはままある。
その昔なら、徴兵があった。兵役を経た男たちはシャキッとしていた。大学とは真逆である。
人生は短い。ひとたび、だれてしまうと、ふたたび、ひたむきさを取り戻すには同じかそれ以上の時間がかかる。
大学という浮世離れした場に、人生のだいじな時間を投下すべきか。そんな損得勘定は、これからいっそう取り沙汰されることになるだろう。

「耳学問の盛池塾」から「英雄児育成の盛池塾」へと看板を変えました。
「英雄児」とは、突出や偏りのある子供のことです。
「よばあたれ」と笑われた坂本龍馬、「うつけ者」と蔑まれた織田信長、「姫若子」とよばれるほど気弱だった長宗我部元親。超KYの大村益次郎、超反抗児・河井継之助。幼少期の英雄たちは誰もが問題児でした。
こんにちでしたら、アスペルガーやら発達障害といったレッテルが貼られていたことでしょう。
異常なまでの突出、あるいは異常なまでの偏り、これらが個性であり、それが英雄を英雄たらしめているのですが、これを「障害」とみなす昨今の風潮には違和感を禁じ得ません。
うちの坊やにも突出と偏りがあります。やけにおとなびていて、6歳にして小学校高学年の雰囲気を持っています。
ただ、とても神経質で、同年代の子供たち(あと、動物)を前にすると萎縮してしまう。その一方で、大人や年上の人たちには非常に気安く接するという風変わりな少年です。
運動嫌いなインドア派で、市町村パズルのアプリにはまっていて、寝床では、地図、時刻表、昔話を好んで読んでいます。スタンプラリーに燃えるあたりも含めて、「異常」な私にじつによく似ていて、とても気が合います。
私はその「異常」を修正しようとはまったく思いません。むしろ、それを軸にして、人生を切り拓いてもらいたい。
学校や世の母親は「年齢に応じたバランスのいい発達」を望む傾向がありますが、そんな要求に苦しむ子供は少なくありません。私はそんな英雄児たちが気楽に呼吸できる場を創出してゆくことにしました。
今後、この場で経過など報告してゆきたいと思います。引き続き、よろしくお願いします。

大学生の2人に1人は利用しているという奨学金制度。学業優秀者向けの給付型奨学金も充実してきている。
学生自身がアルバイトで現金収入を得る手立ても選り取りみどりだ。
二世代前なら、五木寛之の小説にもあるように売血までして学費を稼いでいたことを思えば、隔世の感がある。
授業料無償化は高校まで進み、今後、学費負担軽減化のその流れは加速する一方であろう。あと10年もすれば、学費で苦慮する学生はほとんどいなくなりそうだ。
さらには、学生自身が学費を調達するのが主流になるのではないか。クラウドファンディングで研究費を募るように、学業の支援者を広く募るのである。将来有望な学生なら、多くの「里親」が集まることだろう。
生涯未婚化が進むなか、我が子のように応援する人たちも出てくるはずだ。彼らにとって、学生たちは養子や猶子のような存在となり、生きがいのひとつになるだろう。
これはひとつの先祖返りだ。「親の占有物」に身を堕としていた子供たちが、ふたたび「社会の子」へと回帰するからだ。そんな時代がやってくることを喜びたい。
そうなると、問題になるのが大学そのものの必要性だ。これについては、次回述べるとしよう。(つづく)

たとえば私大の歯学部の学費は、卒業までの6年間で5000万円ほどかかるという。
我が家では、妹2人が歯学部卒である。他にも私と三女もいるので、4人ぶんの教育費は、生活費など諸々含めて、2億円近くになっていたのではなかろうか。
あの時期、バブルを迎えていなかったら、とうてい捻出できなかったはずだ。
こんな現実を突きつけられれば、なぜ教育費におじ気づくのかわかる気がする。要は、教育費に対する恐怖心は、展開が読めないところに起因するらしい。
子供の学業成績がいいことは喜ばしいが、突如襲いかかる学費は恐怖でしかない。備えを手厚くしたくなるのもわかる。
つぎに、教育費を収支でみてみることにしよう。
歯学部を出た妹2人のうち長女のほうは数年勤務医をしてから、歯科医師と結婚。現在は専業主婦だ。収支という点ではトントンといったところか。
次女の経営するクリニックは繁盛しているので、こちらは十分ペイしているといえる。
いまや歯科医院はコンビニより多い。たとえば、妹が開業する山梨県上野原市ではコンビニが8軒なのに対し、歯科医院は15軒もある。
いったん開業したものの、立ち行かなくなり、勤務医に戻ったという歯科医師も少なくない。
こうした実情をみると、投下した学費に対して、十分なリターンが得にくい時代になってきたともいえる。
それまでは、投資に見合ったリターンを得られていたから、親もがんばって教育費を捻出してきたが、こうなると、教育費についての認識も変わらざるを得ない。
さらに近年、学生たちが自力で学費を獲得する術も整いつつある。これについては、次回述べるとしよう。(つづく)

子供の教育費が不安だ。それは、金銭的に困るというより、イメージとして捉えられないからだ。
教育費は親という立場の者にすれば、あらがうことのできない、いわば聖域である。
「子供の教育だけは」というのが、世の親の赤心であるし、私もそんな気持ちでいる。
話はそれるが、ひと昔前まで、学歴はなかばカネで買えた。露悪的な言い方であるが、要はカネがなければ大学には行けなかったのである。
昭和15年生まれの我が親父殿は大学卒だ。一橋大学に入るのに、あの時代、二浪までしている。
カネの出所は実兄、私にとっては伯父にあたる。
伯父は大蔵省を不祥事でクビになり、金融ブローカーとなっていた。金回りはよかったようで、20歳離れた我が親父殿を我が子のように面倒をみた。
あの伯父がいなければ、親父殿の学歴は得られなかった。
我が母についても同様だ。母の父上は歯科医師であったが、32歳で急逝した。
寡婦となった祖母ではあるが、女手一つで仕事もとくにしないで、子供3人を大学まで行かせた。
学費の出所は今もって謎であるが、嫁ぎ先も実家も資産家なので、そこから引き出したのであろう。
我が両親は身近な人たちの財力によって、大学進学を果たすことができた。
彼らより勉強ができた人でも、カネがなければ大学には行けなかった。学歴とは資力であるといってもいいだろう。(つづく)

「子供の目線に立って語りかけよう」と言われるが、はたしてそうだろうか。
我が家では、まったくそうしていない。生まれてこの方、幼児語はいっさい使わずに、ふつうに語りかけてきた。
言っていることを、子供がわかろうとわかるまいとかまわない。本気で向き合っていることが伝わればそれでいいからだ。
私の友達が訪ねてくると、坊やは同席したがる。かわされている会話は超マニアックで、大人でも意味不明であるが、おとなしく耳を傾けている。彼なりに理解しようと努めているのであろう。
「合わせない」からこそ、子供のなかにみずから理解しようという意識が高まってくる。教育の本質は、合わせるのではなく、高みを目指すよう促すことにあるのではないか。
未知の世界を捉えたいという欲求は、疲弊した大人より子供のほうが強い。そこをだいじにしてあげたい。
あらゆる人間は成長を欲している。子供はなおさらだ。子供扱いすることは、彼らの成長欲求を裏切る、背信的行為といえよう。
「いつまでも可愛い子供でいて欲しい」といつ親のエゴイスティックな行動なのである。

戦後没落したのは父親だけではない。長男の地位も没落した。
家父長制下、長男は別格であった。財産はすべて長男が相続し、家によっては、別室でひとり食膳が用意されることもあった。
なぜこのように厚遇されたのかといえば、一つには、家の繁栄につながるという理由があげられる。
今ではすっかり解体してしまったが、かつての「イエ」は事業体であった。商家はもちろん、農家にしても"企業"であった。
企業で欠かせないのが統治。リーダーを中心に結束しなければ、組織の平和と繁栄はなしえない。
リーダーが多少ぼんくらでも、フォロワーたちが盛り立てていこうと思えば、組織は繁栄するのである。リーダーシップよりもフォロワーシップ。これが日本型組織の要諦といえよう。
もう一つの理由は、長男の人格への悪影響を配慮してのことだ。
長男にとって、あとから生まれてくる弟や妹は生存上のライバルとなる。
それまですべて受け取ってきた愛情や待遇が次々に奪われてゆく痛烈さを想像できるだろうか。
さみしくて悔しくて、時には我がままを言いたくもなる。まだ幼いのだから無理もない。
そんな時、「お兄ちゃんなんだから!」と一喝する母親が見られるが、これほど痛切な場面はない。
第一に、そんな言葉で納得できるほど、長男たちは成熟していない。不毛な働きかけでしかない。
また、妹や弟の前で恥をかかされた長男が、その時どんな気持ちでいるのか、もっと想像力を働かせねばなるまい。
私は公衆の面前で、坊やを叱りつけることは絶対にしない。必要があれば、私の書斎に呼びつけて、おだやかに言い聞かせる。
むしろ娘に対して「お兄ちゃんはえらい」「お兄ちゃんの言うことを聞きなさい」と躾けている。
すると、娘は兄を慕うようになり、兄は妹を思いやり、よく面倒をみるようになった。
長男への対応ひとつでこんなに違ってくるものなのだ。
長男を別格扱いすることで、すべてが好転する。陳腐な「平等主義」は家庭文化を淀んだものにするだけなのだ。

坊やは男だ。幼少期から褒めたたえてきたら、ずいぶん泰然としてきた。分別も知性も、6歳児にしてはたいしたものだと思う。
そんな坊やであるが、2年前に危機を迎えた。それは妹の誕生である。
こういうとき、家族の愛情や注目が妹に一気に傾き、お兄ちゃんはさみしい思いをするものだ。
それが原因となり、やきもちを焼いたお兄ちゃんが妹をいじめ、その後の兄妹仲の悪さにつながるケースがままある。
私は妹の誕生を前に、元々忙しくなかった仕事をさらに暇にした。そして、娘が生まれるや、坊やと毎週のように、旅行してまわった。
泊りがけの夜は、居酒屋のカウンターに並んで腰かけ、「お前は最高だぞ」と繰り返し語りかけた。
坊やとの強固な絆は、この期間に築かれたといっていい。
もしこの時期、仕事で多忙を極めていたら、父子の関係が深まることはなかっただろう。さらには、母親に反抗的になったり、妹につらくあたるようになっていたかもしれない。
今でも、隣に住む甥や妹の誕生会の時などは、一族みんなの関心が彼らに向けられる。
そんな時、さみしそうにしている坊やを見ると、私は隣にどっかり座り、坊やに集中する。
父親にここまで本気で向き合われていれば、情操が安定するのも当然だ。いずれ、坊やが親父になったら、息子にそうしてやって欲しい。
ところが、世の親の多くは、まったく逆の向き合い方をしている。これについては、次回述べるとしよう。(つづく)

何年か前のことだが、坊やが転んで、口元をすこし切った。
家内は駆け寄り、目を大きく見開いた仰天顔で傷口を見るなり、病院に行こうと騒ぎ出した。それを見た坊やは大泣きし始めた。
坊やの大泣きは、ケガが痛むからだけではない。母親の動揺を見て、「これはたいへんなことになった」と動転したからだ。
私はゆったりと歩み寄り、「なんだ、たいしたことないじゃないか。アイスでも食べよう」と穏やかに言った。
すると坊やは泣きやんで、口元から血を流しながら、私とコンビニに行った。
瞬時、家内は「なんて冷酷なことを言うんだ」という態度をとったが、それを私は目顔で押さえ込んだ。以前なら、ここから大騒ぎになったのだが、今回はこれで収束した。
男心にうとい家内ではあるが、男女によって感じ方が違うということを次第に学習してきたようだ(とはいえ、母親が子供のケガに冷淡であれというわけではない。それは最悪だ)。
かように、男女の感性とは根本的に異なる。私が言いたいのはそういうことだ。
もし、転んでケガをしたのが娘だったら、私も「大丈夫か! 病院行こう」と“共感”モードで接するだろう。
このように、子供とはいえ、態度と言動は、男女で使い分けるべきなのである。
こうした分別は、長男と次男以下でもなされるべきであるが、世の母親の多くは、ここでも過ちをおかしている。
次回はそのあたりについて語るとしよう。(つづく)

↑このページのトップヘ